――異世界書紀―― 第三章 第七節 表舞台の魔女と悪霊④
扉を抜けて階段を降りた先には、再び回廊が続いている。地下監獄は平坦なフロアで成り立っているため、看守の詰所へとつながる道がある。
5、60メートルほど進んだ先にある詰所を抜けるとそこが監獄への入り口だ。
最悪な気持ちになるほどの悪臭と、湿気……まともな人間なら、こんな場所では長くは生きられない。不衛生さやカビなどに苛まれ病となり、苦しみながら死んでいく場所。俺がもし現実でこんなところに閉じ込められたら、数日も持たないうちに発狂しそうだ。
そんなことを考えながら、いくつかの区画を抜け目的の牢屋へとたどり着いた。
「ようやく会えたな――ネメア……さん、だったか」
そこには、鎖に繋がれたまま白骨化した死体が待ち構えていた。
死体は静かにそこに座っていた。
「……そっか。こうやって、誰かに自分を見つけてもらうのを待っていたんだな」
錆びた鎖に繋がれた首……そして、切り落とされた両腕と両足……。
それらをわざわざ彼女の目の前に放置していることから、よほどの苦痛を味わったに違いない。もう一つの世界戦のヴァジアも同様の運命を辿り、リンクした運命がこの二人の命を奪った。
それは、この世界が俺たちの手によって創られ、俺たちの手によって自我と役割を与えたことによって起きた悲劇とも呼べる。……いや、悲劇ではあまりにも無責任な呼び方なのだろう。
運命に抗おうにもその両手は奪われ、運命から逃れようにもその両足さえ奪われたのだから。
「すまない……」
無意識に口にしていたのは、そんな言葉だった。
目を閉じ、これまでのことや、世界のことを考えながら目を閉じていた。
すると、意識の遠いところから何かが聞こえた気がした。
――なぜ、謝るのですか?
誰かに話しかけられた気がした。
それは、あまりにも小さな吐息のような声だった。
「謝ることしかできない。大切な人さえ守れない弱い人間だから」
――不思議なことをおっしゃるのですね。
「……不思議?」
小さな吐息のように聞こえていた声が、はっきりと聞こえるようになってきた。
それも、かなり鮮明に。目の前で話しかけられているかのように。
――あなた、神様でしょ? だったら、そんな運命くらい、切り開いて見せてください。
はっきりとした物言いだった。
というか、さっきから俺は一体誰と話を……?
そう思いながら目を開くと、先ほどまで無惨な死体だったはずの白骨の姿がなく、代わりに鎖に繋がれた少女の姿が見えた。
何度も目を瞬いてみたが、その姿は幻ではなさそうだ。
「えーっと……ひょっとして」
――申し遅れました。ネメア・ラ・モルテ・チャダルヌークです。ネメアとお呼びください、神様。
「や、やっぱり……」
ネメアと名乗るそのぼんやりと半透明な少女の姿。その端麗な顔立ちと、霊なのに元気そうな表情が印象的だった。やはり霊体でも元の体に姿は依存するのか、腕や足の部分が見えていない。
「それで、なぜ俺が神だと知っている?」
――……気の遠くなるほど昔、この監獄にいらっしゃったのをお見かけしました。もちろん、ヴァジアさんの目を通してですが。
「なるほど。君は二つの世界が繋がっていることを知っているんだな。ということは……」
――はい。お察しの通り、その時既に私はこの世には……。
「この街は一体どうなっているんだ?」
――この街は……もう一つの世界に飲み込まれた後、外界と隔絶され、空間ごと閉じ込められてしまいました。そのことに気がついた魔女は、やってきた3人の天使に懇願し、自分と自分に付き従うもののみを連れてあちらの世界に渡ったようです。
「天使?」
――……神様がご存知ではないということは、私たちが天使と呼ぶ彼らは神様とは無関係だということなのでしょうね。
3人……という人数に心当たりは無くはないが、今は確証が持てない。
もし、俺の知っている3人なのだとしたら、あの子たちはなぜこの街を滅ぼしたのか、今はどこで何をしているのか……。
そんなことを考えていた矢先……。
何やら俺の背後にいるような、そんな気配があったので、ゆっくりと後ろを振り向いてみた。
すると、両手に刀を構えたアンデッドが俺に斬りかかろうと刀を振り上げている姿が目に入った。
「なっ……!?」
刹那、アンデッドが容赦のない一刀を振るった。
紙一重……間一髪……気づくのがもう少し遅れていたら俺は一刀に斬り伏せられていただろう。俺は咄嗟にネメアの亡骸に飛びつくように躱していた。その一振りによってネメアの亡骸に繋がれていた鎖が切れたようだ。
あまりの突然の出来事に混乱していたのか、俺は分け目も降らずその場から逃げ出していた。きっと、格好の悪い悲鳴をあげていたに違いない。
回廊を悲鳴で響かせながら、俺は全力疾走していた。ネメアの亡骸が背中に張り付いているがもうそんなことはお構いなしだ。
――神様は逃げ足が早いのですね。可愛らしいですわ。
「うっさい! 誰にも言うなよ! 俺はホラーは好きだけど肝試しは怖いから好きじゃないんだよ!」
――神様のお力で浄化させたらよろしいのでは?
