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護衛さんも侍女さんも、セレナイト様も退室した応接室のソファで、私はカルヴィン王太子殿下と二人きりで向かい合っていた。
カルヴィン殿下は銀色の髪を肩まで伸ばした大人しそうな青年だ。青い瞳は知性を感じる落ち着いた風情で、綺麗な所作が育ちの良さを感じさせる。
ホンモノの王子様だ。とても新しい派閥を率いているような野心家には見えない。
カルヴィン殿下、私と二人きりで話がしたい、ってどういうことだろう。王子様と二人きりってだけで緊張ヤバいんだけど。私、とんでもない粗相を無意識でやったか? 個人的に罰せられるのか。田舎の常識は世間の非常識とかあるかもしれないし……。
カルヴィン殿下は私を見て苦笑した。
「そんなに怯えないでよ」
「わ、私は貧相でおいしくないです。田舎の泥の臭いのする有機物ですからっ」
「はは、何それ。別に無体なことをしようってわけじゃないから」
「と、とりあえず、謝っとけば許して貰えますか? ごめんなさい」
「アイサは何も悪いことをしてないよ。
むしろ怖がらせてごめんね」
殿下に謝られてしまった。
有罪、確定じゃん。地獄への扉の隙間が開いちゃったじゃん。
カルヴィン殿下は紅茶のカップをゆっくり傾けた。仕草の一つ一つが優雅で丁寧。さすが王族である。
「アイサには、ラッセルのことを話しておきたかったんだ。きっと自分のことは話さないだろうから」
「セレナイト様のこと、ですか」
「うん。ラッセルがこの短期間で、ここまで他人を信用するなんて初めてのことだ。アイサはすごい人なんだよ」
「……ほへー」
「だからこそ、アイサにもラッセルのことを知っていて欲しい。そしてできる限り力になって欲しい」
「はあ」
「ラッセルは、過去のむごい経験のせいで、人間不信でいるんだよ」
カルヴィン王太子殿下は、セレナイト様との出会いを話してくれた。
カルヴィン殿下が十歳の頃。王宮で開かれた舞踏会で、殿下は護衛の目を盗んで会場を出歩いていた。行ったことのない場所へ行ってみたかったのだ。
舞踏会会場には、休息の取れる小部屋がいくつかある。その部屋のドアの一つに、白いスカーフタイが挟まっていた。幼いカルヴィン殿下は素直にドアを開けて、タイが挟まってたよと声をかけようとした――
「……その部屋のソファで、ラッセルは太ったご婦人に押し倒されてたんだよね。薬を飲まされたみたいで」
「……うげえ」
「ラッセルが部屋に連れ込まれる寸前に、スカーフタイを落としていたみたいで。それに私が気づいたんだな。ご婦人は私の顔を見るなりすぐに逃げて行ったけど。
ラッセルの服はほとんどはだけられていて、顔も体も口紅だらけで、何が行われていたかすぐに想像がつく姿でね」
「うう」
「強烈な香水の匂いが染み付いた、思うように動かせない体で、ラッセルはずっと呻いてた。そんなラッセルを前にして、私も呆然としちゃって」
「……殿下も、幼い頃にとんでもない現場に遭遇しちゃいましたね」
「あ、私のことも気遣ってくれるの? アイサは優しいな」
王族は有事の際の為に、解毒薬を携帯している。全ての毒に効くものではないが、試しにセレナイト様に飲ませてみると、かなり症状は改善された。麻痺を促す薬を飲まされていたらしい。
「ラッセルに話を聞いてみるとね、過去にも何度かあったんだって。あれだけ綺麗な顔してるからね。綺麗な顔って厄災だよね」
「なんだかなあ……」
「男女関係なく襲われるっていうんだから、あの顔に生まれた不幸だね。護身術を覚えてそれなりに体も鍛えて、拳で撃退できるようになった矢先に、薬を盛られたらしい」
「あー、薬は。鍛えててもどうにもならないですもんね……」
「『あのメス豚、絶対殺す』って、悔し涙を流しながら呟いているラッセルを見てね。私は契約を持ちかけた。私の下で働かないかって」
セレナイト様の学業は優秀だった。カルヴィン殿下にまで名前が届くくらいには。
カルヴィン王太子殿下の家庭教師として抜擢し、王太子の名のもとにセレナイト様を庇護する。セレナイト様はカルヴィン王太子殿下に忠誠を誓う。そういう契約を持ちかけたのだ。
「ラッセルの弱みはがっちり掴んでるから、裏切ることはないと確信できるし」
……あら? 見かけによらず王太子殿下、腹の黒いことおっしゃる……。
「私の手足となる人材が、一人でも多く欲しかったんだ。ラッセルなら優秀だし、目の保養にもなるから、傍に置いていて気分がいいしね」
「意外と俗っぽいことをおっしゃいますね……」
「綺麗なものを見るのは、目の保養だろう? 特にここ最近のラッセルは表情が豊かになって、とても見応えがある。アイサのおかげだと思うんだ」
「はえ?」
私?
