第4話 貴族の会合で「名札」をつけるようにしただけなのですが
ある日のこと。
私はお父様の代理として、近隣の領地との会合に出席していた。議題は街道の整備や商人の往来について。
まあ、そこまで難しい話ではないのだけれど、こういう場は何度出席しても少し緊張する。
何より困るのが、出席者の名前だ。
何しろ、よその領地から来た貴族や役人の方々ばかり。初対面の人もいれば、以前どこかでお会いしたような気がする人もいる。
しかも、皆さん名前が長い。爵位やら家名やらまで含めると、覚えるだけでも一苦労なのである。
そんな中、私は向かいの席に座っている男性に声をかけた。
「そういえば、先ほどのお話なのですが、グレイソン様の領地では……」
「……失礼。私はグレイソンではなく、グレイ“ト”ンと申します」
「あっ」
やってしまった。
「も、申し訳ありません! グレイトン様でしたね!」
「いえいえ。よく間違われるので、お気になさらず」
男性は笑って許してくれたけれど、私は顔から火が出そうだった。ああ、恥ずかしい。
いや、だって似ているんだもの!
それに、先ほど自己紹介をしていただいたとはいえ、一度聞いただけで全員の名前を覚えるのはなかなか難しい。
……ああ、そういえば。
私はふと、前世のことを思い出していた。
前世でも、仕事で初対面の人が集まる会議に出席することがあった。
もっとも、あちらの世界には名刺という便利なものがあったので、相手の名前を確認する手段は一応存在していた。
会議の前に名刺交換をして、いただいた名刺を席順に合わせて机の上に並べる。
これなら誰が誰なのか分かる、というわけだ。
……まあ、実際にはそう簡単でもなかったけれど。
まず、名刺には基本的に顔写真がない。だから、ちょっと目を離した隙に誰がどの名刺の人だったか分からなくなることがある。
それに、いざ相手に話しかけようとしても、名前を確認するためにいちいち机の上へ視線を落とさなければならない。会話の途中でチラッと確認するのも、なんだか失礼な気がするし。
かといって、名前を間違えるのはもっと失礼だ。
なかなか難しい問題なのである。
……ん?
そこで私は、あることに気がついた。
そういえば、前世には名刺以外にも、名前を確認するための道具があったじゃないか。
名札だ。
あれなら、相手の顔を見ながら名前も確認できる。
しかも、この世界の貴族社会には名刺を交換する習慣がない。だったら、なおさら便利なんじゃないだろうか。
そんなことを考えていた私は、会合が終わると、さっそくお父様に相談してみることにした。
◇
「……名札?」
「はい。会合の出席者が、それぞれ胸に名前を書いた札をつけるんです」
私の提案を聞いて、お父様は不思議そうに首を傾げた。
「なるほど。確かに名前は分かりやすくなるだろうが……わざわざそのようなものを身につける必要があるのかね?」
「だって、初対面の方が大勢集まると、名前を覚えるだけでも大変でしょう?」
「まあ、それはそうだが」
「それに、名前を間違えるのは失礼ですし、だからといって、何度も聞き直すわけにもいきませんから」
実際、私は先日の会合で思いっきり間違えてしまった。
あのときは笑って許してもらえたけれど、相手によっては気分を害していたかもしれない。
「もちろん、普段から顔を合わせている人同士なら必要ないと思います。でも、よその領地との会合なんかでは、あった方が便利じゃないかしら」
「ふむ……」
お父様は少し考え込んだ後、頷いた。
「確かに、一理あるな。次の会合で試してみようか」
「本当ですか?」
「ああ。幸い、来週には近隣の領主たちを招く予定がある。そこで使ってみればいいだろう」
おお、話が早い。さすがお父様。
というわけで、私はさっそく名札の準備に取りかかった。
といっても、別に大したものではない。
少し厚手の紙に名前を書き、胸元に留められるように小さなピンをつけるだけ。
会合の前に出席者の名簿をもらっておけば、事前に用意することもできる。もちろん、爵位や家名なども、必要に応じて併記する。
これなら、そこまで費用もかからない。
……うん。なかなかいいんじゃない?
そして迎えた、会合当日。
出席者の皆さんに名札を配ったところ、最初こそ少し戸惑われたものの、事情を説明すると意外にもすんなり受け入れてもらえた。
「なるほど、これは便利ですな」
「確かに、名前を覚えるのが苦手な者にはありがたい」
「実は私も、以前から何度かお名前を間違えてしまったことがありまして……」
ああ、やっぱり。
みんな口には出さないだけで、同じような経験をしていたらしい。
ちなみに、私も当然ながら名札をつけている。
『ヘイミー・コモッセンス』
胸元には、そう書かれた白い札。
うん。ちょっと事務的な感じはするけれど、別に悪くない。
で、肝心の会合はというと。
これが思いのほかスムーズだった。
「ところで、バーネット様の領地ではいかがでしょう?」
「はい。私どもの領地では……」
おお。
名前を確認するために、いちいち頭の中の記憶を探る必要がない。
相手の胸元をちらっと見れば、それで済むのである。
しかも、発言している人の名前もすぐに分かるので、後から議事録をまとめる際にも役立つらしい。
「いやあ、これはいいですな。おかげで今日の会議は心なしか、いつもよりスムーズに進行した気がします」
会合が終わる頃には、そんな声もちらほら聞こえてきた。
中には、自分の領地でも取り入れたいという方までいた。
へえ。それは嬉しい。
特別な道具が必要なわけでもないし、ぜひ使ってもらいたいところだ。
こうして、外部の人間が集まる会合では名札をつける、という習慣が少しずつ広まっていった。
……ところが、しばらくすると、この名札に思いがけない変化が起きた。
きっかけは、とある令嬢が自分の名札に可愛らしい花の絵を描いたことだった。
「あら、その名札、素敵ですね!」
「ありがとうございます! せっかく身につけるものですから、少し可愛らしくしてみようと思いまして」
「なるほど。いいですね、そういうの」
「ふふ。実は、お友達にも好評なんですよ」
聞けば、彼女は絵を描くのが趣味らしい。
最初は自分用に飾りつけただけだったのだが、それを見たほかの令嬢たちも、負けじと名札をおしゃれにするようになったという。
中には家紋をあしらったり、金色の縁取りをつけたりする人まで現れたそうだ。
へえ。さすが貴族社会。こういうところにもおしゃれ心を忘れないらしい。
そして、さらには「その名札、素敵ですね! 私にも一枚いただけませんか?」なんて声が上がるようになり、いつしか予備の名札を持ち歩いて、お互いに交換する習慣まで生まれたのだとか。
「……ん?」
いやいや、ちょっと待って。
それってもしかして、いわゆる名刺交換じゃない?
前世の名刺が不便だったから名札を導入したのに、まさかそこから名刺文化が生まれるとは。
なんとも妙な話である。
まあ、会合では引き続き名札が活躍しているそうだし、皆さん楽しそうだから別にいいんだけどね。
人の顔と名前を覚えるのが……本当に苦手なんです…………




