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推してもらうには近すぎる!  作者: 塩田 樹


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Episode228



冬の空気は一層冷え込んでいて、吐く息が白くなる。

誰からともなく足早になりながら、5人はいつもの道を進んでいった。


サロンから少し歩いた先にある、行きつけの居酒屋。

木の引き戸を開けると、外とは別世界のような暖かさと、賑やかな声が迎えてくる。


「いらっしゃいませー!」


「お、皆さんこんばんは!奥の個室あいてますよ!」


店員の声に軽く手を上げながら、木嶋が笑う。


「お邪魔しまーす!今日は飲みますよー!」


「お前はいつもだろ」


田鶴屋が呆れたようにツッコみながら、奥の席へと腰を下ろした。



***



注文を終え、飲み物が運ばれてくる。


「とりあえず……お疲れー!」


「お疲れ様です!」


グラスが軽くぶつかる。

その音は、いつもと同じはずなのに――


どこか、空気が硬い。


「いや〜今日ほんと静かすぎて逆に怖かったですよね!」


千花がいつもより少し大きめの声で言う。


「絶対明日からやばいですよ!?私もう今から震えてますもん!」


「大丈夫大丈夫!そういう時ほど意外と何とかなるって!」


木嶋が明るく笑い飛ばす。


「ほら、美菜ちゃんも!飲んで飲んで!」


「……うん、ありがとう」


グラスを手に取る美菜。

けれど、その笑顔はどこかぎこちない。


それを、誰もが気づいていた。


瀬良は静かにグラスを置いたまま、美菜の様子を見ている。


無理に明るく振る舞っているのが分かる。

でも、その奥にあるものは――消えていない。


「……美菜先輩」


ぽつりと、千花が少しだけ不安そうに、でもまっすぐに声をかけた。


「もしよかったら……なんですけど……さっきのこと……聞いてもいいですか?」


一瞬、テーブルの空気が止まる。


美菜の指が、グラスを握る力を少し強めた。


「……うん」


小さく、頷く美菜。

逃げることはできないと思った。


「……あのね」


星乃からの情報をできる限りそのまま4人に伝え、ゆっくりと言葉を探す。


「伊月さんが行方不明って聞いて……びっくりしたのはもちろんなんだけど……」


そこまで言って、一度言葉を飲み込む。


胸の奥にある“本当の理由”は――

少し、言いにくかった。


でも。


「……京都でさ」


ぽつり、と落ちる。


「ロビーで会ったって話……覚えてる?」


瀬良の視線が、わずかに動く。


「あの時の伊月さん、ちょっと様子おかしかったの。田鶴屋さんが止めに入ってくれないと危ないと思えるくらい……正直、怖かったの」


その言葉は、はっきりしていた。


「なんか……いつもと違うっていうか……何考えてるか分からなくて」


指先が震える。


「でも、あの時……」


唇を噛む。


「私、確かに“友達ならなれるかもしれない”って……言ったのに伊月さんを突き放した。もし、それが引き金だったらどうしようって……」


ぽつり、と。


「私のせいで……ああなったんじゃないかって……」


言い終わった瞬間。


誰もすぐには口を開かなかった。


その代わりに――


「いやいやいやいや!」


最初に声を上げたのは、木嶋だった。


「それは違うって!100%違う!」


テーブルに手を叩く勢い。


「だってあいつ普通にヤバかったじゃん!?前から!」


「うん、それは俺も思う」


田鶴屋が静かに頷く。


「河北さんに対する執着もそうだし、行動も……正直、常識の範囲を超えてた」


「ストーカー気質でしたもんね……」


千花も小さく言う。


「美菜先輩が怖いって思うの、当然だと思います……」


「むしろよくあそこまで優しくしてたよね!」


木嶋が続ける。


「普通もっと早く切ってるって!」


次々と重なる言葉。


それは全部、美菜を責めるものではなく――守るものだった。


「……でも」


それでも、美菜は首を振る。


「それでも……あの時、やっぱり助けてほしかったのかもしれないって……思っちゃって」


「それはない」


静かに、しかしはっきりと瀬良が口を開いた。


全員の視線が、そちらに向く。


「……仮にそうだったとしてもそれを美菜が背負う必要はない」


落ち着いた声で瀬良はまっすぐに美菜を見る。


「お前はあいつの保護者じゃないし、責任もない」


「まあそうなんだけど……」


「それに」


一瞬だけ、言葉を選ぶ。


「……あいつがもし、美菜に嫌われたことが原因で消えたとしてもそれはもう、どうしようもないことだ」


冷たいわけじゃない。

