――異世界書記―― 第三章 第十節 表と裏⑤
扉を開けると、そこはまるで異空間だった。
謁見の間は円柱の連なる広間になっている。赤い絨毯が真っ直ぐに伸びた先に玉座があり、その背後には格子状の天窓。しかし、天窓から見えるのは朝日ではなく月明かりであった。
連なる円柱には括り付けられた女性たちの姿があった。
目隠しをされ、ほとんど衣服を身につけていない状態で身動き一つ取ろうとしていない。
また、円柱には青白い篝火が灯されていた。
玉座の前へと視線を向けると、怪しい紋様の魔法陣が描かれ、その中央には緋色と黒のドレスを纏った女――。
魔法陣は魔女の詠唱に呼応するように紫色に輝いていた。
玉座を正面に、跪いて祈りを捧げるように何かを唱えている。
――何かの罠か……? だとしたらマズいな。どうにか様子を見れないものか。
それはそうだろう。どう見てもこの異様さは、なんらかの儀式としか思えない。
しかし、それが一体何を導き出す儀式なのか――俺には検討がつかない。
いくら管理者であろうとも、この世界は自由に魔法を作ることができるため把握することはできない。まぁ、いくつか法則があるにしても、だ。
入り口から様子を伺っていると、詠唱を終えたのか魔女の方から話しかけてきた。
「常闇の間へようこそ――。いつぞやのおチビちゃん」
「ずいぶん念入りだな、炎の魔女。お前がどんな小細工を仕掛けても、俺たちには通じないぞ」
「あらあら、小細工とは失礼ですわね」
魔女は徐に立ち上がると、勿体ぶるかのようにゆっくりとこちらへ振り返った。
「それと――元気だったかしら? あら、ごめんなさい。そんな姿になってこんなこと言われたら返す言葉もないわよね、お化けさん」
「――今日はずいぶんと饒舌ね、お嬢様。百年の間お人形ごっこでおしゃべりのコツでも身につけた?」
「ふん……相変わらず生意気な下民ですこと。ところで――そちらのあなたは神を名乗っているそうね。神様がこのビギナポストの女王であるカリン様にどんなご用でございましょうか。生憎何やら騒ぎがあったようでして人手が不足していますの。さっさと要件を済ませてこの国からご退場願いたいものですわ」
「なら単刀直入に聞く。ビギナポストの世界を歪める因子……俺たちはバグと呼んでいるが、これはお前の仕業か?」
魔女はやはりもったいつけたかのようにとぼけた表情を繰り返す。こちらを嘲るように笑いながら適当なことを言っていた。
――もしや、時間稼ぎをしているのか……? だとしたら、なぜ?
魔法陣が関係しているのか……?
「お前がどれだけとぼけようが無駄だ。お前からは歪みが出ているんでな」
「……何よそれ、酷いじゃない。答えがわかっているなら先に言って欲しいものですわ。まるで道化のように踊らされて、屈辱ですもの」
これ以上時間を稼がれても面倒だ……。
魔法陣は気になるが、ここは一気にかたをつけた方がいいかもしれない。
そう考え、俺は謁見の間へと足を踏み入れた――。
――そのとき、魔女が不敵な笑みを浮かべたのを俺は見た。
「キャハハハハ!! 異次元の穴へと落ちておしまいなさい! “引力の大潮流”!!」
魔女が仕掛けていた魔法陣――時間稼ぎと見せかけ、俺たちを部屋へと誘い込む罠だった。
足元が暗黒の闇の沼地へと変わり、俺とネメアは一気に引力に吸い込まれていった。霊体であるネメアさえその力には抗えていない。魔法での攻撃は幽霊である彼女にさえ有効だった。
「くっ……やっぱり罠だったか……」
「――トウカ様! 気づいていたならどうにかしてよー!!」
「何が起こるかわからねぇんだから仕方ないだろ!!」
「――行き当たりばったりの神様ね!!」
「ずいぶんと仲がよろしいようねぇ。たとえ神といえど、この闇からは逃れられませんわよ!! 二人仲良く異次元の世界を存分に楽しむことね! キャハハハハ!!」
俺とネメアは身動きさえ取れず、闇の引力に吸い込まれていった。
「……はぁ、呆気ない。こんなにも手の込んだ準備を施したというのに」
紫色に輝いていた魔法陣が光の粒子となって消えていくと、魔女は玉座へと座った。興味を失ったような無表情から一変して、愉悦に浸るかのような笑みを浮かべている。
謁見の間には魔女の高らかな笑い声だけが響いた――。
