死と恐怖と焦りと
アズサは狼狽していた。昨日と同じようにシンが水と朝食の用意をし始めていて、今日は早起きしたアズサがそれを手伝う。そうなるはずだった。「今日は早起きなんだね」「ご飯は私が用意するから、早く出発しよう」そういう話をする予定だった。
アズサが目を覚ました時からシンは苦しんでいた。左胸を押さえ、赤ちゃんのように丸まっている。呼吸ができないのかもう片方の手は喉を必死にかきむしり、呼吸が洗い。シンがこんなに苦しんでいるのに、私は隣でぐっすり寝ていたのか――、そういう罪悪感が彼女の首をぎりぎりと締め付けた。
声をかけても反応がない。外套を強く握りしめ痛みに耐える彼を見て、アズサは自分に出来ることが何もないことを悟った。
それでも何かしなきゃならない。こんな形で旅が終わるのは嫌だ。とにかく熱を覚まさないと……そう思った彼女は水筒でハンカチを濡らして、額に当てる。意味があるかは分からない。多分、意味は薄い。そう感じていても、アズサは何か彼にしてあげたかった。
「なんで、なんで、まだ時間はあるはずじゃないの」
シンがアズサのスカートに縋り付く。アズサは彼の手を握り、もう片方の手で彼の汗を拭った。シンが顔をしかめて笑う。
「大丈夫。もうちょっとで収まると思うから、ちょっと枕にしても良い?」
「こんな時まで強がんないでよ」
「強がりじゃないよ。でもごめん、しばらく気を失う」
「ひゃっ」
太ももの間に顔をうずめるとシンが動かなくなった。脈と呼吸があることを確認してアズサはひとまず息をついた。
疑問は残る。なぜ呪いが発動したのか、なぜシンは大丈夫だと言ったのか。…なぜ太ももの間に顔をうずめたのか。どれも答えは出ない。次第に落ち着きを取り戻す彼の様子だけが、今の頼りだった。
それから5分ぐらい経っただろうか。シンが徐に身体を起こした。ぐーっと一度ノビをすると呪いなどなかったかのように彼は立ち上がると、パンパンと膝についた土を払った。
「よし行こうか!」
「行こうかじゃないでしょ」
「まぁ、そうだよね」
「ちゃんと説明してよ。ひ、ひざも貸したんだから」
シンが左胸に手をかざすと、水瓶のような形の紋章が浮かび上がった。紋章の上部から水滴のような模様が滴り落ち、水瓶の中に溜まっていっている。
「簡単に言えば、あれは目覚ましのアラームみたいなものだね。僕が呪いのことを忘れて過ごしてたら『今日だよー』って説明する感じ」
「アラームであんな苦しめる必要、ある?」
「ないね。まー覚悟しとけよってことじゃない?」
彼が魔法陣から水を出し、カップに入れてアズサにわたした。
「心配かけてごめんね。行こうか」
「本当に大丈夫?」
「うん。彼女は優しいから、アラームをした後は自由にしてくれると思う」
水瓶には水滴が落ちていく。幸い一滴一滴は些細な量なようだ。時間はもう少しある。
アズサは改めて覚悟を決める。今日必ず、呪いの発動までにヨマドの大樹に辿り着いてみせる。シンの最後を薄暗いものにするものか。シンの手を引っ張ると、アズサは早足で歩き出した。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「アズサ、そんなペースで歩いてちゃ帰りまで体力が持たないよ」
「シンは帰りのことまで気にしないでいいの。良いから進むよ」
「……わかった」
2人はひたすらに歩いた。競歩とも思える速度でずんずんと進んだ。
進む中で、アズサはこれが本当のシンの歩幅なんだと気づいた。彼の歩く姿があまりに自然体すぎる。でも体格差を考えれば、それも妥当なのかもしれない。――こんな所まで気を使われていたのか。アズサはそう考えて鼻を一度すすった。
道の様子は変わらない。樹木が生い茂り、地面は柔らかく、鳥の囀りがこだまする。まるでベルトコンベアの上を進んでるみたいだ、とアズサは思った。進んでいるようで進んでおらず、同じ景色をずっと見せられているみたいだ。
加えて、ヨマドの大樹の影すら映らない事実が彼女を追い詰めた。大樹というくらいだ。周囲の木々より明らかに大きいはずだ。でもそういった木が遠くに見えるような様子もない。
焦りがだんだんとアズサの下腹部からジワジワこみ上げてくる。別れ道を間違えたんじゃないだろうか。あの黒い人間に対して勇気を持って立ち向かうべきじゃなかったのか。でも、今更道を返すのも無理な話だし、進むしかない。
その時シンの声が聞こえた。普段の明るいトーンとは異なる平坦な口調だ。
「少し速度を落とそう。魔女の話もしたいからね」
