青い教室と、加速する習得
6月 6日
雨が続く。湿度の管理が難しくなるこの季節、パン生地の機嫌を伺うのは本来なら骨の折れる作業だ。だが、今の僕にはそれさえも数値化されたルーチンに過ぎない。
僕は今週から、町の進学塾に通い始めた。
35歳の男が、大学受験を目指す高校生たちに混じって机を並べるのは、客観的に見れば奇妙な光景だろう。周囲の視線には「学び直しの社会人」に対する好奇と、少しの同情が混じっている。だが、彼らは知らない。僕が彼らと同じ「19歳の精神」を持ってここに座っていることも、僕の脳が今、飢えた獣のように知識を貪り食っていることも。
19歳の僕にとって、教科書の内容はあまりに刺激的だ。
数学の美しさ、世界史の残酷な連鎖、そして生物学が解き明かす生命の神秘。学校教育という「体系化された知」に触れることで、僕の思考はより強固なフレームワークを手に入れつつある。
講師たちは、僕の学習速度に困惑しているようだ。一週間で一年分のカリキュラムを終え、質問の内容はすでに大学教養レベルに達している。
「ガイさん、君は一体、何を目指しているんだい?」
物理の講師にそう問われた時、僕は答えに詰まった。
学位が欲しいわけではない。将来、何かの職業に就くためでもない。
僕はただ、僕という存在が消え去る前に、この世界がどのような論理で構築されているのかを「理解」しておきたいだけなのだ。
暗闇に沈む前の、最後の一瞥として。
塾の帰り道、パン屋の明かりが見えると、少しだけ安堵する自分もいる。
あそこには僕のルーツがあり、僕を「ガイ」として愛してくれるギルバートさんがいる。
けれど、最近の僕は、彼との会話に少しだけ退屈を感じ始めている。彼が語る「経験則」よりも、僕が塾で学ぶ「理論」の方が、世界の真理に近いように思えてしまうのだ。
19歳の若さは、残酷だ。
万能感と傲慢さが、かつて大切にしていた「小さな幸せ」を上書きしていく。
砂時計の砂が落ちる音は、皮肉にも、ペンを走らせる音にかき消されていく。
僕はあと何冊、ノートを埋めることができるだろうか。




