見知らぬ他人と、新しい明日
ぢゅらおです。
このお話は一旦ここで完結です。機会があれば、依頼日記的な感じで日々のお話も載せていきたいと思ってます。アフターストーリーも書いてみたいですね。
俺がその光を放つ華奢な手を、祈るように両手でぎゅっと握りしめた瞬間だった。
視界が、真っ白に染まった。
「なっ……!?」
目を閉じても防げないほどの強烈な光に飲み込まれ、俺の意識は急速に落下していく。まるで、深く冷たい水の中へ引きずり込まれるような、浮遊感と圧迫感。
やがて光が収まると、俺は不思議な空間に立っていた。周囲には無数の映像の欠片が、シャボン玉のようにフワフワと浮遊している。
そこは、蛍の『記憶の海』だった。
俺は引き寄せられるように、ひときわ眩しく輝く一つの記憶の欠片に触れた。
そこに映し出されたのは、俺と初めて出会った日の蛍だった。
俺が「じゃあな」とあの扉を出て行った直後。彼女は誰もいなくなった部屋で、一人ぽつんと立ち尽くしていた。
『……万田知哉』
彼女は俺の名前を、宝物のように何度も反芻していた。ただの高校生である俺が放った、無神経で他愛のない言葉の数々を、彼女はひどく嬉しそうに思い返している。
それまでの彼女は、ただ無機質に誰かの願いを叶え、代償として大切な記憶をすり減らし、忘却の恐怖を紛らわせるために孤独に本を読むだけの空虚な日々を送っていた。俺の頭の中に直接流れ込んでくる記憶が、それを痛いほどに教えてくれる。
彼女の世界は、果てしなく暗く、孤独だったのだ。
だからこそ、あの日。
ただの散歩の途中でフラリと現れ、奇跡の力など知らずに彼女を「普通の女の子」として扱い、腹を立て、呆れ、『蛍』という名前をくれた俺の存在が、彼女にとってどれほどの光だったか。
『また、彼に会いたい』
彼女はポロポロと涙をこぼしながら、自分の中に宿る奇跡の力に願ってしまった。
『誰かのため』ではない、彼女が初めて抱いた『自分のため』の願い。
だが、その代償は絶大だった。システムは容赦なく、彼女のそれまでの人生すべて――本当の名前も、積み上げてきた大事な過去も――を奪い去っていく。
薄れゆく意識の中で、彼女はあの『メモ』を開いていた。
そこには、破られる前の全文が記されていた。
『将来の私に向けたほんの少しの願いなのだが――どうか、奇跡の力を恐れず、人助けの使命を全うして生きてほしい』
過去の自分が残した、呪いのような遺言。
だが、俺に特別な感情を抱いてしまった蛍は、首を強く横に振った。
『ごめんなさい。私……使命よりも、あの人と、万田くんと明日も会いたい』
ビリッ、ビリビリッ!
彼女は泣きながら、使命を強要するその一文を、自らの手で無残に破り捨てたのだ。
「蛍っ……!!」
ハッと息を呑み、俺の意識は現実の平屋へと引き戻された。
ベッドで苦しむ蛍の身体を、今度は暴力的なまでの眩い光が包み込もうとしていた。
理解した。奇跡の力が、使命を放棄し、俺との記憶を何よりも優先しようとする蛍の存在そのものを『エラー』とみなし、代償として消滅させようとしているのだ。あの頭痛は、その予兆だった。
「ふざけるな……!」
俺は彼女の光る手を、骨が軋むほど強く握りしめた。
「もう誰かのためじゃなくていい! 使命なんて知るか!」
俺の声に、蛍がわずかに目を開く。痛みに顔を歪めながらも、彼女の瞳から一筋の涙がこぼれた。
「俺のためにも、もう力なんて使うな! お前はお前のために生きろ!!」
魂を削るような俺の叫びに呼応するように、俺が握りしめた彼女の手から、強烈な熱が弾けた。
パァァァンッ……!!
