ラストシーンは地縛霊とともに(3)
「続編きたぁぁぁぁぁ!」
山本先輩は、天井へ届きそうな勢いで飛び上がった。
興奮のあまり、全身が震えている。
「ちょっと調べます」
スマートフォンで検索する。
『星環のアルカディオン2』は、昨年の夏から秋にかけて放送されていたらしい。
全24話。
「24話ありますけど」
「見るに決まってるでしょ!」
「……ですよねー」
「見ないまま成仏できると思う?」
「さっきまで、すっきりしたって言ってませんでした?」
「それとこれとは別よ!」
◇
長丁場に備え、商店街の弁当屋で夕食を買った。
食事と入浴を済ませ、翌日の入学式へ行く準備も整える。
これから24話を見るなら、終わるのは朝になる。
多少睡眠時間は削られるが、入学式の受付には間に合う計算だった。
山本先輩は、自分のせいで予定を狂わせている自覚があるらしく、俺が支度をしている間は大人しく待っていた。
「それじゃ、始めますか」
「待ってました! お願いします!」
再生ボタンを押す。
先ほど見た最終回の場面から続く形で、新しい物語が始まった。
先輩は相変わらず、画面へ食い入るように見入っている。
けれど、これまでの話をほとんど知らない俺には、登場人物の関係も用語もよく分からない。
しばらくは画面を眺めていたものの、日付が変わる頃には、まぶたが重くなり始めた。
「影山くん、寝ようとしてない?」
「してません」
「ほとんど目が開いてないよ」
「開いてます」
「寝られると困るんだってば。私、画面に触れないんだから。途中で確認が出たら、次の話を再生できないでしょ」
「その時は起こしてください」
「幽霊の私が、どうやって起こすの」
先輩は俺の肩を揺すった。
普通に起こせるじゃないか。
「俺には触れるんだから、問題ないでしょう」
「あ、本当だ」
「今気づいたんですか?」
深夜3時を過ぎた頃、意識は少しずつ曖昧になっていった。
スマートフォンを見ていたはずなのに、気づけば手から滑り落ちそうになっている。
慌てて握り直した瞬間、部屋の様子が変わっていることに気づいた。
テレビの周囲には、『星環のアルカディオン』のフィギュアが並んでいる。
壁にはポスター。
カラーボックスには、同じキャラクターの衣装違いのぬいぐるみ。
棚の上には大量のアクリルスタンド。
缶バッジで覆われたエナメルバッグも置かれている。
引っ越してきたばかりの、段ボールだらけの部屋ではなかった。
アニメグッズで埋め尽くされた誰かの部屋だった。
(これは……先輩の記憶なのか?)
夢を見ているのかもしれない。
眠気のせいで、今の部屋に過去の景色が重なっているだけなのかもしれない。
山本先輩は、上下で色の違うスウェットではなく、チェック柄のロングスカートに、白いシャツと紺色のカーディガンを着ていた。
髪もきれいに整えられ、薄く化粧をしている。
生きていた頃の姿なのだろうか。
「うち、親が厳しくてさ」
先輩は、棚に並んだグッズを見つめながら言った。
「アニメが好きだって言っても、全然理解してもらえなかった。高校ではバイトも禁止されてたし、グッズなんて一つも買えなかったんだ」
声はテレビから聞こえているようでもあり、すぐ隣から聞こえているようでもあった。
「だから、大学に受かったら家を出ようって決めてた。一人暮らしをして、バイトして、自分で稼いだお金で好きなものを買うの」
先輩は部屋の中を見回した。
「好きなものだけに囲まれて暮らす。それが、ずっと夢だった」
この部屋は、山本先輩が初めて自分で選び、手に入れた場所だった。
「夢は叶ったんだよ」
先輩は笑った。
「でも、夢を叶えた後のことは、何も考えてなかった」
大学へ行っても、友達ができなかった。
周囲の会話へ入ることができず、講義が終わると真っすぐ部屋へ帰った。
部屋へ戻れば、誰にも気を遣わなくていい。
好きな作品を見て、好きなものに囲まれていれば、孤独を忘れることができた。
