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法務の講義はチャールズという法務官が担当している。
若いが教えるのが上手で、複雑な内容でも楽しく学ぶことができる。スカーレットとアリシアは講義を毎回楽しみにしていた。
チャールズは物凄い美形というのではないが、聡明な茶色の瞳が控えめな人柄を反映していて、一緒に居ると心安らぐような素敵な男性だ。
***
アリシアは講義の後、スカーレットと二人でお茶を飲むことが習慣になっている。
「アリシア、ギャレット侯爵邸でジョシュア様が負傷されたと聞いたけど、大丈夫……?」
スカーレットが心配そうに尋ねた。
実はアリシアもお忍びでそこに居たとは言えないので、曖昧に濁しつつもギャレット侯爵邸での事故について説明した。
「あそこは……ちょっと怖いですものね」
スカーレットが少し身震いする。
「怖い? ギャレット侯爵邸のこと?」
「ええ。秘密の部屋や通路が沢山あって……迷宮みたいで不気味なんです」
「スカーレットは邸内に入ったことがあるの?」
「はい。子供の頃ですが」
ギャレット侯爵は簡単に他人を屋敷の中に入れないとブレイクは言っていた。スカーレットが中に入ったことがあると聞いて、アリシアは意外に思った。
(まぁ、子供だから警戒されなかったんだろうけど……。でも、子供一人で行った訳じゃないわよね? お父上のギルモア侯爵と一緒に行ったのかしら?)
外界から隔絶されていたアリシアは貴族社会の事情に疎く、スカーレットの父親であるギルモア侯爵のこともよく知らない。
(スウィフト伯爵家を継ぐのだったら、そういうことも勉強していかなくちゃいけないわね)
アリシアは反省した。
*****
アリシアは王宮でスウィフト伯爵家の使用人たちと一緒に食事をしている。王宮には使用人向けの食堂があるので、アリシアはそこに混じって食事をしているのだ。
使用人たちは当初恐縮していたが、今では慣れたもので毎回和気藹々と食事を楽しんでいる。
ブレイクが一緒に食事をしようと誘ってくれたこともあったが、王族に混じって食事をするのは恐れ多くて緊張する。
食事は気軽に楽しみたい。
スウィフト邸では一人寂しくミリーが持ってきてくれた食事をとっていた。
ここでは、美味しい食事を家族同然の使用人たちと一緒に食べられる。アリシアは食事の度に幸せを噛みしめていた。
しかし、今日、夕食を食べに食堂に来たところ、比較的小柄な高齢者の多い使用人たちに混じって、ゴツイ大男がいる。
体積は他の使用人たちの二倍はあるだろう。
アリシアは目をゴシゴシと擦った。
錯覚ではない。
ジョシュアが執事の隣で嬉しそうに歓談している。
「ああ、アリシア!」
少年のように屈託ない笑顔を浮かべて手を振るジョシュア。
食堂ではアリシア一人でもかなり目立っていたが、そこに大男の騎士が加わると何が起こっているんだという好奇の目が集中しているのが分かる。
少々居心地の悪い思いをしながら、アリシアはジョシュアの隣に腰かけた。
彼の瞳が嬉しそうに輝く。背後にブンブン振り回す尻尾が見える気がする。
「ジョシュア様もこちらでお食事を召し上がるとは存じ上げませんでしたわ。ご自宅に戻らなくて大丈夫ですの?」
「騎士団用の宿舎もあるから、これから王宮で生活することにしたんだ。今までもそういうことはよくあったしな!」
「でも、騎士団用の食堂があるのに……こちらでよろしいのですか?」
わざわざ普通の使用人用の食堂まで来る理由が分からない。
「ああ、俺はできる限りアリシアと一緒に過ごしたい。朝、昼、晩、と三食一緒に食べていいかと尋ねたら、みんな快く受け入れてくれたぞ!」
ジョシュアの言葉に使用人たちは苦笑いだ。
アリシアは(ノーとは言えなかったんだろうな……)と密かに察した。
しかし、食事が始まってもジョシュアはひたすらアリシアを見つめ続けるだけだ。
視線が痛くなったアリシアは思い余ってジョシュアに言った。
「あの……ジョシュア様、じっと見られていると食べにくいです」
「いや、すまない。食べる時の仕草も愛らしくて目を離すことができないんだ」
アリシアの頬に骨ばった手を当てて、口元のソースを指で拭う。
「あ、あの! すみません。は、はずかし……」
「俺には何も恥ずかしがる必要はない。君の全てが愛おしい」
まさに蕩けるという表現がピッタリの甘い眼差しを向けられて、アリシアは動揺を隠しきれない。
ミリーを始め、使用人たちは呆気に取られて二人の様子を眺めている。
溺愛、全開である。
顔を赤くしながらも、どうにかこうにかアリシアは食事を終えた。
「アリシア、ブレイク殿下が夕食後に話がしたいそうなんだ。俺も同席したいんだが構わないか?」
ジョシュアが躊躇いがちに切り出した。
「その……アリシアにブレイク殿下と二人きりになって欲しくないんだ。邪魔しないようにするから」
「ブレイク殿下との話し合いの席には必ずメアリかミリーがいます。二人きりになることはないですよ」
アリシアは彼を安心させるように説明したが、ジョシュアの顔は曇ったままだ。
「まだ疑っていらっしゃるの? 私とブレイク殿下の間には何もありませんわ」
「アリシアを疑っている訳じゃない。ただ、君が他の男の視界に入るのが嫌なんだ」
ジョシュアは視線を強めてアリシアを見つめる。
「……絶対に殿下に対しては笑顔を見せないで欲しい。必要な話以外はしないで欲しいんだ」
(……重症だわ。これは今のうちに何とかしないと)
アリシアは考えを巡らせた。