私、何かしたでしょうか。
「ラッセルがね、記憶力の確かな使い勝手のいい、便利な道具が手に入ったと。例の夜会の直後にツヤツヤしながら報告してきた」
「あの野郎」
「ラッセルにとって、初めての信頼のおける部下だ。
私はね、ラッセルのこじらせた人間不信をアイサが解いてくれるものだと信じている。君がラッセルのそばに居てくれるだけで、すでに安心感が違うんだ」
「過剰な評価です。私まだ、十五歳ですよ? セレナイト様は立派な大人だし」
「ラッセルだってまだ二十一だよ。古老たちから、こわっぱと呼ばれている年齢だ」
「うそ、あの人、二十一? もっと上かと思ってた。苦労が顔に出てんだな。老けてんなー」
「ぶふっ」
カルヴィン王太子殿下は思い切り吹き出した。殿下の笑いのツボに触れてしまったらしい。
しばらく肩を震わせて笑っていた。その様子は普通に十七歳の男の子だった。
「くくっ、ラッセルのあの見た目を、老けてると評した人間は初めてだ」
「あの、内緒にしてくださいね」
「どうしようかな。アイサの弱みとして握っておこうかな。
……ねえアイサ、ラッセルを裏切らないでね」
「裏切るも何も。私は田舎出身で王都では頼る人もいないんですよ。セレナイト様を信用するしか生きていく道はないんです」
「ああ、本当に君は聡明だね。あのラッセルが気に入るわけだ」
「カルヴィン殿下、私は」
「聡明な君のことだから。ラッセルを裏切るということは、私を裏切ることになることも、気付いているよね」
カルヴィン殿下がすっと真顔になった。王族としての威圧感が増す。生まれた時から備えられてきた権力者の顔だ。権力を行使できる人のお顔だ。
いや、怖えって!
私はできるだけ恭しく頭を下げた。
「私は決して裏切りません、カルヴィン王太子殿下」
「私のことは名前で呼んで」
「……なんであなたがた主従は、私に名前で呼ばれたがるんですか」
「へえ、ラッセルも名前で呼べって? アイサ、ラッセルの名前呼んでないよね」
「だって、私とセレナイト様、親しくないじゃないですか」
「……うわあ、ラッセル可哀想。不憫。気の毒。哀れ。そして滑稽」
「なんでっ?」
「さあアイサ。私のことはなんて呼ぶ?」
……カルヴィン様、と呼ばされてしまった。
帰りの馬車の中で、なぜかセレナイト様は私の横に座った。伯爵家のでっけえ馬車なんだから対面に座れよ。
しかも、やたら顔を近づけてくる。私が逃げても無表情の美しく固まった顔を近づけてくる。おかげで私の上体はひどく斜めになってしまった。
しばらくその姿勢で私を見つめ続けていたセレナイト様は、ふいに姿勢を元に戻した。
「殿下の匂いはしない。接触はなかったようだな」
「あんた今、私の匂い嗅いでたの?
キモっ。普通にキモっ」
「アイサの匂いしかしなかった」
「私の匂いを覚えるな、変態! そういうシュミかよ!」
「悪いか」
認めたー!
私はできる限り壁際に寄った。まさかこんな美形の変態がいるとは思わないだろう。不覚だったよ。
セレナイト様はカルヴィン様から何を聞かれたか詮索してきた。でも、話した内容が内容でしょう。私はひたすらとぼけ続けた。
特ニ、大シタコトハ話シテナイデスヨ?
でも、隠せば隠すほど、人は知りたくなるもので。セレナイト様があまりにしつこく聞いてくるので、思わず「カルヴィン様に聞いてください!」と叫んだら、セレナイト様の動きが止まった。
「……殿下を、名前で呼ぶ、お許しが?」
「……許しというより、命令?」
「アイサ、私のことも名前で呼べ」
「やだよ」
「なんでだよ!」
セレナイト邸に到着するまで、私とセレナイト様は延々と喧嘩した。
なんでだよ!
って返すあたりが、まだ若いぜセレナイト。




