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推してもらうには近すぎる!  作者: 塩田 樹


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Episode227



イベントから数日後――。


サロンには、あの熱気が嘘のように穏やかな空気が流れていた。


クリスマス前だというのに、今日は妙に予約が少ない。

静けさが、逆に不気味なほどだった。


「いやー、嵐の前の静けさ!見てくださいこのサロンボード!」


千花が受付のカウンターに身を乗り出しながら、大袈裟にため息をつく。


「どう考えても爆発してますよぉ〜これ!絶対明日から地獄ですよね!?やだぁ〜〜!」


ボードに並ぶ予約の空白と、その先に詰まり始めている数日分の予約。

誰が見ても、“来る”と分かる忙しさの予兆だった。


「はは……ほんとだね」


美菜は苦笑しながら、千花の肩を軽く叩く。


「こんなに今予約が無いと、逆に不安になるよね。一応分散のお願いはしてたけど……」


「ですよねぇ〜!でも結局、みんな来たい時は同じですもんねぇ……」


「うん。クリスマス前と年末は、どうしてもね」


髪を整えて、新しい気持ちでその日を迎えたい。

それは誰だって同じだ。


だからこそ――この静けさは、ほんの一瞬の“隙間”でしかない。


「……もしかして今日が、今年最後のゆったりした日かもね」


ぽつりと美菜が呟くと、千花はピタッと動きを止めた。


「え、やめてくださいよ怖いこと言うの……!」


「ふふ、でも本当だよ。だから今のうちにやれることやっちゃおっか」


そう言って、美菜は軽く手を叩いた。


「シャンプーの補充とか、棚の整理とか、普段できないところ」


「やりますやります!あ、私カラー剤の棚ずっと気になってたんですよ!」


千花の目がキラッと輝く。


「いいね。じゃあ千花ちゃんはそこお願いしていい?」


「任せてください!ピカピカにしてやりますよー!!」


勢いよく雑巾を掴んで走っていく後ろ姿に、美菜は思わず小さく笑った。


(ほんと、元気だなぁ)


その明るさに、何度救われただろう。


視線をサロン全体へと向ける。

瀬良、田鶴屋、木嶋――トップスタイリストたちの席は、やはり埋まっている。

忙しそうではあるけれど、アシスタントも足りている。


(……少しだけなら、大丈夫だよね)


美菜は近くにいたアシスタントに声をかける。


「ちょっと外の掃除してくるね。何かあったら呼んで」


「はい、大丈夫です!」


その返事を確認して、美菜はコートを羽織り、外へ出た。


***


「う〜っ……寒い!」


外に出た瞬間、頬に刺さる冷たい空気に思わず肩をすくめる。


街はすでにクリスマスの気配に包まれていた。

まだ点灯していないイルミネーションが、夕方を待ちながら静かに並んでいる。


どこか落ち着かない、浮き足立った空気。


その中で、美菜は店の前にしゃがみ込んだ。


「元気そうだね」


赤く色づいたポインセチアに、そっと触れる。


数日前、千花と一緒に植えたばかりのものだ。


『これ花ですかね〜?草ですかね〜?でもクリスマスといえばこれですよね!』


そんなことを言いながら笑っていた千花の顔を思い出す。


「寒さに負けずに、大きく育つんだぞ〜」


誰に聞かせるでもない言葉。

それでも、自然と口からこぼれる。


不思議と、こういう時間は好きだった。


静かで、少しだけ心が緩む時間――。


「あら、綺麗なポインセチアね」


不意に落ちてきた声に、美菜の手が止まる。


聞き覚えがある。

いや、忘れられるはずがない声だった。


ゆっくりと顔を上げる。


そこに立っていたのは――


「……その“うわ”って顔、やめてくれる?」


冷たく整った美貌。

変わらない、どこか人を見下すような視線。


「……はは……お疲れ様です、星乃さん。お久しぶりですね……」


星乃朱里。


できることなら、もう二度と関わりたくなかった相手。


過去の出来事が、頭の中にフラッシュバックする。

サロン内での衝突、大会での一件、木嶋の怪我――


どれも、軽く流せるものじゃない。


(なんで、ここに……)


警戒心が一気に跳ね上がる。


「今日、瀬良くん出勤してる?」


何気ない口調。

けれど、その一言で空気が張り詰めた。


「急ぎで伝えたいことがあって連絡したんだけど……電話出ないから来たの」


「へー」


美菜は立ち上がりながら、わざとらしく肩をすくめる。


「星乃さんのサロン、そんなに暇なんですか?」


ぴくり、と星乃の眉が動いた。


「今日は休みなの。それより――」


一歩、距離を詰められる。


「この繁忙期に土いじり?予約の無いスタイリストって、お荷物じゃないのかしら?」


「……」


ぐっと、奥歯を噛む。


(相変わらず……)


