十八歳の決意と、緩やかな潮の流れ
5月 6日
この一ヶ月で、思考の加速は目に見えて緩やかになった。
以前のような、朝起きるたびに脳のOSが更新されているような全能感はない。代わりに、今の僕は深く、静かに、物事の深層へ沈み込んでいくような感覚の中にいる。知能年齢に換算すれば、ようやく「十八歳」といったところだろうか。
ミラー先生に、あのカルテの内容を問い詰めた。
先生は隠し通せないと悟ったのか、あるいは僕の知能が対等な対話に足ると判断したのか、すべてを認めた。
「ガイ。この薬はまだ未完成だ。君の脳が耐えられる限界点は、おそらく五年から六年。それを過ぎれば……」
「霧が戻ってくるんですね。以前よりも深い、真っ暗な霧が」
僕が言葉を継ぐと、先生はただ黙って頷いた。
五年。
一人の人間が大学を卒業し、社会に出ていくには十分な時間だ。だが、その先に待つのは死よりも残酷な「自己の消失」だ。かつて、いじめられてもヘラヘラ笑っていたあの男に、僕は再び戻らなければならない。いや、副作用を含めれば、それ以下の「何か」に。
恐怖がないと言えば嘘になる。
だが、今の僕には、あの頃の僕にはなかった「選択肢」がある。
今日、ギルバートさんに謝った。先月の生意気な態度を。
彼は相変わらず「愛だ」の「心だ」のと、僕から見れば非効率なことばかり言っている。けれど、彼が焼くパンを改めて食べてみて、気づいたことがある。僕の焼くパンは「正解」だが、彼のパンには「救い」がある。
理屈を越えたところに、人が人を想う技術があるのだ。
僕は決めた。
この残された五年という歳月を使って、僕は「ガイ・グレーム・クロイドン」という男がこの世界に存在した証を、パンの中に刻み込もうと思う。
単なるパン屋の店員としてではない。
僕がバカに戻った後も、ギルバートさんがいなくなった後も、この店が、そしてここで働く誰かが、僕の残した「知恵」と「技術」で生きていけるように。
僕は今、自分の脳を解剖するように分析し、最高のパンのレシピを理論化し、経営の仕組みを構築し始めている。
日記は、いつか僕が読めなくなる日のための、僕から僕への「遺書」になるだろう。
十八歳の春。
砂時計の砂は、今日も静かに、けれど確実に落ち続けている。




