ラストシーンは地縛霊とともに(2)
「未練かぁ……。いっぱいあるからなぁ」
山本先輩は腕を組み、しばらく天井を見つめた。
この部屋に4年間も留まり続けるほどの未練だ。
よほど重大な理由があるのだろう。
家族へ伝えられなかった言葉。
果たせなかった約束。
あるいは、自分の死に関わる何か。
「一番の心残りは……最終回かな」
「最終回?」
「そう。『星環のアルカディオン』って知ってる?」
「聞いたことはあるような……」
何年か前に流行したアニメだったと思う。
深夜枠で放送されていたにもかかわらず、映像と独特の世界観が話題になり、劇場版も大ヒットしたとニュースで見た記憶がある。
「本当に!? もう4年前だから、知らなくても仕方ないけど、絶対に見た方がいいよ! 七曜騎士のレクトが私の推しなんだけどね、冷静で無口なのに仲間思いで、たまに喋る低音ボイスがもう最高で! 主人公を助けて身代わりになる場面なんて――」
(駄目だ。情報量が多すぎて、頭に入ってこない)
「とにかく!」
先輩は両手を床へつき、身を乗り出した。
「私は『星環のアルカディオン』の最終回を見るまでは、死んでも死にきれないの!」
「もう死んでますけど」
「分かってるよ!」
「それが一番の心残りなんですか?」
「そうだよ!」
思っていたより、ずいぶんスケールが小さい。
「アルカディオンが、私の青春の全部だったんだから」
先輩の口調から冗談が消えた。
たった30分のアニメ。
それでも本人にとっては、4年間この部屋へ留まり続けるほど大切なものらしい。
未練の価値を、他人が決めることはできない。
「そうだ! 影山くん、アマソンプライムに入ってない?」
「入ってませんけど」
「お願い! 今だけでいいから契約して! それで、私にアルカディオンの最終回を見せて!」
先輩は勢いよく額を床へ打ちつけた。
幽霊なので痛くはないのだろうが、心配になるほどの勢いだった。
「4年間、いろいろ試したんだよ。新しい人が来るたびに、必死で叫んだり、目の前で手を振ったり、体当たりしたり」
先輩は額を床へ向けたまま言った。
「でも、誰も気づいてくれなかった」
声は、先ほどまでとは違っていた。
「そのうち、期待するのもやめた。どうせ誰にも見えないんだから、ずっとここにいるしかないって」
泣いてはいなかった。
ただ、諦めたように笑っていた。
最終回を見たい。
それは本当なのだろう。
けれど、本当にそれだけが未練なのだろうか?
「分かりました」
「え?」
「見ましょう。最終回」
先輩が顔を上げた。
「本当に?」
「俺も、このまま相部屋を続けるわけにはいかないので」
「もう、素直じゃないなぁ!」
◇
引っ越し業者が荷物を運び込み、慌ただしく部屋を出ていった。
テレビを接続し、大量の段ボールから必要な機器を探し、視聴の準備が整った頃には、窓の外が夕暮れの色へ変わっていた。
テレビ画面には、アマソンプライムの作品ページが表示されている。
「準備できました。再生しますよ」
「ちょっと待って! 4年も経ってるから、あらすじを読ませて!」
先輩は画面の文章を一行ずつ追い、何度も頷いた。
やがて満足そうに親指を立てる。
「よし。いっちゃって!」
再生ボタンを押した。
最終回だからなのか、オープニングは流れず、すぐ本編が始まった。
先輩はフローリングへ正座し、少し前のめりになって画面を凝視している。
「嘘でしょ」
「そこで来る!?」
「レクトぉぉぉ!」
感情が、すべて声へ出ていた。
きっと生きていた頃も、同じようにテレビの前で騒いでいたのだろう。
俺は邪魔をしないよう、少し離れた場所で、クッションを枕代わりにして横になった。
「影山くん」
画面から目を離さないまま、先輩が言った。
「ありがとうね」
「何がですか?」
「私を見つけてくれて。アルカディオンを見せてくれて」
「……いえ」
「幽霊だから、何もお礼できないけどさ。あの世で再会したら、お願いを一つ聞いてあげる」
「一つだけなんですね」
「何個も頼まれたら困るもん」
思わず笑った。
「楽しみにしておきます」
物語はクライマックスを迎えた。
敵を倒した主人公が、仲間たちの待つ街へ帰還する。
歓喜に包まれた画面が、ゆっくりとエンドロールへ移っていく。
先輩は、最後まで瞬きもせず見つめていた。
「ふー! 最高だったぁ」
大きく息を吐き、満足そうに床へ寝転がる。
「最後に、この高揚感を味わえてよかった。私、案外ついてるかもね」
「もう、心残りはありませんか?」
「全然ない、とは言えないけど」
先輩は、テレビを見たまま静かに答えた。
「でも、すっきりした。だから、もう大丈夫――」
その言葉が、不自然なところで止まった。
「先輩?」
山本先輩は、テレビ画面を見つめたまま固まっていた。
俺も画面へ目を向ける。
エンドロールの横に、次の作品を案内する表示が出ていた。
『星環のアルカディオン2』
「……嘘だろ」
「「セカンドシーズン……?」」
二人の声が重なった。




