――異聞録―― 第十一項 「監獄の乙女」③
火の粉が撒き上がる。
なぜこんなことになってしまったのだろう――過去のページをめくるたびに、彼女の心を苛む記憶が蘇る。
ああ、そうだ――わかり合えないんだ。私がこの子を理解できないように、この子も私を理解できない。そうしたページの積み重ねが膨大な魔導書のように力を秘めて、彼女は魔女になってしまったのだろう。
でもそれは、彼女へと向けられた邪悪な視線でこそあれ、彼女一人によって紡がれた物語ではない。彼女は心許ない物干し棒を握りしめた。
上空に撒き上がる火の粉を頭上に集めながら、魔女となった令嬢は宙へと浮かぶ。その瞳にはもはや躊躇という二文字はない。
火の粉は火球となり、火球は魔女の頭上にいくつも集まっていく。魔女が頭上に掲げたその手を彼女へと差し向けると空中から真っ直ぐに降り注いだ。
「――灰燼と為せ、“朱星之落火”」
火球が勢いよく燃え盛りながら彼女の身を掠める――。
その炎熱を掠めた左腕が一瞬で痛みを帯びる。――火傷だ。
背後に落ちた火球は火柱を立てて燃え盛り、その炎が消えることはない。その異常さに、彼女は魔法というものの脅威を身に染みて感じた。
魔女はニヤリと冷淡に嗤う。今のはきっとわざとに違いない。魔女はじっくりと彼女を弄び、疲労し、動けなくなったところを嬲るように焼き尽くそうと考えているに相違ない。
それを知ってか知らずか、彼女は火球を見極めながら地面を駆け回り、時には転がるようにして彼女は避ける。ふと、彼女の視線は屋敷の近くにある蔵の方へと向いていた。屋敷と反対側にいる彼女にとって、屋敷側はまだ足場がある。
火球により燃え上がった地面に次第に行き場を奪われていった彼女は、思い切って屋敷側へと飛び込んだ。
「馬鹿ね――あたしは炎を操れるのよ?」
屋敷から立ち上がる火柱が姿を変え、一気に彼女の方へと押し寄せていく。
彼女はすぐに蔵の中へと逃げ込んだ――。
「キャハハハハハ!! まさか逃げ場のない所に隠れるなんて、飛んで火に入る何とやらですわね!!」
魔女の操る炎が蔵を取り囲むように円を描き、その円周が次第に小さくなり、小さくなるにつれて炎の柱が蔵を包み込んでいく――。
その刹那――。
彼女は蔵の中から勢いよく飛び出し、不用意に近づいていた魔女の額目掛けて力強く物干し棒を叩き込んだ――!
「ッく――! な、なぜ……」
魔女は額から血を流しながら、その場に伏した。片手でその額を抑えながら朧げに見えたのは、水浸しになった彼女の姿だった。
「あなたは知らないでしょうね――この家の蔵には貯水があるの。この貯水をね、節約して節約して……使用人たちの地道な努力がこの蔵には詰まっていた。それを惜しげも無く垂れ流しにするように使っていたあなたを、私、本当は許せなかった」
「この家はこの私、チャダルヌークの物……どれだけ使おうが、私の勝手よ……」
「だからよね。私、あなたのこと好きになれない。でも、解ろうとはした……あなたことを理解しようと頑張った」
「……あなたには、理解できないわよ……未来永劫、天地がひっくり返ったって、このあたしの聡明で深淵な考えは理解できるものですか!!」
魔女が叫んだ刹那――彼女は拾っていた瓶を魔女へと投げつけた。
不意に飛んできた瓶を払いのけようと魔女は片手で力いっぱい振り抜いてしまった。
「いいえ――あなたの考えなんて浅はかなものよ」
瓶は割れ、中に入っていた料理酒――松脂を落とした時に使ったものだった――が魔女の衣服へとかかった――。魔女を囲んでいた炎が衣服へと燃え移った。
「あなたを育てた一族への恩――今生きていることの幸せ――そんな当たり前のことすら忘れて、あっさりと見限るあなたの目には、その料理酒ですら取るに足らないものだと思う。でも、あなたのちっぽけなロウソクの火でもしっかりと役目を果たせることを知っている。あの時あなたが垂らした松脂が、今あなたの運命を変えたのよ」
言葉にならない声を魔女は発した。
自ら生み出した炎で、自らを焼く恨めしさを表す言葉はこの世のどこにも存在しなかった。
焼け爛れた肌を動かしながら、魔女はまだ息耐えない。
恐るべき怨恨というべきだろうか。それは自分勝手な自我に他ならないのだが、魔女の心の奥底を煮えたぎらせ、灼熱の溶岩のように全てを熔かそうとしている。
その勢いはきっと世界を包み込みかねない。魔女の業火によって焼き払われるであろうこの国や世界の未来を見据えた彼女は、熱で微かに爛れたその手を握りしめ、物干し棒を構えた――。
魔女の焼け爛れた肌は次第に修復されていく。それは、炎の力を手に入れた魔女の力の一端なのだろう。炎によるダメージがあるにせよ、怪我が治ってしまえば回復の隙を与えてしまいかねない。
しかし、それでも、彼女の心に蓋をしていた感情が溢れ、とどめを刺すことを躊躇させていた――。
結果として、その良心が彼女の運命をこの悲劇へと導いたのだった。
「――何をしている!」
彼女が棒を振りかぶったその状態は、傍から見れば一方的に嬲っている構図に見えたのだ。おまけに全身に火傷をおい、衣服がほとんどボロボロになったその令嬢の姿は、その場にいる万人の同情を得るには十分過ぎたのであった。
「大変だ!! チャダルヌークの養子がご令嬢を――!!」
彼女はその場で取り押さえられた。
――違う、私じゃない!
――あの子が、あの魔女が!!
そんな言葉は、気をおかしくした女の妄言としか聞こえなかった。
その光景を、駆けつけていた王子が供回りに囲まれながら見ていた。
彼女には、王子のその視線が、まるで魔物でも見るような侮蔑の目に見えた。
彼女の瞳から涙がこぼれた。
周囲の熱気により、その涙はすぐに蒸発していった。
なぜ―― なぜこんなことに――。
彼女は数刻前に感じていた幸福の時を噛み締めていた。
――そういえば、まだお名前をお伺いしておりませんでしたね。私はビギナポスト第二王子、ヴァジア・ルスト・フィリア。……流石に、ご存知でしたよね。では、あなたのお名前を。素敵な舞い姫殿。
その幸福から絶望への落差を呪いながら――彼女は投獄された。
――わ、私の名前は……ネメア。ネメア・ラ・モルテ・チャダルヌーク。以後お見知り置きを。王子様。




