第2話
彼女と別れた後は、決まって売店へ立ち寄る。
いつの頃からか、それが僕のルーティンになっていた。
顔見知りの店員さんに軽く挨拶をして、ふらふらと商品を眺める。
肌着に飲み物。
代わり映えのない棚の中に、一冊の写真集を見つけた。
ふと、湖面に映る雪山の写真に目が留まった。
朝焼けから夕暮れまで、長い時間を閉じ込めたようなその一枚から、冷たい空気まで伝わってくる気がした。
投稿者――「一ノ瀬 朔」
翼を大きく広げた鳥の姿が、記憶の奥でふわりと羽ばたき、脳裏を駆け抜けた。
僕はその写真を、しばらく眺め続けていた。
なぜ惹かれるのか、その理由は分からなかった。
中庭から売店を経由して病室に戻る道は、いつもだいたい十分ほどだった。
ゆっくりと個室のドアを開けると、そこには花瓶を持った一人の少女が立っていた。
「おかえり。待っていたんだよ」
華奢な体は小麦色に焼けていて、胸元の真っ赤なリボンがよく映えていた。
「いつもの散歩だよ」
嘘は言っていない。
だが、真実でもなかった。
「恋人を待たせるのは、よくないよ」
少し不機嫌そうに、黄色いカーネーションの入った花瓶を机へ置く。
「……ごめん。ギブスも外れたから、歩いた方がいいと医者に言われているんだ。今度から気を付けるよ」
思ってもいない言葉を、僕はどんな顔をして言っているのだろう。
「わかってくれたならいいの」
彼女はそう言って、窓の外へ視線を向けた。
「去年の今頃、一緒に旅行に行ったんだよ。覚えてる?」
中庭のベンチを眺めながら、彼女は静かに話し始める。
その言葉は、閉ざされた僕の記憶を無理やり叩くようだった。
「ごめん……わからない」
僕は、その言葉を絞り出すだけで精いっぱいだった。
窓から吹き込む風が、カーテンを揺らした。
中庭から見えたカーテンは、きっとこの部屋のものだったのだろう。
ガシャン――
カーテンに絡まった花瓶が、床へ落ちて砕け散った。
「痛っ」
彼女は割れた花瓶を拾おうとして、指先を少し切ったようだった。
赤い線が、細く浮かんでいる。
「大丈夫」
心配そうに声をかける僕に、彼女は微笑んだ。
「私ね、あなたのお世話ができれば、それだけで幸せなの」
まるで、それが当然のことのように言った。
彼女の指先から垂れる鮮血を、僕はただ見つめることしかできなかった。
ナースステーションで治療を終え、戻ってきた彼女が僕に囁く。
「この花を飾りたかったな」
「私たちに、ぴったりだったから」
「……どういう意味?」
「ひみつだよ」
小悪魔のように、楽しそうに微笑んだ。
この笑顔が怖い。
帰りたい。
あの中庭に、僕の真実がきっとあるはずだ。