ただ、現実的な線引きだった。


「相手の感情まで、全部コントロールできるわけじゃない」


「……」


「だから、全部自分のせいだって考えるな」


その言葉は、強くはないけれど――深く響いた。


美菜の目が、少し揺れる。


「……でもさぁ」


そこで、田鶴屋がゆっくり口を開いた。


少しだけ、迷うような間。


「一つ……気になってることがある」


「え?」


全員の視線が田鶴屋に集まる。

田鶴屋も思うところがあるらしい。


「“一緒にいた女”の話」


その一言で、空気がまた変わった。


「……実は」


田鶴屋は、グラスに視線を落としたまま続ける。


「東谷さんがさ……突然辞めただろ」


「……詩音さん?」


千花が小さく呟く。


「うん。“辞めます”って一方的に連絡来て、それっきり無断欠勤で退職扱いになった」


「そういえば……急だったよな、あれ」


少し木嶋の声が低くなる。

木嶋にとってやはり衝撃的ではあった事なのかもしない。

田鶴屋は周りの反応を見つつ言葉を紡ぐ。


「その後な、彼女の母親から何回か店に連絡が来てる」


「え……?」


美菜の顔が上がる。


「“仕事辞めたあとから娘が帰ってこない”って。捜索願いも出してるらしい」


一瞬、全員が言葉を失う。


「店が関係してるんじゃないかって……何度も言われたよ」


苦笑するように、肩をすくめる。


「もちろん、関係ないって説明はした。でも……正直、ずっと引っかかってた」


静かな告白だった。



***



そこからは、自然と話が繋がっていった。


「……じゃぁ伊月と失踪したのは詩音ちゃんの可能性アリって事で、元々伊月と絡んでた……というか指示されて来てたって感じ?全部自分が美菜ちゃんに近づくために掻き乱し要因として?」


木嶋が腕を組む。


「ええ……でも失敗しちゃったから2人して失踪って事ですか?」


「いや東谷が失踪したとしても伊月まで失踪する必要ってなくないか?もしかしたら逆上して東谷が伊月を連れて行ったの方が可能性はあると思う」


瀬良が淡々と口を挟む。


「でも、あいつのやり方考えると……まだ裏で何か動いてる可能性はある」


そして、一瞬だけ視線を美菜に向ける。


「だからこそ美菜は、もう伊月と関わるな」


できるだけ瀬良は優しいトーンではっきりと告げる。


「探る必要もないし、気にする必要もない」


「……」


「……店長としてはさ」


田鶴屋がぽつりと言う。


「東谷さんのこと、気にはなるよ。ああいう形で辞めて、そのまま行方不明ってなると……」


責任、という言葉は口にしなかったけれど――


誰にも分かった。


田鶴屋という男はいつも誰かの問題を全部背負おうとする。


「でもさ」


木嶋が軽く笑う。


「もう退職してるし、正直そこまで背負う必要なくないですか?」


「そうですよ!」


千花も続く。


「私たちがどうにかできる範囲じゃないと思います……」


「……だな」


瀬良も短く同意する。


「……そうだよな」


田鶴屋は、どこか寂しそうに小さく息を吐いた。

多少肩の力は抜けたような表情をしているが、その奥にはやり切れない気持ちがまだあるのだろう。


その中で――


美菜だけは、まだ静かだった。


(……違う)


みんなの言ってることは、分かる。


頭では理解できる。


自分のせいじゃない。

伊月の問題。

関わるべきじゃない。


全部、正しい。


(でも……)


心の奥が、ざわつく。


“もし、本当に死んでたら?”


“もし、自分の言葉が最後だったら?”


(……怖い)


逃げたい。


“自分のせいじゃない”って思って、全部切り離したい。


でも同時に――


(あの時……)


最後に会った京都のロビー。


どこか壊れたような、あの目。


(……助けてほしかったのかもしれない)


その可能性を、どうしても消せない。


優しさなのか、ただの自己満足なのかも分からない。


ただ――


その“もしも”が、重くのしかかる。


「……美菜」


気づけば、隣にいた瀬良が心配そうにこちらを覗き込み、机の下で手を握ってくれている。

その温かさと絶対的信頼度で無条件に安心してしまう。

まるで寒さで凍えている心を溶かすように。


「無理に答え出さなくていい」


低く、静かに。


「今は、それでいい」


その一言で――


張り詰めていたものが、少しだけ緩んだ。


「……うん」


小さく、頷く。


完全には晴れない。


でも――


一人じゃない。


そう思えたことが、ほんの少しだけ救いだった。


グラスの中の氷が、カランと音を立てた。




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