第八十一話 到達者 後半
カイは静かに息を吸った。
肺が痛む。
肋骨。
右腕。
脚。
全身が悲鳴を上げていた。
それでも目を閉じる。
呼吸。
鼓動。
血流。
神経。
筋肉。
骨格。
構造接続。
まず、自分を見る。
世界から音が消えていく。
静かだった。
鼓動だけが聞こえる。
ドクン。
ドクン。
そして目を開く。
177は言った。
――表面しか見えていない。
なら。
もっと奥。
筋肉じゃない。
骨じゃない。
構造ですらない。
その先。
存在そのものを見る。
その瞬間だった。
視界が白く染まる。
頭の奥へ。
映像が流れ込んだ。
白い部屋。
拘束具。
手術台。
若い177。
押さえ付けられている。
研究員。
麻酔。
切開。
人工骨。
固定具。
縫合。
失敗。
また切開。
また縫合。
何度も。
何度も。
何度も。
景色が変わる。
地下。
白い壁。
何もない。
だが。
177は知っている。
この先に何かある。
拳を叩きつける。
壁は動かない。
血が流れる。
それでも叩く。
何度も。
何度も。
何度も。
「……そこまでだ」
低い声。
映像が止まる。
177が立っていた。
苦笑している。
「99にも」
「22にも」
「散々やられた」
「もう慣れた」
接続が弾かれる。
カイは大きく息を吐いた。
鼻血が床へ落ちる。
「どけ」
177は動かない。
「理由は」
「俺が行かなきゃならねえ」
「答えになってねえ」
「この先に」
カイは前を見る。
「全部ある」
177の目が細くなる。
その瞳へ。
金柑色が映っていた。
今までとは違う。
深い。
底が見えない。
カイは一歩踏み出す。
再び接続する。
「だから効かねぇって──」
177の声が途中で止まった。
違う。
カイは気付く。
見る。
ずっと、そう思っていた。
相手を見る。
構造を見る。
記憶を見る。
弱点を見る。
だが。
違う。
これは。
見るための力じゃない。
能力の名前が、頭に浮かぶ。
構造接続。
接続。
繋ぐ。
なら。
一方から覗くだけじゃない。
カイは閉じていたものを開いた。
その瞬間。
世界が反転した。
177の中へカイが落ちる。
同時に。
カイの中へ177が落ちてきた。
境界が消える。
どちらが見ているのか。
どちらが見られているのか。
分からない。
死体置き場。
冷たい床。
胸から溢れ出した黒い霧。
タマ。
リー。
ワン。
レイド。
ロイ。
失ったもの。
拾ったもの。
殺したもの。
守れなかったもの。
そして。
ずっと消えなかったもの。
知りたい。
知りたい。
知りたい。
自分が何者なのか。
何をされたのか。
何を失ったのか。
全部。
そのためだけに。
ここまで来た。
177の目から笑みが消える。
長い沈黙。
やがて。
目を閉じた。
「……そういうことか」
接続が切れる。
カイの身体が揺れた。
鼻から血が落ちる。
それでも立っていた。
177は動かない。
刀も振らない。
ただカイを見ていた。
戦えば。
まだ177が勝つ。
それは変わらない。
だが。
177はゆっくり刀から手を離した。
「俺は」
地下の奥を見る。
「何度もここまで来た」
静かな声だった。
「その先に答えがあると思ってた」
少し笑う。
「だから、答えばっか見てた」
カイは黙って聞く。
「壁を見た」
「壊そうとした」
「中を見ようとした」
「何度もな」
傷だらけの拳を見る。
「でも駄目だった」
177がカイを見る。
「俺は一度も」
少し間を置く。
「自分を見てなかった」
カイの目が僅かに動く。
タリムの声が蘇る。
――自分を見ろ。
177が笑った。
「お前は違う」
「自分を見た」
「俺を見た」
「その上で」
カイの胸を指差す。
「自分まで見せやがった」
短い沈黙。
「だから届いた」
177は壁へ背を預ける。
道を空けた。
「行け」
カイは動かない。
「……もういいのか」
「何が」
「俺を越えろって言っただろ」
177は一瞬きょとんとする。
それから。
声を上げて笑った。
「馬鹿」
刀の柄を軽く叩く。
「喧嘩なら俺の勝ちだ」
否定できなかった。
全身が痛い。
まともに戦えば、もう一度負ける。
177は地下の奥を見る。
「でも」
笑みが消える。
「ここを越えるのは俺じゃねえ」
タマが歩き出した。
白い通路の奥。
何もないはずの場所へ。
赤い瞳だけが真っ直ぐ前を見ている。
177がぽつりと言った。
「22も最後はそうだった」
カイが振り返る。
「あいつも最後には」
177は目を細める。
「俺じゃなく、その先を見てた」
そして。
今度は静かに笑った。
「ようやくだ」
「到達者が現れた」
カイは何も答えなかった。
タマを追う。
一歩。
また一歩。
今まで何度探しても存在しなかった場所。
誰も辿り着けなかった場所。
第五研究区画。
その境界へ。
被験体776は。
ついに――
手を伸ばした。