「ああ……なんてくだらない。我らが危惧していた神の存在がこうも呆気ないだなんて……」
この国の人間の自我を貪り、蓄えた魔力を持ってすれば造作もないこと。神を討ち滅ぼすべく立ち上がった焔帝の旗下に加わるまでもなく、自身の力でことを成し遂げてしまったという事実はあふれんばかりに心を満たしていた。
しかし、どこか腑に落ちない。
なぜ、この国の実情が神の目に触れたのだろうか。
表面上、この国はどこをどう見ても普通である。
人々がいて、商いがあって、活気があって――。
そのほとんどが自分の操る人形にすぎないのだが、まさか、その不自然さから綻びが出たのだろうか。
そう、この街の人間のほとんどは、魔女によって自我を奪われ操られている存在。王城に住む人間を除き、街に住む人々のほとんどが操り人形である。
ほとんど、と言うのは、正直なところその全てを掌握し切れていないからである。もし、操り糸の末端に綻びが生じたとしても、もはや雁字搦めの状態で魔女の感知できる術はない。
神の出現により、その糸が綻んだか――あるいは、もっと別の何か、神より与えられし運命によって動かされた者があってもおかしくはない。
しかし、今となってはそれももはやどうでも良いことだった。
昨夜のうちに城内の近衛騎士たち、宮仕えの女たち、官職の者たちなどは全て自我を消し去り、自分の思いのままの存在となっている。
「あとは、これら供物を捧げ、更なる高みへ――そして、妾が新たな神となり、この世界を支配する……焔帝など、足元にも及ばぬほどの力を手にして、世界を弄んでやるんだから」
――なるほどな。
「……!? 誰……!?」
――お前の考えを聞かせてもらった。この街に起きていることも、全部。
「……まさか、そんな……!? 有り得ないわ……」
謁見の間の中央にある空間に、扉が現れていた。
扉から現れた俺たちを目にして、魔女の狼狽した表情がとても滑稽だった。
「異次元の闇に葬ったはず……どうして……」
「俺は神だ。この場所さえ知っていれば、どんなところからだって扉一枚開ければ何度だって来ることができるさ」
「扉一枚……そんなふざけた話があるわけないじゃない!!」
「――全く、お嬢様。異次元に送る魔法があるなら、そこから出る手段だってあるに決まっているじゃないの。ねぇ? 神様。それに、あなたは知っているはずよね? 私がこれまでどこに居たかってことを。そこから抜け出してきている時点で、神様に異次元から抜け出せる力があるってことを見抜くべきだったね」
ネメアの言葉がとどめとなったのか、魔女の表面を覆って居た心の仮面が割れたように、憎悪をむき出しにした表情を露わにして憤り始めた。
「……テメェこのクソ女……いつも、いつもバカにしやがって!! テメェのその澄ました態度……この百年の間に何度夢に見たことか……テメェの顔、声、仕草、雰囲気……全てが頭にチラついて離れなかったんだ!! あぁ、テメェの面影のある女、市民、全員自我を引っこ抜いて燃やしてやったさ!! 気に食わないブタ女どもをこの手で燃やして燃やし尽くして灰にしてやった!! それでもあたしの心は満たされなかった……そうよ、あんたと言う存在をあの世界に置いてきてしまったがために、ずーっと心残りだった……後悔してたのよ。あたしは。テメェの腕と足を切り落としたくらいじゃ足りないわ! 自由を、あらゆる自由をむしり取って目の前で捨ててやっても、この心は満たされない!! あんたを惨めにもボロボロにし尽くしたところを消し炭にしてやるまでは!!!」
魔女は狂乱のうちに叫びながら炎を全身に纏い始めた。
緋色と黒のドレスが紅蓮の炎を伴い、緋い髪の毛は燃えさかるように逆立っている。その姿はもはや、人とは言えるものではなかった。
「とんでもない奴に付きまとわれてたみたいだな、ネメア」
「――そうみたい。なんだか吹っ切れちゃった」
「俺も、こいつには全く同情の余地がないな」
やれやれ。ようやくボス戦らしくなってきたな。
「お前の所業はこの世界の神として決して許すわけにはいかない」
この街を、国を、自分の身勝手なわがままで振り回し、挙げ句の果てに人の命まで弄んだこの魔女はもはや野に放っておいてはいけない。
「ビギナポストの女王――いや、炎の魔女カリン。お前に神罰を下す――!」




