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暗闇、注意。
本日も二話投稿します。
見事に咲き誇ったバラの庭園に降りたセレナイト様は、華麗なまでにバラを素通りした。私の腰に手を回したまま、そこかしこで花を堪能しているカップルの間をすり抜け、時には軽く挨拶を交わし、ぐいぐいと進む。
ねえ、バラを愛でる会なんだよね、このパーティ。あんた、バラを避けて通ってないか?
セレナイト様は全くバラの咲いていない、沈んだ暗闇の茂みを見つけると、そこへ真っ直ぐに向かって行った。庭園灯の明かりすら届かない暗闇に入り込んで、ようやく私の腰から手を離した。おい、どこだここ。
セレナイト様は暗闇に紛れるようにしゃがみ込むと、「はあああああああっっ」と長い息を吐いた。
……なんだってんだ?
思わず私もしゃがんでセレナイト様をじとっと見る。穏やかにこやか仮面が外れたセレナイト様は、疲れきった冷たい無表情に戻っていた。
うん、これが私のよく知ってるセレナイト様だ。穏やかじゃないし愛想もよくない、笑顔でダンスなんてできないタイプの人だ。お仕事の時と真逆のキャラだ。
セレナイト様は忌々しそうに私から目を逸らした。
「そんなに見るな」
「こんな珍しいもん、見ないわけにはいかないでしょ」
「ちっ。質が悪いな」
「そりゃ、どうも。私の質が悪いなんて、セレナイト様、もう知ってますよね」
「よく知ってる。君が普通の令嬢の枠から、激しくはみ出していることくらい」
「で。何がどうしたんです?」
「……苦手なんだ……」
セレナイト様は諦めたように地面に座り込んだ。夜会服の尻が汚れるくらい、どうでもよくなったらしい。
「苦手……夜会のことですか?」
「夜会での人脈作りは苦手ではない。派閥を渡り歩いて、貸しを作ったり借りを作ってやったり。それを利用して人脈を繋げていったりするのはむしろ得意だ。それだけでいいならいくらでも夜会に参加する」
「政治的な裏工作の臭いがぷんぷんします。王都の貴族の裏側、見たくねえな」
「場合によっては相手の顔を立てるために、その家の娘とダンスするのは構わない。婚姻を持ちかけられるのは厄介だが」
「わお、そこは想像通り。セレナイト様、モッテモテですね」
「……不特定多数の女性とのダンスは最悪だ。特に香水の臭い」
私はそこで気付いた。セレナイト様が、この茂みに転がり込んだ理由。
この庭園はバラが有名だ。バラの咲いている場所はバラの香りが漂っている。バラを愛でる会だから、屋内の夜会の会場にもたくさんバラが飾られていた。
しかも多くの女性がつける香水は花の香りが多い。特にバラの香りは淑女に人気の香りである。今日も多くの女性たちが、バラの香りの香水を付けてきているわけで。
……強いバラの匂いから、逃げてきたんだ、この人。
もう一度セレナイト様の顔をよく見てみた。いつもの冷たい無表情な気がしていたが、顔色が悪い。本当に気分を悪くしているみたいだ。
そういえば、私が二人の婚約者候補と話をしている間、セレナイト様はご令嬢相手にダンスしまくってた。婚約者候補に付き従ってた派閥のご令嬢たちを、分散させるためだ。次はお相手は私とばかりに、派閥のご令嬢たちはダンスをするセレナイト様に釘付けになっていた。
私が二人の婚約者候補と、話しやすくなるようにしてくれていたのだ。私が大勢対一人という、余計なプレッシャーに潰されないように。
セレナイト様がご令嬢たちとダンスしていなければ、私は大勢の取り巻きたちから、やいのやいの言われていただろう。耐えられないわけではないけど、鬱陶しいことになっていたに違いない。
そうならないように、ご令嬢の目を惹きまくるセレナイト様自身が、虫除けの役割を買って出てくれたのだ。
苦手な香水の香りに耐えながら。
少しだけセレナイト様を見直してしまった。仕事はできる人かと思っていたけど、こちらの仕事のフォローもしてくれるんだ。結果を見据えて動ける男だ。
それは割と結構……格好いいことかもしれない。
セレナイト様はまた一つ大きく息をついて天を仰いだ。外見はすこぶるいい人だから、そんな姿ですらドキッとする。さりげない仕草が、綺麗にハマる。