「それができればなぁ……俺、魔法の類は一切使えないんだよ」
俺にできるのは、この世の森羅万象を自在にできる力だ。魔法という力ではない。先ほど襲ってきたあいつがアンデッドであるならどうにか封じ込められそうではあるが……。
というか、それ以上にそのアンデッドが身につけていた鎧が無性に気になっていた……。
「なぁ……さっきのアイツなんだけどさ……なんか、鎧っていうのかな、甲冑っていうのかな……なんか、世界観が合わなくなかった?」
――……せ、世界観……はわかりかねますが……。この国の兵士たちが身につけている物とは違う気はしますね。
「なんだかさ……和っていうのかな。俺がすごく知っている国の、古い古い時代の鎧だと思うんだ、あれ」
そんな話をしている合間に、俺はユカリとこの国を見て回った時のことを思い出した。ユカリとこの国を見て回った時に見た日本の甲冑……。
そうか、あの階段の踊り場に飾ってあったやつだ……! 戦争になったら王が身につけて戦に出るとかどうとかそんな話をしていたような……。
まさか、本当にこれを身につけて戦いに出向いたのか……! 世界観ぶち壊しにもほどがあるぞ。いや、今このホラーな世界観には物凄くあってはいるけども。
「まさか……この国の王様……?」
監獄から抜ける扉に手をかけた瞬間、俺の背後の壁をぶち抜いて和甲冑のアンデッドが再び斬りかかってきた。
俺はその瞬間に光の壁を展開したが、どうやら防いでいる様子はない。このアンデッドは実体を伴ってはいるが、その攻撃や本体の種族属性としては不死ではない――幽霊だ。
俺は防ぎきれないと確信し、思わず目を瞑った。
しかし、一向に斬られることがなかったため、恐る恐る目を開いた。
――この方は殺させませんよ……国王陛下。
その国王陛下と呼ばれる和甲冑の一刀を、念力で受け止める幽霊の姿があった。
――ネメアだ。ネメアが念の力だけで壁をも斬り裂く一振りを受け止めて見せていた。
――神様……私は、悲運の人生を遂げました。……いいえ、違う。決して悲運なんかではなかった。あんなにも幸運に出会えたのはきっと私くらいだろうから。ただ、巡り合わせが悪かった、それだけのことだよね。幽霊になってまで、自分を偽っても仕方がないのはわかってる。でも、これだけは言わせて欲しいの。
俺の目の前で、神よりも神秘的な力でそれを受け止める彼女の力強い目が俺に向けられた途端、彼女は涙を零していた。
――私はね、誰も恨んでいないの。ただ、この運命が……ちょっとだけ憎い。ほんのちょっとだけでもいいから、女としての幸せを掴めれば、私はそれで良かったのに。
彼女は、俺に微笑みかけた。
――だからね、神様。もう、私のような子が、この世からいなくなると……いいな。
その慈愛に満ちた表情に突き動かされたのか……。
はたまた、その覚悟にも似た諦めを悟ってしまったからなのか……。
ネメアの念力が徐々に弱まっていくのを感じたからなのか……。
俺は無意識に次の行動を決めていた。




