第七十八話 開戦前夜
東地区の空は重かった。
夜だというのに研究所群の白い外壁は照明に照らされて浮かび上がっている。
高い壁。
監視塔。
自動砲台。
巡回ドローン。
遠くから見ても異様な場所だった。
まるで都市の中にもう一つの都市が存在しているようだった。
その光景を、カイは高層ビルの屋上から見下ろしていた。
隣にはエスト。
少し後ろにメル。
そして足元にはタマが座っている。
「見えるか」
エストが聞く。
カイは研究所群を見つめた。
白い建物。
倉庫。
研究棟。
搬入口。
管理棟。
どれも見える。
だが違う。
探しているのはそれじゃない。
目を細める。
意識を沈める。
視界の奥。
構造。
流れ。
人。
警備。
壁。
違う。
もっと奥。
研究所群の地下。
その瞬間だった。
胸の奥が脈打つ。
ドクン。
強い。
今までで一番強かった。
視界が揺れる。
白い研究棟の下。
存在しないはずの空間。
そこだけ色が違った。
黒い。
まるで穴みたいだった。
「……ある」
図面では見えた。
問題は。
あれが本当に存在するかだった。
構造接続。
白い研究棟の下。
図面で見た空白。
同じ場所。
同じ歪み。
黒い穴。
「……合ってる」
エストが振り向く。
「昨日の場所か」
「ああ」
タマも同じ方向を見ていた。
赤い目が黒い穴を見つめている。
まるで帰る場所を見つけたみたいに。
エストは煙草へ火を付けた。
「やっぱり鍵か」
小さく呟く。
メルが端末を閉じる。
「ハンター側の準備は終わった」
「早いな」
「金が絡むとみんな仕事が早い」
それは否定できなかった。
―――
ハンター本部。
普段は敵同士の連中まで集まっていた。
銃。
刀。
爆薬。
防具。
酒。
怒号。
笑い声。
倉庫の中は異様な熱気に包まれている。
ワイトは壇上に立っていた。
巨大な斧を肩へ担いでいる。
「静かにしろ」
一言で倉庫が静まる。
流石だった。
第4都市ハンターの頂点。
誰も逆らわない。
「明日だ」
ワイトが言う。
「管理局も動いてる」
「死ぬ奴も出る」
「逃げる奴も出る」
そこで笑う。
「だが」
斧を振り上げる。
「勝てば大金持ちだ」
歓声が爆発した。
誰も否定しない。
それが第4都市だった。
―――
一方。
東地区。
管理局本部。
こちらも慌ただしかった。
研究所群の周辺には防衛線が構築されている。
装甲車。
固定砲台。
ドローン。
戦闘員。
普段の数倍だった。
会議室では幹部達が最後の確認を行っている。
「東側防衛完了」
「西側完了」
「研究所群封鎖完了」
報告が続く。
ミックは壁にもたれて聞いていた。
嫌な予感が消えない。
あの侵攻計画。
違和感しかなかった。
戦力が足りない。
普通なら勝てない。
なのに実行する。
理由がある。
目的が別にある。
メニーが肩で羽を揺らす。
小さく鳴いた。
ミックは窓の外を見る。
研究所群。
その向こう。
何かが隠されている。
そんな気がした。
―――
深夜。
研究所群外周。
大型輸送車が到着する。
扉が開く。
一人の男が降りてきた。
傷だらけの巨体。
NO177。
周囲の局員が距離を取る。
本人は気にしていない。
笑っていた。
「来たか」
防衛責任者が言う。
「ああ」
177は周囲を見回した。
防衛線。
兵器。
戦闘員。
NO。
かなり本気だ。
「面白そうだな」
責任者は顔をしかめる。
177は研究所群を見る。
そして。
ほんの少しだけ笑みを消した。
「……いるな」
誰にも聞こえない声だった。
776。
黒い犬。
東地区。
全部が揃っている。
胸の奥がざわつく。
久しぶりだった。
本当に久しぶりだった。
死ぬかもしれないと思ったのは。
そして同じ頃。
高層ビルの屋上。
カイもまた研究所を見ていた。
ドクン。
胸が鳴る。
タマが低く唸る。
東地区研究所群。
その地下。
五番。
そこに何かがある。
それだけは分かった。
夜は静かだった。
だが。
嵐はもう始まっていた。




