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アリシアは今まで距離があった婚約者の思いがけない変化に戸惑いながらも、わざわざ花を届けてくれたジョシュアの優しさに胸が温かくなった。
ミリーが早速一輪挿しを見つけてきて、花を活けてくれる。
「お嬢さま、良かったですね」
万感の想いがこみあげてきて目頭が熱くなった。
「ありがとう、ミリー」
アリシアはミリーの手を取って微笑んだ。
***
朝食後、ブレイクが訪ねてきたので、昨日のアーロン・スミスという騎士の事情聴取について尋ねてみた。
「彼は現状、犯罪者ではないので、食事も部屋もちゃんとしたものを用意したんだが、何も食べないし、喋らない。ただ……酷く怯えているようでね」
ブレイクは思案しながら腕を組んだ。
この日、アリシアはブレイクと一緒にアーロン・スミスの事情聴取に立ち会った。
取り調べ室の真ん中にテーブルがあり、向かい合わせでアーロンとブレイクが椅子に座る。
アーロンは重い表情で俯いていた。目のクマが酷く、皮膚がカサカサで不精髭もそのままなので、余計にやつれた顔つきになっている。たった一晩で十歳も年をとったようだ。
アリシアは部屋の隅に置かれた椅子に腰を下ろし、二人の様子を見守った。
ブレイクが優しい口調で質問を始めた。
「おはよう。夕べは少しは眠れたかい?」
何を尋ねてもアーロンは俯いたままだ。
ブレイクがどのような状況で剣が手から抜けたのか訊ねても、じっと黙秘を続けている。
「事故だったのなら、それを説明して欲しいんだ。手からすっぽ抜けただけで、あんな風に一直線に剣が飛ぶだろうか? 正直、僕にはアリシアに向かって剣を投げつけたように見えたんだ。それが違うというなら、ちゃんと説明して欲しい。それが納得いくものであれば、君もすぐに解放されるよ」
それでもアーロンは頑なに沈黙を守り続けた。
きっと昨日もこの調子だったのだろう、とアリシアが思った時、ブレイクが深い溜息をついた。
アリシアはブレイクに目で合図を送った。自分も直接彼に尋ねたいことがある。
ブレイクは室内で護衛している騎士達に、退出して扉の外側で警備するように指示を出した。
井戸に突き落とされたことはまだ他の人間には知られたくない。
騎士らは躊躇っていたが『不穏な物音が聞こえたらすぐに入ってきてくれ』と言われて、ようやく部屋から出ていった。
アリシアは椅子を引っ張って、ブレイクの隣に座る。
そしてアーロンを見つめながら口を開いた。
「あなたは満月の夜に私を井戸の中に突き落としましたね?」
アーロンの肩がビクッと揺れた。
それでもアーロンは俯いたままで黙っている。
アリシアは大きく息を吸った。
(ハッタリも多少は必要よね)
「王宮では新しい犯罪捜査の手段として指紋を使用することにしました。指紋というのは……」
指紋捜査についての概要を説明し始めると『何の話だ?!』とアーロンが怪訝そうな顔つきでアリシアを見つめる。
「つまりですね。私の部屋に残された遺書、そして、井戸の傍で見つけたボタンにあなたの指紋がついていたら、あなたはもう申し開きができないということです!」
それを聞いたアーロンは何故かホッとした表情を見せた。
「それは……俺の証言がなくとも、俺の有罪が決定づけられるということですね?」
ブレイクとアリシアは初めて喋った彼の言葉に戸惑った。
「そうだ。アリシアの言った通り、指紋が物的証拠ということになる。しかし、今の君の発言で、君は自分の罪を認めたのと同じだぞ? 分かっているのか?」
「あっ!?」
アーロンは慌てふためいている。
「あの……俺はあくまでも黙秘を貫いたが物的証拠が出たせいで有罪になった、ということにしていただけませんか?」
弱々しく告げるアーロンにブレイクは鋭く切り込んだ。
「君は脅されているんだね? 何か喋ったら……例えば家族を殺すとか? 人質に取られているのかい?」
途端にアーロンの瞳に涙が盛り上がった。
「……っ」
無言でポロポロと涙をこぼすアーロンにブレイクが優しく諭す。
「アーロン。僕が君の家族を救出する。だから、誰から脅されているのか教えてくれないか? 恐らく、その人物がアリシアを殺すように依頼したんだろう?」
アーロンは必死で首を横に振り続ける。
「アーロン。君の家族を助けたいんだ。表立って行動すると家族が危険に晒されるというなら、隠密を使い秘密裏に救出できるか検討する。それに、ここでの会話は僕とアリシアしか知らない。君を脅している人間の耳には絶対に入らない」
「そうですわ。それにご家族を救出できたら、罪を償った後にご家族と一緒に名前や身分を変えて外国に逃げ出すことも……」
アリシアは言いかけて、そんなこと自分が判断していいことじゃない、と反省して途中で口をつぐんだ。しかし、ブレイクは『大丈夫だ』というように頷いた。
「もし、君が協力してくれたら、君たち家族が外国に逃げ出せるようにこちらも協力しよう。もちろん、何らかの処罰は受けてもらうができるだけ軽くなるよう努力する。…………こういうのを司法取引というんだろう?」
最後の部分だけは小声でアリシアに囁く。
異世界で学んだ司法取引という概念をブレイクに説明したことはあったが、それをちゃんと覚えて応用できていることに感心した。
アーロンは頭の中で必死に考えを巡らせて迷っているようだったが、最終的には首を縦に振り、全面的に協力することを約束した。