でも、とは言わなかった。心の奥のどこかでその言葉を待っていたのかもしれない。アズサは歩く速度を落とした。
「まずは昨日の質問に答えようか。なぜ魔女の呪いで死にたくないのかだけど、答えは単純さ。僕は彼女を人殺したくないんだよ」
シンはじっと自分の手を見た。
「彼女は純粋に被害者だったんだ」
「恐ろしい力を持った魔女なんじゃないの?」
「そうだよ。彼女の力は確かに恐ろしいものだった。神が彼女を危険視したのも妥当だと思う」
「なら」
「でも彼女はその力を振るわなかった。だから、この呪いだけなんだ。僕が呪いで死んでしまうと神々の判断が正しかったことになってしまう」
彼はそう言って火球を手のひらから出すと、ふわふわと2人の間を通す。何回か空中をバウンドさ褪せると、アズサの前に滞在させる。ぽん、と軽く破裂音を出すと、火球は小さな煙へと変わった。
「道具は使う人次第、って言いたげだね」
「まさに。殺人鬼だって料理人だって握るものは同じってわけさ」
アズサは考える。――やっぱり夢で見たあの女の人が、繋ぎの魔女なんだ。1日目の夢で見た光景もきっと……。
胸がチクリとする。夢で見たあの時、シンはいったいどんな気持ちで彼女を刺したんだろう。神罰の代行者って、大事な人を殺すことより大事なことなんだろうか。
「シン……」
「そんな彼女を裏切ったんだ。僕が呪いを受けるのも当然の報いだよ」
そんなことはないと思う、とは気休めにも言えなかった。それはむしろ彼の気持ちや覚悟を踏みにじるような行為だと思えた。
シンはわずかだが、歩く速度を速めていた。それは辿りつく気配すら見せない終着点への焦りから、無意識に行ったものであった。踏み出しが半テンポほど早くなって、足を下ろす位置が数ミリほど先になる。自覚できないほどの小さな加速だったが、歩幅を合わせる側だったアズサにはその変化がハッキリと感じられてしまった。
「そうだね。やっぱりシンはヨマドの大樹に行くべきだよ」
「気遣いでもそう言ってくれると嬉しいよ」
「違うよ。シンに呪いで死んでほしくないの。シンは十分頑張ったんだから、最期は安らかにいくべきだと思ったんだ」
そういうとアズサはシンの手をとって駆け出した。シンは困ったように笑ったが、悪い気はしなかった。
アズサは狼狽していた。昨日と同じようにシンが水と朝食の用意をし始めていて、今日は早起きしたアズサがそれを手伝う。そうなるはずだった。「今日は早起きなんだね」「ご飯は私が用意するから、早く出発しよう」そういう話をする予定だった。
アズサが目を覚ました時からシンは苦しんでいた。左胸を押さえ、赤ちゃんのように丸まっている。呼吸ができないのかもう片方の手は喉を必死にかきむしり、呼吸が洗い。シンがこんなに苦しんでいるのに、私は隣でぐっすり寝ていたのか――、そういう罪悪感が彼女の首をぎりぎりと締め付けた。
声をかけても反応がない。外套を強く握りしめ痛みに耐える彼を見て、アズサは自分に出来ることが何もないことを悟った。
それでも何かしなきゃならない。こんな形で旅が終わるのは嫌だ。とにかく熱を覚まさないと……そう思った彼女は水筒でハンカチを濡らして、額に当てる。意味があるかは分からない。多分、意味は薄い。そう感じていても、アズサは何か彼にしてあげたかった。
「なんで、なんで、まだ時間はあるはずじゃないの」
シンがアズサのスカートに縋り付く。アズサは彼の手を握り、もう片方の手で彼の汗を拭った。シンが顔をしかめて笑う。
「大丈夫。もうちょっとで収まると思うから、ちょっと枕にしても良い?」
「こんな時まで強がんないでよ」
「強がりじゃないよ。でもごめん、しばらく気を失う」
「ひゃっ」
太ももの間に顔をうずめるとシンが動かなくなった。脈と呼吸があることを確認してアズサはひとまず息をついた。
疑問は残る。なぜ呪いが発動したのか、なぜシンは大丈夫だと言ったのか。…なぜ太ももの間に顔をうずめたのか。どれも答えは出ない。次第に落ち着きを取り戻す彼の様子だけが、今の頼りだった。
それから5分ぐらい経っただろうか。シンが徐に身体を起こした。ぐーっと一度ノビをすると呪いなどなかったかのように彼は立ち上がると、パンパンと膝についた土を払った。
「よし行こうか!」
「行こうかじゃないでしょ」
「まぁ、そうだよね」
「ちゃんと説明してよ。ひ、ひざも貸したんだから」
シンが左胸に手をかざすと、水瓶のような形の紋章が浮かび上がった。紋章の上部から水滴のような模様が滴り落ち、水瓶の中に溜まっていっている。
