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指先で薄氷を割る  作者: 狐丸
レンズ越しの虚飾
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3/25

偽物の温度

「一ノ瀬さん、今週末って暇だったりする?」


金曜日の昼休み、お弁当の蓋を閉めたタイミングで、同じグループの女子生徒から声をかけられた。周りの視線が一斉にこちらへと集まる。


「週末? うん、特に予定はないけど……どうしたの?」


「隣町の駅前に新しいカフェができたんだって。みんなで行こうよって話になってさ。映えるパフェとかもあるみたいだし、一ノ瀬さん写真得意だから綺麗に撮ってほしいなーって」


無邪気で、悪意の欠片もない誘い。凛は頭の中で一瞬だけ計算を巡らせる。ここで少し嬉しそうに頷き、「楽しみ」と添えるのが、一ノ瀬凛としての正解だ。


「わあ、いいね。一緒に行きたい」


口角を上げ、絶妙なトーンで返す。グループの女子たちが「やったー!」「じゃあLINEで時間送るね」と盛り上がる声を聞きながら、凛は胸の奥が急速に冷え込んでいくのを感じていた。


映えるパフェ、盛り上がっているフリをする会話、互いに探り合いながらの共感。それらを否定したいわけではない。ただ、その輪の中にいる自分が、酷く不透明で、スカスカな存在に思えて仕方がないのだ。


放課後、いつものようにカメラバッグを肩にかけ、非常階段の重い扉を押した。

鉄の軋む音とともに広がる、夕暮れ色の空間。フェンス越しに見える街並みは、オレンジ色と群青色の境界線の中に沈みかけていた。


屋上の隅には、今日も冴島凪がいた。今日はコンクリートの上に直に仰向けになり、片腕を額に乗せて空を仰いでいる。


「……寝てるの?」


凛が声をかけると、凪はゆっくりと腕をどかし、目を細めた。


「寝てない。雲が動くの見てた」


「風邪ひくよ。コンクリート、冷たいでしょ」


「一ノ瀬さんって、たまにお母さんみたいなこと言うよね」


凪は身体を起こすと、呆れたようにクスリと笑った。その気負いのない姿を見るだけで、昼間から胸に溜まっていた重たく澱んだ空気が、少しだけ薄まる気がした。

凛は凪の隣に屈み込み、鞄から一眼レフを取り出した。レンズのキャップを外し、ファインダーを覗く。


「……撮ってもいい?」


「断っても撮るでしょ」


凪は拒む風でもなく、ただその強い瞳でまっすぐにレンズを見つめてきた。

ファインダー越しに見る凪は、どこか浮世離れしていた。整いすぎない髪、少し不機嫌そうな眉、夕日を反射して複雑な光を宿す茶色い瞳。クラスの誰も見ていない、誰にも見せていない凪の輪郭が、レンズの底で鮮明に結像する。


カシャ、と乾いたシャッター音が響く。


「……ねえ、冴島さん」


「凪でいいよ。私も凛って呼ぶし」


唐突な呼び方の提案に、凛の指先がピタリと止まった。クラスの誰からも「一ノ瀬さん」としか呼ばれない自分が、「凛」と呼ばれること。その小さな響きの違いに、心臓が跳ねる。


「……じゃあ、凪」


ぎこちなく口にすると、凪は満足そうに口元を緩めた。


「で、何?」


「……私、クラスの人に週末カフェに誘われたの。写真撮ってほしいからって」


「へえ。行けばいいじゃん」


「……行きたくないわけじゃないよ。でも、そこにいる自分がすごく嘘くさくて嫌になるの。笑って、相槌打って、相手が欲しい言葉を渡して……それって、誰でもいいってことじゃない?」


気づけば、誰にも言ったことのない弱音を口にしていた。優等生でなければならないという呪縛を、凪の前でだけは易々と手放してしまう。


凪は黙って凛の話を聞いていたが、やがてポケットからいつもの駄菓子箱を取り出し、白い棒を一本差し出してきた。


「食べる?」


「……これ、駄菓子でしょ。甘いの苦手だし」


「いいから」


強引に握らされたそれを、凛は戸惑いながらも口にくわえた。人工的な甘いイチゴの香りと、ほんのりとした安っぽい砂糖の味が口いっぱいに広がる。


「嘘ついて笑うのが嫌なら、やめれば?」


「そんなの……簡単にできたら苦労しないよ。居場所がなくなっちゃう」


「居場所なんて、ここにあるじゃん」


凪は事もなげに言い切り、凛の顔を覗き込んできた。息がかかるほどの距離。凪の指先が伸ばされ、凛の唇の端、駄菓子が触れている部分にそっと触れた。


カサついた指の皮膚感覚が、直に伝わってくる。微かな熱。


「ここで私といるときまで、そんなつまんない顔しないでよ。凛の本気の顔、私だけに見せてればいいじゃん」


「っ……」


凛は息を飲んだ。

独占欲のような、執着のような、重く甘い言葉。そして、唇に残る指の感触。

昼間の偽物の笑顔とは違う、生々しい「本物の熱」が、凛の全身を駆け巡っていた。

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