これはセレナイト様に恋に落ちるご令嬢は後を絶たないだろうな。今日だけでもどれだけ罪深いことをしてきたのかな。
セレナイト様がちらりと私に目を向けてきた。
「……アイサは匂いがしないな。踊っていても不快じゃなかった。
香水はつけないのか。メイド長には何の指示も出していなかったが」
「えーと、おすすめされましたが、断りました。もともと香りをつけるの好きじゃないんですけど」
「そうなのか。貴族の女性としては珍しい。ちょっと、いいか」
セレナイト様の顔が私に近寄ってきた。整いまくった顔が寄せられて一瞬ビビった。
……もう、本当に文句つけようのない美形だこと。
「うん、嫌な臭いがしない。むしろ、いい」
「確かに会場内の香りは、色んな匂いが混じりあってすごいことになってましたね。匂いに敏感な人にはキツイかも」
「分かってくれるか」
「男性でも香水つける人いるでしょ。セレナイト様は違うんだなあとは思ってました。
私の場合は、故郷の相思相愛の相手が香水を嫌がるので、つけないことにしてるんです」
「……は?」
「相手に嫌がられるから、香水はつけたくないですよね」
「はあ?」
セレナイト様が驚いたように目を見開いた。暗がりなのに、この人の瞳はどうして光っているように見えるのだろう。濃紺の瞳が驚愕の色に染まっていた。
「……君の故郷、辺境に……相思相愛の相手が……」
「はい。私のその相手が、強い香りを好まないんですよね」
「……君には、想いあった相手がいる、というのか」
「はい」
「そんな話は、私は聞いていない」
「聞かなかったじゃないですか。
もう、見た目がカッコいいんですよー。スラッとした体躯で、筋肉質で。真っ黒な毛がサラッと流れてて……きゃー!」
「……」
「私を見かけるとすぐにやってきます。私に構って欲しいって表情が、またよくて」
まつ毛の長い大きな黒い目を思い出して、私はニへっとしてしまった。離れるのは少しの間と思っていたけど、もう会いたいな。今すぐギュってしたい。私がいなくて寂しがってないかな。
セレナイト様は呆然としたように呟いた。
「……まさか、君に、相思相愛の相手がいるとは思わなかった」
「はい。すごく仲良しなんです」
「仲良し……それはまあ、初々しい」
「だから私が彼に乗ってあげると、喜んじゃって手に負えなくなることもあって」
セレナイト様はがばっと私に向き合った。私に伸ばした手を上げたり下げたりしていた。さらに、マジマジと見つめてきた。信じられないとその目が語っていた。
「……乗る……乗るのか? アイサ、相手の上に……!」
「そりゃ乗りますよ。好きだから。お互いに一体感を感じますし。一つに繋がっている感じが最高です」
「……おい! 嫁入り前の女性が」
「そんなの関係なくないですか。好きならいくらでも乗りますって」
「いくらでも乗る……アイサ、お前一体どこまで……」
「乗り方もイロイロあるでしょ。いろんな乗り方できると嬉しいし。私が好きなのは」
「まて! それ以上言うな!」
セレナイト様は頭を抱えた。綺麗な形をした眉が深刻にひそめられている。ぶつぶつと「奔放すぎないか。まだ十五歳だぞ。田舎の性文化はそういうものなのか?」と呟いていた。何言ってんだ?
セレナイト様が珍しく、魂が抜けかけた感じで呆けた。呆けてても見れる顔してんだから、ほんと美形だな、この人。
そのセレナイト様が、改めて真面目な顔で何か言いかけた時――
がさり、と茂みの反対側に人の気配がした。草を踏みしめる足音からして、二人の人物がやってきたのかと思われる。
茂みの前で立ち止まった足音に続いて、唐突に激しい衣擦れの音が聞こえてきた。誰かと誰かが抱き合ったみたいな音。同時に「ん、んんっ……」という押し殺した声がしている。
私はセレナイト様と目を見合わせた。声と同時に、リップ音らしきものも聞こえてきた。激しいキスでもしてそうな。
セレナイト様は黙って唇に人差し指をかざして見せた。なんだか真剣な顔してる。押し殺した声はますます激しくなってきていた。
……あー、これは。
ねえねえ、セレナイト様、これって。
うん、もしかしなくても。
この茂みの隣で、いかがわしい事をおっ始めてる人達がいるね。
王都の貴族の夜会って、こういうことよくあるの? 場所とか弁えないの? ここ、人んちの庭なんだけど。 サカリすぎじゃない?