「簡単に言えば、あれは目覚ましのアラームみたいなものだね。僕が呪いのことを忘れて過ごしてたら『今日だよー』って説明する感じ」
「アラームであんな苦しめる必要、ある?」
「ないね。まー覚悟しとけよってことじゃない?」
彼が魔法陣から水を出し、カップに入れてアズサにわたした。
「心配かけてごめんね。行こうか」
「本当に大丈夫?」
「うん。彼女は優しいから、アラームをした後は自由にしてくれると思う」
水瓶には水滴が落ちていく。幸い一滴一滴は些細な量なようだ。時間はもう少しある。
アズサは改めて覚悟を決める。今日必ず、呪いの発動までにヨマドの大樹に辿り着いてみせる。シンの最後を薄暗いものにするものか。シンの手を引っ張ると、アズサは早足で歩き出した。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「アズサ、そんなペースで歩いてちゃ帰りまで体力が持たないよ」
「シンは帰りのことまで気にしないでいいの。良いから進むよ」
「……わかった」
2人はひたすらに歩いた。競歩とも思える速度でずんずんと進んだ。
進む中で、アズサはこれが本当のシンの歩幅なんだと気づいた。彼の歩く姿があまりに自然体すぎる。でも体格差を考えれば、それも妥当なのかもしれない。――こんな所まで気を使われていたのか。アズサはそう考えて鼻を一度すすった。
道の様子は変わらない。樹木が生い茂り、地面は柔らかく、鳥の囀りがこだまする。まるでベルトコンベアの上を進んでるみたいだ、とアズサは思った。進んでいるようで進んでおらず、同じ景色をずっと見せられているみたいだ。
加えて、ヨマドの大樹の影すら映らない事実が彼女を追い詰めた。大樹というくらいだ。周囲の木々より明らかに大きいはずだ。でもそういった木が遠くに見えるような様子もない。
焦りがだんだんとアズサの下腹部からジワジワこみ上げてくる。別れ道を間違えたんじゃないだろうか。あの黒い人間に対して勇気を持って立ち向かうべきじゃなかったのか。でも、今更道を返すのも無理な話だし、進むしかない。
その時シンの声が聞こえた。普段の明るいトーンとは異なる平坦な口調だ。
「少し速度を落とそう。魔女の話もしたいからね」
でも、とは言わなかった。心の奥のどこかでその言葉を待っていたのかもしれない。アズサは歩く速度を落とした。
「まずは昨日の質問に答えようか。なぜ魔女の呪いで死にたくないのかだけど、答えは単純さ。僕は彼女を人殺したくないんだよ」
シンはじっと自分の手を見た。
「彼女は純粋に被害者だったんだ」
「恐ろしい力を持った魔女なんじゃないの?」
「そうだよ。彼女の力は確かに恐ろしいものだった。神が彼女を危険視したのも妥当だと思う」
「なら」
「でも彼女はその力を振るわなかった。だから、この呪いだけなんだ。僕が呪いで死んでしまうと神々の判断が正しかったことになってしまう」
彼はそう言って火球を手のひらから出すと、ふわふわと2人の間を通す。何回か空中をバウンドさ褪せると、アズサの前に滞在させる。ぽん、と軽く破裂音を出すと、火球は小さな煙へと変わった。
「道具は使う人次第、って言いたげだね」
「まさに。殺人鬼だって料理人だって握るものは同じってわけさ」
アズサは考える。――やっぱり夢で見たあの女の人が、繋ぎの魔女なんだ。1日目の夢で見た光景もきっと……。
胸がチクリとする。夢で見たあの時、シンはいったいどんな気持ちで彼女を刺したんだろう。神罰の代行者って、大事な人を殺すことより大事なことなんだろうか。
「シン……」
「そんな彼女を裏切ったんだ。僕が呪いを受けるのも当然の報いだよ」
そんなことはないと思う、とは気休めにも言えなかった。それはむしろ彼の気持ちや覚悟を踏みにじるような行為だと思えた。
シンはわずかだが、歩く速度を速めていた。それは辿りつく気配すら見せない終着点への焦りから、無意識に行ったものであった。踏み出しが半テンポほど早くなって、足を下ろす位置が数ミリほど先になる。自覚できないほどの小さな加速だったが、歩幅を合わせる側だったアズサにはその変化がハッキリと感じられてしまった。
「そうだね。やっぱりシンはヨマドの大樹に行くべきだよ」
「気遣いでもそう言ってくれると嬉しいよ」
「違うよ。シンに呪いで死んでほしくないの。シンは十分頑張ったんだから、最期は安らかにいくべきだと思ったんだ」
そういうとアズサはシンの手をとって駆け出した。シンは困ったように笑ったが、悪い気はしなかった。