「一日休んだら、次の日に行くのが怖くなって。二日休んだら、もっと怖くなって」
そのうち、大学へ行かないことが普通になった。
「東京が怖かったんじゃない」
先輩は、少しだけ寂しそうに笑った。
「誰にも必要とされてないって分かるのが、怖かったんだと思う」
部屋の中に、テレビの音だけが流れている。
「だから、ここじゃなきゃ駄目だった」
山本先輩がこの部屋へ縛られていた理由を、ようやく理解した気がした。
未練は、アニメの最終回だけではない。
この部屋そのものが、先輩が初めて手にした自由だった。
外の世界で居場所を見つけられなかった先輩にとって、ここだけが自分の存在を認めてくれる場所だったんだ。
俺にとっての事故物件は、先輩にとっての自己物件だったというわけだ。
「影山くん」
「はい」
「君は、ちゃんと大学へ行ってね」
先輩は俺を見る。
「サークルとか入った方がいいよ。友達もできるし」
「サークルですか……」
「そう。もしかしたら、彼女もできるかもしれない」
「それは無理です」
「即答しなくてもいいじゃん」
先輩は笑った。
「別に、大勢と仲良くしなくてもいいんだよ。一人でも、君がいなくなったら気づいてくれる人を見つけた方がいい」
その言葉に、返事をすることができなかった。
「私さ」
先輩はテレビへ目を戻した。
「最終回も見たかったけど、誰かと一緒に見たかったのかもしれない」
画面の光が、先輩の横顔を照らしていた。
何か言わなければと思った。
けれど、言葉が見つからない。
「それはそうと、そろそろ起きた方がいいよ」
「起きるって……俺は起きてますけど」
「そうじゃなくて。入学式、遅刻するぞ~」
「遅刻って、今何時――」
◇
はっとして体を起こした。
部屋は、引っ越してきたばかりの殺風景な姿へ戻っていた。
カーテンのない窓から、まぶしいほどの日が差し込んでいる。
テレビにはアマソンプライムのホーム画面が表示されていた。
『星環のアルカディオン2』は、最終話まで再生されたらしい。
「山本先輩?」
返事はない。
部屋の中を見回した。
玄関。
窓辺。
テレビの前。
どこにも、山本先輩の姿はなかった。
夢だったのか。
先輩の記憶を見せられたのか。
確かめる方法はない。
ただ、4年間この部屋へ留まり続けた先輩が、もうここにはいない。
(ちゃんと大学へ行ってね、か……)
そこで、大事なことを思い出した。
「……あああああ! 入学式!」
スマートフォンを手に取ると、午前11時になろうとしてる。
今さらと諦めつつも慌ててスーツへ着替え、部屋を飛び出した。
◇
当然、入学式には間に合わなかった。
式だけではない。
その後に行われた、新入生向けのオリエンテーションも、ほとんど終わっていた。
学生課へどうしたら良いか尋ねに行くと、職員は呆れを隠そうともせず、履修要覧と数枚の資料を渡してきた。
「履修登録については、この資料を読んでください。分からないことがあれば、学部の窓口へ」
「オリエンテーションの内容は……」
「資料に書いてあります」
「クラスの説明は……」
「もう終わっています」
塩をまぶしたような対応だった。
大学を出る頃には、日が傾き始めていた。
「なんで俺がこんな目に……。全部、山本先輩のせいじゃないか」
誰にも聞かれないよう、小声で文句を言う。
校門から続く坂道を、冷たい風が吹き上げてきた。
桜並木から舞い上がった花びらが、キャンパスの中を駆け抜けていく。
山本先輩は、無事に向こう側へ行けただろうか。
俺は途中で寝落ちしてしまい、『星環のアルカディオン2』をほとんど見ていない。
いつか再会した時に話ができるよう、今度は第一話からきちんと見ようと思った。
こうして、俺の大学生活一日目は終わった。
この日、オリエンテーションでは、学科ごとの顔合わせが行われていた。
同級生たちは自己紹介を済ませ、連絡先を交換し、すでにいくつかの輪ができ始めていた。
俺だけが、その輪の外に取り残されている。
そのことを知るのは、もう少し後の話だ。