押し殺した声が徐々に大胆になってきた。見つからないことで自信がついて、さらにやってるコトに夢中になっているんだろう。
物音も同時進行で激しさを増している。茂みが擦れる音と衣擦れだけではなく、ひそめられた会話がすぐそこで聞こえていた。
「……いけません、△△次期公爵様。こんな所で、こんなことっ、あん」「ああかわいいよ、私の〇〇」「△△様ぁ。私たちのこんな関係がバレたら、んんっ、公爵様に、叱られ……ああっ」「おまえも期待してるんだろ。何、父にはバレていない。あの父は仕事以外は何も見えちゃいないさ」「やだ、そんなところ触っ……はああ、もっと、もっとぉ」と大いに盛り上がっている。茂みが擦れる音も激しくなってきた。
睦み合いがしばらく続き、「△△様これ以上は……ああっ、こんな体勢は……あん、だめです、そこはらめえ」のあたりで、私は限界を迎えた。
どこまでやる気だ、こいつら。ここ、公爵んちの庭だってば!
私はできる限りの高音で、「にゃああああん」と言ってやった。
猫の鳴き真似である。
猫の声には、自信がある。故郷ではこの声を上げれば猫がうっかりやってきたほどだ。猫まねきのアイサと呼ばれていた。
茂みの向こうの物音は、ピタリと止んだ。
「……猫? 飼い猫が迷い込んでる?」「誰か探しにくるとマズイ。服を整えろ。行くぞ」という声と共に、二人の気配は遠ざかって行った。
もとの静寂を取り戻した暗闇で、私はくたっと座り込んでしまった。
……あー、行った。行ってくれた。聞いてはいけない、他人のムニャムニャを聞かされてしまった。こっそりやってんなら、最中にあんなにしゃべるなよな。
もう、都会の貴族の貞操観念とか、理解できないよ。大貴族んちの暗い茂みは便利な密会場所なのかよ。田舎者でもやらないよ。せめてベッド行け。ここでするな。
ふいにセレナイト様が笑いだした。暗い含み笑いが暗闇の中で静かに響く。
セレナイト様が美しい三白眼で、闇より深い笑顔を作っていた。美形の三白眼、怖いのでやめて欲しい。
「……セレナイト様?」
「素晴らしいな、夜会の庭園の隅。すごいものを聞いた」
「セレナイト様って、イチャイチャの盗み聞きが好き? 悪趣味が過ぎますよ」
「なわけあるか。
これは△△次期公爵のスキャンダルだ。相手の名前も囁いてたな」
「あー……」
セレナイト様の笑いがより深くなった。つまり、より不穏になった。貴族の闇を扱う、仕事モードのセレナイト様だ。この人は、弱みを握らせてはいけない人だ。
私も貴族の名前とか役職とか覚えさせられたから、△△公爵とその息子の事は知ってる。△△公爵が結構な役職についていることも知っているのだ。
セレナイト様は、その△△次期公爵の弱みを掴んだ。センセーショナルで繊細な弱みだ。絶対何かしらの取引に使う気だ……。
「夜会というのは本会場より、暗闇を覗いた方が有力な情報が転がっているのか。盲点だった」
「……セレナイト様、楽しそうすね」
「当たり前だろう。
大物公爵の息子が……次期公爵である長男が、実は同性愛好者だったなんてな」
「あー」
「アイサも聞いてて気付いただろう。次期公爵の愛するお相手は、男性だ」
そう。
……茂みの隣の声、どっちも男だった。男性の低い声で交わされた、「かわいいよ」「あんダメですう」、だったんだよねー。
跡取りを作らなくてはいけない立場の公爵家の嫡男が、男性の恋人を作ってる。しかも肉体関係までできてる。これはなかなか使えるネタだろう。
「男同士の睦み合いの声には反吐が出たが。この夜会、来た甲斐があったな」
「……私は酷い目に会いました」
「とっくに経験済なくせに何を言う」
「ん? なんすか?」
「なんでもない」
隣で男同士の声で始まった時、実はどういうことかちょっと分かんなかったけど。ただ、そういうこともあるんだって、知識では知ってた。本当にあるんだって、びっくりした。
そんでもって、男同士のカップル見つけて、使えるネタだってほくそ笑んでるセレナイト様。この人も十分どうかしてる。傍から見たら普通に変態だからね。
今顔に貼り付いているその禍々しい微笑みは、誰にも見せない方がいい。エグイ本性がダダ漏れているから。ドン引きされるからね。
都会の貴族、相当闇が深い。
あ、変態がちょっとはみ出たかも。見えました?




