第七十五話 手がかり
部屋の中には煙草の匂いが漂っていた。
窓の外では雨が降り続いている。
カイは椅子にもたれながら、自分の胸に手を当てた。
まだ違和感は消えていない。
構造接続の途中で見た光景。
白い天井。
手術台。
研究員。
そして被検体776という番号。
あれは夢ではない。
確信だけが残っていた。
エストは煙草を灰皿へ押し付ける。
「どうする」
短い問いだった。
カイは少し考えた。
だが答えはすぐ出る。
「答えを持ってくればいいんだな」
エストが笑った。
珍しく素直な笑いだった。
「その通りだ」
メルも頷く。
「地下に辿り着ければね」
カイは机の上の紙を見る。
「東地区研究所だろ」
「ああ」
エストが答える。
「研究所群の中心部だ」
「管理局の重要施設も近い」
「第4都市で一番面倒な地区だな」
カイは鼻で笑った。
「今さらだろ」
「それもそうだ」
エストも否定しない。
カイは腕を組む。
「まともに入れるか」
「無理だ」
即答だった。
「警備は?」
「厳重」
「監視は?」
「常時」
「潜入は?」
「不可能ではない」
エストが言う。
「ただし生きて帰れる保証はない」
カイは窓の外を見る。
研究所へ向かう。
それは決まった。
だが問題はその先だった。
どうやって地下へ辿り着く。
どうやって入る。
どうやって管理局を抜ける。
考える。
考える。
そして。
ふと思い出した。
金髪。
赤いインコ。
無駄に軽い口調。
運だけで生きているような男。
「ミック」
エストが顔を上げる。
「ほう」
「研究所側の人間だ」
カイが続ける。
「権限もある」
「施設にも入れる」
「使えるんじゃねえか」
「本人が嫌がったら?」
「知らん」
「聞いてから考える」
部屋が静かになる。
メルが端末を操作し始めた。
エストは顎へ手を当てる。
「理屈は通るな」
「だろ」
「だが問題もある」
「NO6」
カイは頷く。
それは分かっていた。
普通の相手ではない。
管理局の上位戦力。
中央から派遣されたNO。
まともに戦えば勝てる保証は無い。
だが。
タリムがいた。
「タリム」
エストが小さく呟く。
「俺もそこが気になっていた」
「運だ」
ミックの能力。
運を操る因子。
そしてタリム。
最後の戦い。
あの時。
確かに何かを切った。
カイも見ている。
一瞬だけ。
ほんの一瞬だけ。
線のようなものが見えた。
「もし」
エストが続ける。
「本当に運を切られたなら」
「今のミックは機能不全だ」
「ただの兄ちゃんか」
「そこまでは言わん」
苦笑する。
「だが本来のNO6じゃない」
メルが急に吹き出した。
「いた」
「何が」
「NO6」
全員の視線が端末へ向く。
メルは画面を見ながら笑いを堪えていた。
「どこだ」
カイが聞く。
メルは一度咳払いをした。
それでも笑いが漏れる。
「パチンコ屋」
沈黙。
数秒。
誰も喋らない。
「……は?」
最初に声を出したのはエストだった。
メルは肩を震わせる。
「三日連続」
「朝から晩まで」
「ずっといる」
「何やってんだあいつ」
カイが呆れた声を出す。
メルは画面を見せた。
監視写真。
ミックだった。
間違いない。
同じ服。
同じ顔。
同じ赤いインコ。
そして。
酷い顔だった。
「負けてるな」
カイが言う。
「負けてるね」
メルも言う。
「すげえ負けてる」
エストまで言った。
写真が切り替わる。
一日目。
負け。
二日目。
大負け。
三日目。
大当たりなし。
顔色がどんどん悪くなっていた。
「終わってんな」
カイが呟く。
「終わっている」
エストも同意した。
メルが笑いながら言う。
「運使いが三日連続で大敗」
「結構面白いデータだよ」
エストは煙草を咥える。
火を付ける。
そして静かに言った。
「確認する価値はある」
カイは立ち上がった。
もう決まっていた。
「会いに行くか」
「ああ」
エストが頷く。
「まずはNO6の状態を見る」
「話はそこからだ」
窓の外では雨が弱くなり始めていた。
東地区へ向かうための手掛かり。
それが本当にミックなのかはまだ分からない。
だが。
他に道も無かった。
カイは上着を手に取る。
タマが静かに立ち上がった。
赤い目がこちらを見る。
「行くぞ」
黒い尻尾が小さく揺れた。