乾いた破裂音と共に、彼女を縛り付けていた眩い光が限界を迎え、無数の本物の蛍の光のように四散し……そして、天井へと吸い込まれるように、静かに消え去っていった。
後に残されたのは、静寂と、冷たい夜の空気だけだった。
俺が握りしめた手から放たれた眩い光は、やがて静かに空へ溶け込むように消えていった。
力を使い果たした反動か、それとも彼女を縛っていた「奇跡の使命」そのものが砕け散ったからか。
静寂を取り戻した薄暗い部屋で、ベッドに横たわっていた蛍が、ゆっくりとその目を開いた。
「……蛍。わかるか?」
恐る恐る呼びかけた俺の声に、蛍はしばらく瞬きを繰り返した後、ぽろぽろと大粒の涙をこぼし始めた。
「万田……くん……」
俺の名前を呼んだ。その事実だけで、俺の肩から安堵で力が抜け落ちそうになる。
だが、起き上がった蛍の表情はひどく歪んでいた。奇跡を起こした達成感など微塵もない、ただ怯えた子供のような顔だった。
「私……最低なんです」
「……何がだ」
「今まで、助けを求める人を見逃したことが何度もありました。自分が消えてしまうのが、名前も思い出も失って、空っぽになってしまうのが怖くて……逃げたんです」
震える両手を強く握りしめ、蛍は懺悔するように言葉を紡ぐ。
「でも、今日は逃げられなかった。ただの女の子として接してくれた万田くんに、見損なわれたくなかった……。誰かを救いたいからじゃない。万田くんに嫌われたくないっていう、そんな最低で自分勝手な理由で、人の命に関わる奇跡を起こしてしまったんです。……私なんて、生きている意味も、価値もない……っ」
人を救った喜びと、自分の保身からくる後悔。そのどうしようもない矛盾に引き裂かれそうになりながら、彼女は泣きじゃくった。
俺は彼女の言葉を静かに聞き終えた後、ベッドの脇に腰を下ろし、真っ直ぐに彼女の目を見た。
「頑張って頑張って、それでも報われなかったことを、世間は『理不尽だ』という。自分が幸せになることだけを考えることを、世間は『都合が良い』という。助けてもらった恩を仇で返すことを、世間は『不条理だ』という」
俺の唐突な言葉に、蛍がわずかに顔を上げる。
「世の中は、いい言葉よりも悪い言葉に直す方が絶対に楽なんだ。……お前が自分のしたことを『最低だ』『自分勝手だ』って悪い言葉で片付けるのは、ただ逃げてるだけだ」
「逃げてなんか……!」
「そんな中、理不尽だ、都合が良いだ、不条理だで片付けずに、何か価値を見出そうとするお前を――俺は誰よりも人間らしい、そう思ったよ」
使命を持つ神様なんかじゃない。失敗して、怯えて、誰かに嫌われたくなくて見栄を張る。そんな当たり前の感情で泣いている彼女が、俺には誰よりも愛おしく思えた。
「生きることに意味なんて必要ない。生きたいという理由で十分だ。だから、蛍が言ったことは全て間違っている」
きっぱりと言い切った俺の言葉に、蛍は大きく目を見開いた。
涙で濡れた瞳が、俺の顔をじっと見つめている。
俺は少し照れくさくなって視線を逸らし、本棚に並んだ分厚い本を一瞥して口を開いた。
「それに、俺との記憶なんて、お前が記憶の代用にするために読んでるその本の内容に比べたら、全く教養も知識もない無駄な記憶だよ」
あえて突き放すように言った俺に、蛍は強く首を横に振った。
「嘘。私が忘れたくないと思うこの記憶が、無駄なはずがない」
「…………」
「教養も知識も確かにないかもだけど、そんなこと、たくさん忘れてきた私にとってはどうでもいいことだよ」
泣き顔のまま、それでも彼女は力強く、確かに微笑んだ。
もう彼女の手から光は放たれない。記憶を失う呪いも、人を救わなければならない使命もない。
俺は小さく息を吐き、立ち上がった。