だが、引く気はなかった。


「たまたまこの時間空いてただけです。別に暇じゃないんで」


視線を逸らさずに言い返す。


「瀬良くんも仕事中ですし。伝言なら私が承りますので、どうぞお帰りください」


はっきりと、線を引く。


これ以上関わらせるつもりはなかった。


瀬良と――この人を。


「…………そう」


一瞬、沈黙。


その後、星乃はふっと口元を歪めた。


「なら貴女に伝えちゃうわ」


その笑みを見た瞬間、嫌な予感が走る。


「どうせ、そのうち耳に入ることだろうし」


ゆっくりと、言葉が落ちる。


「伊月海星が、行方不明になったの」


「……え?」


一瞬、理解が追いつかない。


「誰も足取りを掴めない。連絡もつかない。そんな状態らしいわ」


「伊月、さんが……?」


あの、どこにいても目立つ存在の男が?

突然、消えるなんて――


「関係者が極秘で捜索願いを出してる。でもね」


星乃の目が細くなる。


「最後に見かけたっていう証言があるの。公道で、“女”と一緒にいたって」


心臓が、ドクンと大きく鳴る。


「……もしかして」


星乃が、わざと間を置く。


「そのまま、心中でもしたんじゃないかって話」


「っ……!?」


息が詰まる。


「どういう……ことですか……!?」


声が震えるのが分かる。


「分からない?まあ、いいけど」


軽く肩をすくめる仕草すら、神経を逆撫でする。


「瀬良くんに伝えておいて。私はもう、この件を最後に伊月海星にも貴女たちにも関わらない」


くるり、と背を向ける。


「だから、これ以上何も聞かないで――」


「待ってください!!」


気づけば、美菜は星乃の腕を掴んでいた。


「伊月さんが行方不明って……!その女って誰なんですか!?瀬良くんが何か――」


「ちょっと、離しなさ――」


その瞬間。


「美菜!!」


鋭い声が空気を裂いた。


振り向くより先に、強く引き寄せられる。


気づけば、美菜は瀬良の背中の後ろにいた。


「……美菜に何した」


低く、抑えた声。


怒りが滲んでいる。


「はあ?」


星乃は呆れたようにため息をついた。


「何もしてないわよ。伝言を頼んだだけ」


面倒くさそうに手を振る。


「2回も同じ話するの嫌なの。河北さんに聞いて」


それだけ言うと、もう振り返ることなく歩き出す。


ヒールの音が、遠ざかっていく。


残されたのは――


張り詰めた空気と、荒くなった美菜の呼吸。


「……美菜」


瀬良が、ゆっくり振り返る。


その目には、明らかな焦りと警戒が浮かんでいた。


「今の、何の話だ?なんで星野がいたんだ?」


美菜はすぐに答えられなかった。


心臓がうるさい。

頭がぐちゃぐちゃで、言葉がまとまらない。


それでも――


「……伊月さんが」


やっとの思いで、声を絞り出す。


「行方不明、なんだって……」


その一言で

空気が、さらに重く沈んだ。



***



その後のサロン営業は――静かだった。


いや、正確に言えば“静かに感じた”だけかもしれない。


ドライヤーの音、シザーのリズム、スタッフ同士の声掛け。

いつもと変わらないはずの空間が、どこか遠くにあるように感じる。


「河北さん、次こちらお願いします」


「あ、はい……」


名前を呼ばれて、ワンテンポ遅れて返事をする。

手は動く。技術も問題ない。仕上がりだって完璧に近い。


それなのに――


(……伊月さんが、行方不明……)


頭の中に、あの言葉が何度も繰り返される。


“女と一緒にいた”

“心中かもしれない”


そんな非現実的な話が、どうしても離れない。


(嘘、だよね……?)


