第9話
「佐藤先輩、こんにちは」
ねーさんがお弁当を持って僕の席に近づいてくる。
彼は挨拶を返した。
「今日は学食行かないんですか?」
今日は珍しく彼が教室にいる。だから、ねーさんが不思議に思うのも無理はなかった。
「一ノ瀬が美咲ちゃんに振り回されてるって聞いてな。見学しようと思って」
彼は笑みを浮かべた。
「佐藤さんから理久の話、聞きたいんです」
ねーさんの誘いに、彼は二つ返事で頷いた。
周囲の視線が、一瞬だけ彼に集まる。
敵意にも似た空気が、教室に薄く流れた。
彼の名前は佐藤恒一郎。医者の家系に生まれ、医者を目指している。
面倒見がよく、周囲に気が利く僕の親友だ。悪癖さえなければ。
「美咲ちゃん、テニス部に入ったんだって」
彼はパンのビニールを破りながら、ねーさんに尋ねる。
「はい、運動部には入りたかったので、中学でやっていたテニスを続けようと思いました」
ねーさんは、僕以外のクラスメートには本当に丁寧だ。
「私の友達のことちゃんが未経験なのに、一緒に入部してくれて」
彼は静かにパンをちぎりながら、話に耳を傾ける。
「今日は、その子のシューズを買いに行く予定なんです」
ことちゃんって誰だろう。
僕の疑問に気づいたのか、少しだけ疑うような目でねーさんがこちらを見る。
「仲良くなったクラスメートの雨宮ことりちゃん。家でも話してたよ」
「……はい」
そんな話は記憶にない。
逆らってはダメな事だけはわかっている。
佐藤の意図が読めない。
いつも以上に警戒する。
「美咲ちゃん、学校にはなれた?」
ねーさんは、二つ返事で答える。
「美咲ちゃん、評判いいよね。仲の良い男の子いるの?」
彼はパックのコーヒーにストローを差し込んだ。
「いないですね」
ねーさんは少し困った顔をする。
「一ノ瀬はどうだ」
一瞬、胸が跳ねる。
「……兄弟ですよ。それに、叱ってくれる人がいいので」
「一ノ瀬ではないな」
「そうですね」
二人は自然に笑った。
「佐藤さんは、どうなんですか」
ねーさんが軽く切り返す。
「恋人は勉強さ。裏切らない」
いや、それはない。
「恋愛の話で、最近気になる事を聞いてね。」
食べ終わった袋をたたみながら、彼は続ける。
ねーさんも女の子なんだな。こういう話題には興味深々だ。
「ポニーテールの似合う女の子と、廊下でいちゃついてる男子がいたらしい」
前日の真琴との一件に違いない。
「誰だろう?ポニーテールの女の子は多いからな」
僕はとぼける。
心臓の音が隠し切れない。
ねーさんは小首をかしげた。
「俺も聞いた話だけどね」
彼は残ったコーヒーを飲みほした。
「あっ」
誰かの机から転げ落ちたシャーペンの音だけが妙に大きく響いた
ねーさんは、とっておきの笑顔を浮かべたまま、目だけが冷えている。
「あとでお話聞かせてね」
今日は、帰りたくない。