「……また忘れる前に、最後に聞いておきたいことがある」
「なに?」
「お前が絶対に忘れたくない記憶ってなんだ?」
あの光の中で、俺はその答えを既に見ていた。彼女は他のすべてを犠牲にしてでも、俺との記憶を残そうとしてくれた。
分かっていてあえてこんな意地悪な質問を投げかけたのは、俺なりの不器用な照れ隠しだった。
俺の問いに、蛍は少しだけ頬を染め、悪戯っぽく目を細めた。
「それは……また明日教えるよ」
出た。これまで散々俺をやきもきさせてきた、その都合のいいセリフ。
だが今の彼女が言う「明日」は、もう記憶がリセットされる絶望の明日ではない。お互いが当たり前に同じ記憶を持ち越せる、希望の言葉だ。
それでも俺はやれやれと、いつも通りに肩をすくめてみせた。
「じゃあ、一生聞けそうにないな」
「そうかな? 私、こう見ても人を見る目には定評あるんだよ」
「なら、その目は曇ってるか間違ってるな。眼科行け」
「ふふっ。なら、一緒に付いてきてよ」
事も無げに言う彼女に、俺はわざと呆れたように聞き返す。
「知らないやつと、お前は眼科に行くのか?」
もしも奇跡の呪いがまだ生きていて、明日になればまたすべて忘れてしまうとしたら。明日の俺は、彼女にとって「見知らぬ他人(知らないやつ)」に戻ってしまう。俺の言葉には、そんな一抹の不安と皮肉が混じっていた。
だが、蛍はベッドから立ち上がり、俺の隣に並んでフリフリのスカートを揺らした。
「そんな人しかいなかったからね」
その言葉の響きに、俺はハッとさせられた。
彼女は今日まで、人の命に関わるような大きな奇跡は一度も起こしてこなかった。
顔も知らない誰かから届く手紙の依頼をこなし、本の内容を代償にして小さな奇跡を与えては、また一人で本を読むだけの孤独な日々。
そして俺と出会ったあの日。彼女は「俺とまた会いたい」という願いのために過去をすべて投げ打ち、それまで彼女の世界にいたかもしれないすべての人たちを「知らない人」にしてしまったのだ。
彼女の世界には最初から、顔も知らない依頼人か、記憶からこぼれ落ちてしまった「他人」しかいなかった。
俺と出会うまでは。
だが、これからは違う。彼女は今、見知らぬ他人ではなく、絶対に忘れたくない『万田知哉』という存在に対して「一緒に来て」と笑っている。
もし万が一、明日になって俺の顔を忘れていたとしても構わない。俺は何度でも彼女に名前を教え、何度でも昨日までの出来事を語って聞かせるつもりだ。
「……だろうな」
俺の短い返事に、蛍は弾けるような笑顔を見せた。
すりガラスの向こうから、夜明けの眩しい光が差し込んできている。
俺たちは並んで、立て付けの悪い扉を開け放った。
「ただの高校生」と「ただの少女」の、今日という新しい一日が始まろうとしていた。
ぢゅらおです。
ここまで読んでくださった方々誠にありがとうございます!!少しでも刺さるものがありましたら、嬉しく思います。
さてさてさてさて……まぁ、そうですよね。うん。
「ごめんなさいっっっっっっっ」すっごい長い期間執筆から距離を置いてました。正確に言うと書く気が起きず、アイデアもわかず、散々でしたね。まぁこのお話はその中でもちょっとでも浮かんできたアイデアを逃がさまいと必死に書いたものなのですが、割と楽しく書けたので良かったです。
短編にする予定だったのですが、合計2万字に達してしまい、友人に聞いたところ分けた方が読みやすいとのことで、短めの連載という形を取らせて頂き、今回で最終話となります!!
次回は長編、書いていきますよー!!!
いつになるのやら自分でも怖いですが……笑
Xなどでは非常に活発に生きているためもし何かあればそちらにお越しください。お待ちしております!
ではまたお会いしましょう!!




