リリアンヌの独白④
「お前の、記憶のことだがな」
私がわんわん泣いて、ようやく落ちついた頃、お父様が切り出した。
「ずび」
「…他言はならんぞ」
「あ、はい」
まあ当然だよね。
お父様お母様だから分かってくれたんで、他人に話せることではないし。
あ、でもカチュアが。
「だからカチュアを同席させた」
え、どういうこと?
「私たちがいつもそばにいられるとは限らんからな。正直、お前は隠すのが下手すぎる」
えー。そんなダメ出ししなくても。
「普通の3歳はそういう態度はせん」
悔しいからちょっとそれっぽくしてみる。
「わたしりりあんぬ。みっつ」ゆびさんぼん。
「きゃー!私の天使だわ可愛いわリリアンヌ!」ぎゅー。
…お母様、ちょろいのね。
あ、お父様ががっくりしてる。
「いいからそれはやめなさい。で、カチュアだが」
「はい。私は何を?」
「カチュア、お前にはこの子の教育係を頼みたい」
へ?カチュアが、教育係?
「教育係…ですか?わたくしなぞがお教えすることが」
「ある。嫌という程な」
「?」
「お前はここまでの話、どう思う?」
「…正直、理解が追いついておりませんが、お嬢様がかなり特別な方、というのは分かりました」
そ、そうかな。ちょっと自ま…
「褒め言葉ではないぞ」
え?そうなの?ちぇ。
「これこの通りだ。見た目に対して、中身が成熟しすぎている」
「はい。それはおっしゃる通りかと」
「そのくせ自覚が足らん」
ええそんなこと、
「そうねえ、ちょっと脇が甘いわよねえ」
お母様も!?
「公爵家の息女ともなれば、多くの貴族達の目に晒されるのは当然として、あのしたたかな連中の中に今のリリアンヌを放り込んだらどうなると思う?」
「…それは」
「美味しく頂かれちゃうわねえ」
何言ってるんですかお母様!?
「そういうことだ。公爵家は連中にとって目の上のたんこぶでもあり、同時に最上級の馳走でもある」
「リリアンヌ様、ですか」
「そうだ」
え?どゆこと?母が私の疑問に答える。
「子供のあなたには教えていなかったけれど、すでにかなりの数の貴族があなたを妻に迎えたいと」
!!せ、政略結婚ですか!?
「そ、それで?それどうしたんですか!?」
「今は心配はいらん。『まだ幼すぎる』と断っている」
よ、よかったーーーー!!
「まあ時間の問題ではあるがな」
上げて落としてきたーーーーーーーーーーーーーーー!!
「じ、時間の問題?」
「そうだ」
「ど、どういうことですかお父様」
「この国の貴族の婚姻は、押しなべて早い。『結婚の誓約』は特に、な」
「ど、どの位?」
「もしこれが他家なら、お前にはもう婚約者がいる」
えええええええええええ。
「だが、私は未成熟なもの同士が、碌に自覚もないまま契りを結ぶのを、あまり好ましく思わない」
あ、そういえば。
「お父様は、お母様が18になるのを待って結婚されたのでしたね」
「それでも早い位だ」
「私はもっと早くても良かったのですが」
「え、何故ですか?」
「だって、一日でも早く好もしい殿方の下へ行きたいと願うのは当然でしょう?」
お母様、お父様にベタ惚れなんですね。あらお父様ちょっと顔赤い。
「…ともかく。お前を娶るものは、すなわちギュスターブ公爵家の力を得る、ということだ」
「跡継ぎ、ということですか?」
「違う。あくまで後継はギュスターブ家直系の者に限られる」
「ということは」
「今はお前が唯一の後継者だ」
「では、もし」
「お前が夫を取り、かつ子ができねば、わが家は途絶える、ということだ」
ひええ、責任重大じゃん!