信じたくない。

でも、星乃がわざわざあの場でそんな嘘をつく理由もない。


鏡越しに映る自分の顔は、思っていた以上に強張っていた。


「……大丈夫ですか?」


お客様に心配されて、はっとする。


「あ、すみません……大丈夫です」


無理やり口角を上げる。

美容師として、それは最低限の“プロ”の顔だった。


けれど内側は、ひどくざわついていた。



***



「……美菜……」


閉店後。

シャッターを半分下ろしたサロンの中で、瀬良は小さく名前を呼んだ。


だが、その声は美菜には届いていないようだった。


シャンプー台の前で、ぼんやりと立ち尽くしている。

手には何も持っていない。ただ、動かない。


(……完全に上の空だな)


瀬良はタオルを畳む手を止め、視線を向ける。


どう声をかけるべきか――それが分からなかった。


伊月海星の失踪。


その話は、数日前――

イベントのときに、笹原から別の形で聞かされていた。


『これは、ここだけの話だけど……今、ドラマの撮影が途中で止まってるの。理由は海星チャンが一旦休業したから』


『……休業?』


『うん。業界に戻ったばかりで不安定だったのに、さらに今回のことで色々言われてるみたい。

噂ではね……一人の女の子とイチャイチャしてるところを誰かに見られたとか。マスコミに嗅ぎつけられる寸前だったって。

アタシとしては美菜チャン絡みだと思ったけど……隣にいた女の子は美菜チャンじゃなかったワ。

ちなみにスキャンダルはドラマの監督が、必死で揉み消したらしいわよ』


あの時の、意味深な言い方。


その後、詳細を聞いて、瀬良は確信した。

これは軽く扱っていい話じゃない、と。


だからこそ――


(……言わなかった)


美菜に。


余計な不安を抱かせたくなかった。

伊月という存在が、美菜にとって“安全”とは言い切れないからこそ。


そして、正直なところ――


(このまま何事もなく、もう美菜の前から消えてくれればいい)


そんな考えも、どこかにあった。


伊月の執着は、明らかに異常だった。

あれ以上関われば、美菜がまた巻き込まれる可能性もある。


だから、終わってほしかった。


静かに、何も残さず。


それなのに――


(最悪の形で、表に出てきたな……)


星乃の登場。

そして、あの伝え方。


よりにもよって、美菜に直接。


瀬良の拳が、ぎゅっと強く握られる。


(……今、何考えてる)


視線の先。


美菜は、まだ動かない。


その横顔は――


あまりにも、暗かった。



***



「なになにー?瀬良きゅんも美菜ちゃんも、空気激重じゃね?」


受付カウンターに肘をつきながら、木嶋がひそひそ声で言う。


「……こりゃ、なんかあったな」


その隣で田鶴屋が腕を組み、静かに2人を観察していた。


サロン内には、片付けの音が響いている。

だが、その空気はどこかぎこちない。


「美菜先輩……お外に出てから、ずっとあんな感じなんです……」


千花が心配そうに小声で言う。


「話しかけても、ちょっと上の空で……」


「喧嘩って感じじゃねぇよな」


「うん。瀬良くんも、あれは怒ってるっていうより……」


「……考えてる顔、だな」


田鶴屋が短く言い切る。


その言葉に、2人も頷いた。


明らかに“何か”があった。

けれど、それが何なのか分からない。


このまま放っておけば――


「よし」


田鶴屋がパン、と手を叩いた。


「このままにしとくと、明日の営業に響くな。飲みに行くぞ」


「えー!?」


千花が素っ頓狂な声を上げる。


「今のあの2人、飲みに行く雰囲気じゃなくないですかぁ!?」


「だからだよ」


即答だった。


「こういう時はな、無理やりでも場を変えた方がいい」


「なるほど……強制イベントってやつですね……!」


「言い方な」


木嶋が苦笑しながら立ち上がる。


「まあでも確かに、話聞かないと分かんねーしなぁ」


ぐっと背伸びをしてから、ニヤッと笑う。


「よっし!俺、瀬良きゅん行くわ!」


軽い足取りで歩き出す木嶋。


その勢いのまま、千花の背中をぽんっと押した。


「ほら千花ちゃん!美菜ちゃん頼んだ!」


「え、ちょ、ちょっと待ってくださいよー!心の準備が……!」


押し出されるように、美菜の方へ向かう千花。


その背中を見送りながら――


「うーん……」


田鶴屋は小さく唸った。


視線の先には、それぞれ離れた場所にいる2人。


交わらない距離。


「……これが吉と出るか、凶と出るか」


ぽつりと呟く。


強引にでも動かすべきか。

それとも、そっとしておくべきか。


一瞬だけ、迷いがよぎる。


だが――


「……まぁ、なんとかなるか」


最後は、軽く肩をすくめた。


長年、人を見てきた勘。


このまま沈ませておく方が、よほど良くない。


だからこそ――


「腹くくるか」


静かに、そう呟いた。


これから始まる“飲み会”が、

ただの息抜きで終わるとは――


誰も思っていなかった。


お久しぶりです。

約1年開けましたが最終章このままエンディングまで突っ走ります。

話が重たくならないように木嶋と千花が頑張ってくれると思います。

まだ長く続きますが、最後までよろしくお願いします。

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