では知らない方がいい
祠の中に置いた神像に向かって手を合わせ「この里と泉をよろしくお願いします」と願う。
そして、小さな観音開きの扉をそっと閉じ、私は再び手を合わせて一礼した。
「よし。帰りましょう!」
「はい、そうですね。プテラ」
「え、ヘンシン、やだ。ミカ、ニンゲンのが、すきだし」
「…………はあ。では、二人とも僕が担いで走りましょう。どうせ近いですし」
「いやいや、私は自力で走りますって。ていうか体がなまってるので走りたいです。ザコル、チベト派集落まで競走しましょうよ」
「それは、いくらなん……………素晴らしい提案ですね?」
「ふふっ、乗ってくれた。魔法使ってもいいですよね? ハンデってことで」
「もちろん。僕を行動不能にしないことを条件にするなら」
ザコルが行動不能になるのは、私が魔法で作った新雪やみぞれ沼に落とされた時だ。そんなことをしたら護衛任務も続けられなくなるので、今回は封じ手とする。
「ずるい! ぼくもやる! やっぱりヘンシンする!」
「それじゃ意味な」
「待てっ」
私達を引き止めたのは、案内役の男だった。
「あー……スルーしてくれなかったかぁ」
「できると思うのか!?」
男はそう喚いた。ザコルは冷静に「ふむ」とうなずく。
「この件をマヤ殿に報告しますか」
「へっ、いや、違う、報告は」
「しないのですか?」
「できると思うのか!?」
男は再びそう喚いた。ザコルも再び「ふむ」とうなずく。
「まあ、普通はそうかもしれませんね」
まあ、素直に報告なんてしては、私達を止められなかったこの男も叱られるだろう。彼は案内役であり、余所者が余計なことをしないよう監視する役も負っていたはずだ。
しかもこの男、祠の下に魔法陣があることまでは知らなかったようである。立場上見てはならぬものを見てしまったかもしれない、という意味でも軽々しく報告なんてできまい。そう、普通に考えればそのはずだ。
「僕はどうやら君の『信心』を見誤っていたようです。もっと深いものがあるのかと」
「なっ、なんだと!?」
この山で信仰を守る民のくせに、祠を勝手にいじくるなどの神への冒涜を上に報告しないなんて、あなたの『信心』も存外大したことないんですね、とザコルは言いたいらしい。男が私に『信心のない余所者』と言ったことへの意趣返しだろうか。
にま、と口角が上がる。
「ザコル。そんなに意地悪そうな顔をしないでください」
「嫌でしたか?」
「いえ、大好物です。だから意地悪するなら私にしてくださいよ、ね?」
「なぜ僕がミカに嫌がらせを……?」
「たまにしてくれるじゃないですか。目の前でヨソの男口説いたりとか」
ぶっ、思わず目の前の男が吹いた。
「僕は彼を口説いたわけではないんですが」
「あんなにナイスな嫌味、私には言ってくれないじゃないですか」
「ミカに言っても返り討ちに遭うだけですので」
「そんなこと言わずにくださいよ、あなたの感情全部」
私はザコルの腕に絡み付きつつ、改めて周りをぐるりと窺う。しかしどんなに感覚を研ぎ澄ませても、誰かが潜んでいる気配は感知できない。
「……マヤ様なら、こっそり見てたりするかなあと思ったんですが」
「ええ」
「へっ!?」
男もキョロキョロとした。やはりと言ってはなんだが、余所者の案内と監視以外は申しつかっていないようだ。
はあ、とザコルが溜め息をつく。
「あぶり出せませんでしたね」
「泉を暴くのはやり過ぎですよ。でも、結局本人も影もいないみたいですね。ザコルもそう思いますか」
「ええ。ですが、自信はありません」
「ザコルがそんなことを言うなんて」
「僕は無敵ではないと常日頃から言っているでしょう。とはいえ、あれには驚かされましたね」
あれとは。一度去ったと思っていた赤頭巾おじが平然と会話に割り込んできて、サカシータ一族を含む戦闘員全員が戦慄した一幕のことである。聖域『女神の寝所』でのことだった。
「彼とは一度、手合わせなどしてみたかったのですが」
「マヤ様と手合わせ!? 貴様番犬の、サカシータの子息だろう!? マヤ様を弑するつもりか!?」
「まさか。いい勝負になると思っているだけですよ、単純に」
にや。ザコルの微笑みに男がゾッとしたように腕を抱く。
「神が与えたもうた番犬の力に溺れているのか……!? 狂っている!」
「溺れるほど武を極めたとはまだまだ思えませんが、常識に疎い自覚はあります。……それとして。君達マヤ派の人間は、よほどこの場所とあの像が怖いようですね」
「こっ、怖いなどとは。番犬風情が、聖域にケチをつける気か!」
「いいえ、正しく危機意識を持って接していることはいいことだと思いますよ」
かつて上司によって、各地のこうした特殊な土地や、そこにまつわるアイテム漁りの仕事を手伝わされていたザコルである。
彼自身はあまり深く追求する気がなく、自分自身の特性に関してすらも無頓着であった彼だが、そういう場所やアイテムがはらむ危険は経験則として、あるいは本能的に理解しているようだ。
「君は視えましたか。あの台座に僕が手を触れた瞬間が」
「瞬間、あの、そこの元魔獣? が変身したのは見たが」
男は真っ白な少年に目をやった。
「変身、ええそうですね。かわいらしいでしょう」
「えっ、あ、ああ? この世のものとは思えんいでたち、だな」
男は先ほど乱気流を起こした魔獣のことも恐れているのだろう。言葉を選んでいる様子だ。
「ザコル、プテラ、かわいい?」
「ええ、かわいいですよ君は」
「ミカ、プテラ、かわいい?」
「はい、とってもかわいいですよプテラ。どちらの姿も」
むふっ。ぎこちない表情の中に、ひとつまみの照れ。
「ミリナ、が、くれる、ウレシさと、にてるよ」
「人はそれを愛と呼ぶんですよ」
「あい」
むふ、ふへへ。私もプテラにつられて照れ笑いする。
そんなプテラは急にてててーっと走って距離を取り、ドロン、と大きな魔獣に変身した。
ギュオギュオ!
乗って乗って!
「今行きますね」
「ミカ、話さなくていいんですか」
「はい、出てきてくれないなら仕方ないので」
ザコルが私を小脇に抱え、ピョーンとプテラの上に乗る。
「おい貴様っ、神像といいその人といい、雑に扱いすぎじゃないか!?」
「あはは、心配してくれてありがとうございます」
「本当にもういくのか!? もう少し説明をくれたって」
「君は、マヤ殿に言いつける気はないんでしょう」
「それはそうだが!?」
「では知らない方がいい」
「……っ」
案内役はにわかに黙った。
「じゃあ、伝言お願いしていいでしょうか案内役さん」
「伝言? マヤ様にか?」
「はい。マヤ様も最初、神像を持っていた私を心配してくれましたね。ありがとう大丈夫です、ってお伝えください」
「……わかった! それは伝えておく!」
「よろしくお願いしますね」
まだ納得のいっていなさそうな案内役を残し、私達は再び空へと舞い上がった。
つづく