「それを知るからこそ、各家が躍起になって婚姻を申し込んでくる。『夫を取らねば、ギュスターブ家は断絶だぞ』と」
「うえ」
「その上で、お前と自家の血を引くものが子を成し、それがギュスターブ家を継げば、あとは言わずとも分かるだろう」
「合法的な乗っ取り、ですか」
「馬鹿な連中だ。公爵家に血を入れれば栄華を誇れると思い込んでいる」
「違うのですか?」
「血だけで維持できるほど、公爵の責務は甘いものではないぞ」
…知らなかった。私が生まれてから、いや、生まれる前から父や母、ご先祖様はずっとこうやって家を守ってきたのか。
「話が横道に逸れたな。お前の話だ」
「は、はい」
「先程も言ったように、お前を我が物に、と狙う貴族は多い」
「はい」
「隙を見せれば容易に付け込まれる。お前が思っている以上に貴族達は老獪だぞ」
「それほど、ですか」
「だから、お前は彼らに付け込む隙を与えてはならん。例えば
『公女リリアンヌは3歳だが、実は16歳の記憶を持っている』
『その記憶はこの世界のものではなく、別の世界のものである』
『その世界は、ここより大きく発展しており、我々が知らぬ技術を多く持っている』
どうだ?お前は自身の価値をどう見る?」
「すっごいレアですね。でも私、実際はそんな大したこと知りませんよ?」
「事実は問題ではない。『公爵家令嬢リリアンヌは公爵家の継承権を持ち、かつ、見知らぬ世界の記憶をこの世でただ一人持つ』という付加価値だ」
「『この世でひとり』、ですか…」
「他の者が見つからない限り、そうなる」
うわー。自分の価値なんて今まで考えたことなかったけど、
確かにこれは大事だ。
「そこで、カチュアの出番だ」
「?」
「彼女は、メイド長であると同時に、お前と同じ公爵令嬢だ」
「えっ!」
思わずカチュアを見上げる。
「正しくは『だった』、ですが」
「カチュアは、現ハイランド公の異母姉だ。現ハイランド公が生まれるまでは、お前と同じ公爵家の継承権を持っていた」
「そう、なの?」
「はい。義弟が生まれた後は継承権を譲りましたが、16歳までは」
「だからこそ、お前の教育係にうってつけなのだ」
「そのことですが、旦那様」
「うん?」
「私は、何をお嬢様に教えれば」
「決まっている。『公爵令嬢としての立ち振る舞い』だ」
礼儀作法ですか?
「リリアンヌ。『ルリ』とやらの記憶のせいか、お前の言葉や身のこなしはどうも貴族らしくない」
うっ、痛い所を…
「だが、それまでのお前はそうではなかったはずだ」
うん。言われてみれば。私の記憶にある「リリアンヌ」はちいさいなりに貴族の身のこなしができていた。あれ?じゃなんで今できてないの?
「どうやら『ルリ』の記憶と経験に、幼い『リリアンヌ』の心と体が引っ張られているようだな」
あー。そうかも。いや、多分そうだ。今の私はリリアンヌだけど、思考のベースは「瑠璃」だもんね。
「だから、今のうちに直しておかねばならん。特に『ルリ』の方には、貴族のあり様を身に沁みるまで教え込まねば、後々厄介なことになる」
「厄介、ですか?」
「先に言ったろう、『時間の問題』と。望む望まないに関わらず、いずれお前は貴族・王族の誰かと婚姻の誓約を結ぶことになる。その時に、今のままでは簡単にぼろが出るぞ」
「そうしたら?」
「最悪、それを材料ににギュスターブ家は食い物にされる。『娘の秘密を他に知られたくなければ』、だ」
「いや、そんなまさか公爵家を脅すなんて」
「いいえお嬢様、旦那様の懸念は間違っておりませんよ。貴族とはそうしたものなのです。皆がそうではありませんが、大半は己の地位と力を貪欲に求めるものなのです」
少し悲しそうに、カチュアは語る。
「…私にとって、選択の余地なく与えられた継承位など、あまり興味のあるものではありませんでした。しかし、義弟が生まれ、ある貴族が直系の子である弟の正当性を声高に訴えるようになってから、私の周囲は一変しました。私を推す者達と義弟を推す者達。相争ううちに、気が付けば、私と義弟の間には大きな溝ができてしまいました。取り返しのつかないほど大きな溝が。…私はただ、義弟と手を取り合って生きていければ、それだけで良かったのですが」
「上手く、いかなかったの?」
「ですから、私は今ここにいるのです」
父が、カチュアの言葉を継いで語る。
「カチュアは、継承権を放棄しハイランドの名を捨てることで、ハイランドの家と義弟である公を守った。しかし、カチュアを担いでいた者たちの中には往生際の悪いのもいてな、こうして私が預かっていると言う訳だ」
「旦那様には感謝の言葉もございません」
「気に病む必要はない。ただ、お前の経験、成功も失敗も含めて、貴族とはどうすべきか、どうあるべきか、リリアンヌに身をもって教えてやって欲しいのだ」
カチュアは身じろぎもせずその場で思案している。やがて、
「承知致しました」
カチュアは、私たちに向かって一礼をすると、
「…非才の身なれど、リリアンヌ様のため、全力を尽くします」
そう返事をした。
…そうして、父と母、カチュアによる3年間の「教育」が行われ、私は「今の私」になった。