第八十話 到達者 前半
白い地下通路に静寂が満ちていた。
遠くでは戦闘音が響いている。
爆発。
銃声。
悲鳴。
だが、そのすべてが壁一枚向こうの出来事のようだった。
ここだけは別世界。
通路の中央で、一人の男が巨大な刀を肩へ担いで立っていた。
NO177。
傷だらけの肉体。
全身に走る古傷。
それでも揺るがない重心。
その姿は、一人の兵士というより巨大な岩だった。
177は口元だけで笑う。
「来たな」
カイは答えない。
静かに構える。
隣ではタマが低く唸っていた。
赤い瞳が177だけを捉えている。
「安心しろ」
177が肩を鳴らす。
「殺すつもりはねぇ」
「……じゃあ何だ」
「確かめるだけだ」
言葉が終わるより早く。
177の姿が消えた。
「ッ!」
速い。
視界から消えた。
気付いた時には目前。
巨大な刀が振り下ろされる。
カイは反射だけで飛び退いた。
轟音。
床が砕ける。
厚いコンクリートが紙のように裂け、破片が壁へ突き刺さる。
冷たい汗が頬を伝った。
「避けたか」
177は嬉しそうだった。
獲物を見つけた猛獣のように笑う。
再び踏み込む。
速い。
見える。
肩の動き。
腰の捻り。
重心移動。
全部見えている。
だが――
身体が追いつかない。
刀を避けた直後。
拳が腹へめり込んだ。
「がっ……!」
肺から空気が押し出される。
身体が宙を舞い、そのまま壁へ叩きつけられた。
衝撃で視界が白く染まる。
立てない。
177はゆっくり歩いてくる。
まるで急ぐ理由などないと言わんばかりに。
「それで終わりか」
カイは歯を食いしばる。
立つ。
肋骨が軋む。
右腕は痺れて感覚が薄い。
それでも視線だけは外さない。
177を見る。
肩。
腰。
膝。
呼吸。
筋肉。
全部見える。
構造も。
力の流れも。
重心の移動も。
だが――
勝てない。
「そういう顔だ」
177が笑った。
「全部見えてる」
「でも勝てねぇ」
図星だった。
「勘違いするな」
177は刀を肩へ戻す。
「見えるだけじゃ強くなれねぇ」
「未来を見てるわけじゃねぇ。」
「世界は毎瞬間変わる。」
「お前はそのたびに接続し直してる。」
「だから脳が焼ける。」
再び踏み込む。
今度は蹴り。
受ける。
腕が悲鳴を上げる。
骨が軋む。
さらに刀。
拳。
肘。
蹴り。
途切れない。
防ぐたびに身体が削られていく。
数十秒。
それだけだった。
気付けばカイは膝をついていた。
血が床へ滴る。
息が続かない。
177は刀を肩へ戻した。
「弱点なんざ、とうの昔に知ってる」
静かな声だった。
「肩も」
「膝も」
「昔の傷も」
「全部狙われた」
177は自分の胸を軽く叩く。
「それでも俺は立ってきた」
カイは息を整える。
177を見る。
古傷がある。
縫合痕もある。
人工骨も見える。
構造接続なら分かる。
どこを壊せば倒れるかも。
それなのに。
177は微動だにしない。
「そこじゃねぇ」
177が笑う。
「お前は、まだ表面しか見えてねぇ」
その言葉に。
カイの胸がわずかに揺れた。
今まで見えていたもの。
筋肉。
骨。
血流。
神経。
それ以上に見るものがあるというのか。
177は刀を下ろす。
構えない。
ただ立っている。
「来い」
静かな声だった。
「見せてみろ」
「お前の『見る』を」




