第16話
目を覚ますと、数日間降り続いていた雨は上がり、澄み渡った空が病院の中庭を包んでいた。
午前中のリハビリを終え、久しぶりに中庭へ足を踏み入れる。
青々と茂った草木には、小さな雫が残っていた。
辺りを見回しても、しずくさんの姿は見つからなかった。
手持ち無沙汰になった僕は、中庭をゆっくり歩き回る。
濡れたベンチを眺めながら、途切れ途切れの記憶を整理する。
僕は雨の中、どこへ向かっていたのだろう。
引き出しの中にある、文字のかすれた手紙は何だったのだろうか。
記憶の欠片は、確かにここにある。
思い出そうとするたびに、頭の奥で痛みが走る。
「こんにちは」
その声は、僕を現実へ引き戻した。
振り返ると、そこにはしずくさんが立っていた。
「ここ、座りませんか」
彼女は濡れたベンチを指差す。
「僕はいいですが……しずくさんの服が濡れますよ」
彼女は返事をせず、ハンドバッグからハンカチを取り出した。
そして、濡れたベンチの水滴を一つずつ拭っていく。
僕は、その行動をただ眺めることしかできなかった。
「これで大丈夫」
微笑む彼女に、僕は思わず尋ねる。
「それ、大事なハンカチではないんですか」
「きっと、彼は許してくれます」
そう言って、彼女は少し寂しそうに笑った。
しずくさんは、両手に持っていたペットボトルの一本を僕へ差し出した。
受け取った瞬間、手のひらに冷たさが伝わる。
首筋に当てると、体に残っていた熱が少しずつ引いていく。
「彼とお父さんは、昔から同じ趣味を持っているんです」
そう話す彼女の表情は、悲しそうなのに、どこか嬉しそうだった。
彼女の口から語られる彼との時間に、僕が入り込む余地はないように感じた。
「彼がなかなか目覚めてくれないから……帰国するように言われていて」
彼女の表情が少しずつ曇っていく。
それでも、僕を見る瞳には、何かを待ち続けているような強さがあった。
「……もう、会えないんですか」
気づけば、言葉が口からこぼれていた。
ペットボトルについた水滴が、地面へ落ちる。
「しばらくは、ここに来ますよ」
彼女は優しく笑った。
その笑顔が、失われた何かを呼び戻してくれそうな気がした。




