第九話 夜
夜だった。
細い雨が降っていた。
ネオンが濡れた路面に滲んでいる。
カイは一人でパチンコ屋に入った。
自動ドアが開く。
爆音。
光。
煙草の臭い。
熱気。
全部が一気に押し寄せてくる。
席へ座る。
玉を流す。
外れる。
もう一発。
外れる。
舌打ちをした。
その時だった。
ふと顔が上がる。
右隣。
空席。
缶コーヒーは置かれていない。
誰もいない。
いつもなら。
リーがいた。
『今日マジで出る』
『昨日も言ってた』
『昨日は昨日』
玉が指から落ちる。
床を転がった。
拾う。
もう一度打つ。
外れる。
思わず鼻で笑った。
「嘘つきが」
返事はなかった。
当然だった。
リーはもういない。
ハンドルを回す。
玉が流れる。
入らない。
少し角度を変える。
入る。
カコン。
また入る。
カコン。
箱が増えていく。
遠くで店員がこちらを見ていた。
嫌そうな顔だった。
「才能って嫌だね」
缶コーヒーを飲む。
ぬるかった。
スマホを取り出す。
画面は相変わらずひび割れている。
通知が溜まっていた。
未読。
着信。
メッセージ。
指が動く。
リーの名前の上で止まる。
押せない。
押したところで返事は来ない。
分かっている。
画面を消した。
スマホをポケットへ戻す。
「……うるせえんだよ」
誰に向けた言葉か、自分でも分からなかった。
結局。
一時間ほどで店を出た。
コンビニの前に座る。
ビニール傘が並んでいる。
買わない。
カップ麺を開ける。
湯気が立つ。
タマが隣にいた。
雨の中なのに濡れていない。
「便利だなお前」
黒い耳が少し動く。
車が通る。
水が跳ねる。
麺を啜る。
熱い。
薄い。
味はよく分からなかった。
ワンの顔が浮かぶ。
『人の金で食う飯うめぇ』
『返せよ』
『今度な』
カイはカップ麺を混ぜた。
底を掬う。
何もない。
「返ってこねえけど」
缶コーヒーを開ける。
小さな音が鳴る。
タマが見ていた。
赤い目。
じっと。
何も言わない。
「……見るなよ」
タマは視線を逸らさない。
麺がなくなる。
湯気も消える。
スマホが震えた。
取り出す。
未読が増えている。
送り主は見ない。
画面を伏せる。
ポケットへ突っ込む。
立ち上がる。
空の容器をゴミ箱へ投げる。
綺麗に入った。
「帰るぞ」
タマが立ち上がる。
黒い影が足元に付いてきた。
交差点へ差し掛かった時だった。
人だかりが見えた。
黄色い規制テープ。
雨に揺れている。
ドローンが二機。
低く浮いていた。
野次馬がざわついている。
「またか」
「今月三件目だぞ」
カイは通り過ぎようとした。
その時。
隙間から中が見えた。
壁が赤い。
違う。
肉だった。
胴体がない。
腕だけが離れた場所に転がっている。
靴だけが綺麗に残っていた。
足が止まる。
タマが低く唸った。
黒い霧が揺れる。
カイはしゃがみ込んだ。
切断面を見る。
骨を見る。
肉を見る。
服を見る。
周囲の声が遠くなる。
骨は砕けていない。
肉も潰れていない。
服だけが先に裂けている。
「……変だな」
気付けば呟いていた。
「何がだ」
横から声がした。
レイドだった。
煙草を咥えている。
いつからいたのか分からない。
カイは切断面から目を離さなかった。
「引き千切ったんじゃねえ」
「切ってる」
レイドが少しだけ黙る。
「見ただけで分かるのか」
「分かるだろ」
「分かんねえ奴の方が多い」
煙を吐く。
カイは立ち上がった。
「事故じゃねえな」
「こんな殺しができるのは……ナンバーか」
レイドの顔が少しだけ険しくなる。
「首に数字付いてるやつか?」
「ああ」
「ナンバー。通称NO」
「俺の見立てじゃおそらく作られた順番だな」
「やべえ奴らだろ」
「やべえで済めばいいがな」
若い管理局員が近くで吐いていた。
顔面蒼白だった。
レイドは顎で死体を指す。
「管理局の戦闘特化個体だ」
「人間と思うな」
カイはもう一度死体を見る。
「黒コートなら何とかなったぜ」
「比べるな」
レイドは即答した。
煙草を水溜まりへ落とす。
「見かけたら逃げろ」
カイは死体を見る。
「逃げれたら?」
レイドは背を向けた。
「見れば分かる」
それだけ言って歩いていく。
雨が強くなった。
黄色いテープが揺れている。
排水溝を赤い水が流れていく。
信号が青になる。
カイは歩き出した。
三歩。
四歩。
そこで止まる。
振り返る。
死体。
腕。
靴。
切断面。
雨。
流れる血。
周囲のざわめき。
全部が遠くなる。
頭の中に残ったのは一つだけだった。
どうやった。
どうやって切った。
何を使った。
どんな力だ。
どんな現象だ。
リーの胸の穴が浮かぶ。
ワンの身体が浮かぶ。
だが今は違った。
悲しみより先に。
知りたいという感情が湧いていた。
「……どうやった」
小さく呟く。
タマがこちらを見ている。
赤い目だけが暗闇に浮かんでいた。
カイは視線を逸らす。
そして歩き出した。
夜は長い。
まだ終わらない。
ポケットの中でスマホがもう一度震えた。
それでも。
カイは取り出さなかった。




