第六十六話 再会
西地区へ向かう道は静かだった。
いつもなら運搬車が行き交い、露店の声が飛んでいる。
今日は妙に人が少ない。
カイは前を歩くタリムの背中を見た。
小柄な老人。
腰には長い包丁袋。
どう見ても魚屋にしか見えない。
だが。
正体を知った今では、そう見えなかった。
「魚屋はいいのか」
タリムは前を向いたまま答える。
「何がだ」
「店」
「閉めた」
「戻る気あるのか」
少しだけ間が空いた。
「知らん」
それだけだった。
カイはそれ以上聞かなかった。
本人にも分からないのだろう。
風が吹く。
市場の方角から魚の匂いが流れてきた。
タリムの表情は変わらない。
そのまま歩き続ける。
しばらく歩く。
カイは前を歩くタリムを見る。
「あんた、元NO22なんだろ」
「ああ」
「なら聞くけど」
タリムは振り返らない。
「最近99を見ねえ」
足音だけが続く。
「知らねえか」
「知ってる」
カイの目が僅かに動く。
「どこにいる」
「いない」
「は?」
タリムが止まった。
振り返る。
「死んだ」
カイも止まる。
風だけが通り過ぎた。
「誰に」
「NO6」
短い返事だった。
カイは何も言わない。
NO6。
知っている。
肩に赤いインコ。
ドローン。
パチンコ。
灰街。
笑っていた男。
「……ミックか」
「ああ」
タリムは再び歩き出す。
カイは動かなかった。
数秒。
それから後を追った。
「何で殺した」
「知らん」
「戦ったんじゃねえのか」
「戦った」
「なら何で知らねえ」
「本人に聞け」
カイの眉が寄る。
「聞けるのか」
タリムは前を見る。
「生きてればな」
それ以上。
会話は続かなかった。
やがて。
西地区のハンター拠点が見えてきた。
カイの足が僅かに遅くなる。
静かすぎる。
人がいない。
いつもなら入口に見張りがいる。
車も停まっている。
今日は何もなかった。
建物の壁は崩れていた。
窓は吹き飛んでいる。
黒く焦げた跡。
地面には無数の弾痕。
戦闘があった。
カイは無言で敷地へ入る。
血痕。
薬莢。
焼けた金属。
瓦礫。
足跡。
視線が自然と動く。
観察する。
繋げる。
組み立てる。
複数方向からの射撃。
上空からの支援。
逃げ道を潰している。
包囲。
制圧。
その後。
回収。
そこで思考を止めた。
いや。
止めたというより。
自分で止まれた。
カイは周囲を見る。
「死体がない」
タリムは黙っている。
「全部持って行かれてる」
「ああ」
短い返事。
カイは血痕の先を見る。
引きずった跡もない。
死体だけじゃない。
生きている奴も。
まとめて回収した。
そんな痕跡だった。
メルから送られてきた文章が頭をよぎる。
――適合因子回収。
――対象十七名。
――子供九名。
――不要個体処分。
遅かった。
カイの奥歯が僅かに噛み合う。
その時だった。
「やっぱり来たか」
聞き覚えのある声。
カイは振り返る。
崩れた建物の上。
一人の男が立っていた。
肩には赤いインコ。
周囲には黒いドローン。
見間違えるはずがない。
「ミック」
男は軽く手を上げた。
「久しぶりだな」
カイは何も言わない。
ミックはいつものように笑っていた。
「パチ屋で隣になって」
「怪物を何匹も一緒に殺して」
「結構長い付き合いになったな」
肩の上でメニーが鳴く。
「でも」
そこで。
笑みが少しだけ消えた。
「今度こそ敵として会ったな」
風が吹く。
瓦礫の隙間を砂が転がった。
カイも分かっていた。
今までとは違う。
偶然隣に座った客じゃない。
共闘相手でもない。
中央管理局。
NO6。
それが目の前にいる。
「そうだな」
カイが答える。
ミックは少しだけ寂しそうに笑った。
いつもなら。
そこで終わる会話だった。
だが。
ミックの視線が横へ動いた。
タリムを見る。
空気が変わった。
笑みが消える。
「……NO22」
タリムが目を向ける。
「NO6」
短い返事。
ミックの眉が僅かに動いた。
「久しぶりだな」
「ああ」
「全然嬉しくねえ」
「俺もだ」
「そこは少しくらい喜べよ」
「嫌だ」
即答だった。
ミックが額を押さえる。
カイは二人を見る。
知り合い。
そんな程度ではない。
空気が違う。
ミックはタリムを知っている。
NO22だった頃を。
十二年前より前の、この老人を。
「知り合いか」
カイが聞く。
ミックが嫌そうな顔をした。
「知り合いで済むならよかったんだけどな」
「何したんだ、こいつ」
「聞きたい?」
「ああ」
「長くなるぞ」
タリムが口を挟む。
「聞くな」
「何でだ」
「長い」
「そこは否定しろよ」
ミックが言う。
タリムは黙る。
否定する気はないらしい。
「最低だな」
カイが言う。
「まだ何も聞いてねえだろ」
「大体分かった」
「何でだ」
「顔」
ミックが少し笑った。
タリムだけが無表情だった。
ほんの一瞬。
昔と同じような空気が戻る。
だが。
すぐに消えた。
ミックの目がカイへ向く。
正確には。
カイの横。
タマへ。
黒い犬。
赤い目。
揺れる黒い霧。
「それで」
声が低くなる。
「なんで776を連れてる」
タリムは答えない。
数秒。
「気になった」
「……は?」
「気になった」
ミックが固まる。
「それだけか」
「それだけだ」
カイは少し考える。
「まあ分かる」
「分かるな」
即座に返ってきた。
「お前ら何なんだよ」
「知らん」
「俺も知らん」
「そこだけ息合うのやめろ」
メニーが小さく鳴いた。
カイはタマを見る。
黒い霧。
赤い目。
確かに。
気になる。
自分だって、それだけでここまで来た。
ミックが息を吐く。
だが。
笑わなかった。
「違うな」
タリムを見る。
「お前はそんな理由だけで十二年ぶりに動かない」
タリムの目が僅かに細くなる。
「魚屋やって」
「全部終わったみたいな顔して」
「それでも戻ってきた」
沈黙。
「何を見た」
返事はない。
「何を知った」
風が止まった。
タリムの視線が動く。
カイ。
その横。
タマ。
黒い霧がゆっくり揺れている。
赤い目。
タリムはその姿を見つめた。
長かった。
そして。
「五番だ」
その瞬間。
ミックの表情が凍った。
カイは目を細める。
初めて見た。
この男が。
本気で動揺するところを。
肩の上。
メニーが羽を広げた。
小さく鳴く。
警戒。
いや。
恐怖に近い。
「……今」
ミックの声が低くなる。
「何て言った」
「五番」
タリムは同じ言葉を繰り返した。
ミックの目から。
完全に笑みが消えた。
「その名前を」
一度。
拳が握られる。
「どこで聞いた」
「聞いてない」
タリムが答える。
「見た」
沈黙。
長かった。
カイだけが話についていけない。
「五番って何だ」
誰も答えなかった。
ミックも。
タリムも。
答えない。
だが。
その反応だけで十分だった。
重要なのだ。
管理局にとって。
中央にとって。
黒体にとって。
そして。
おそらく。
自分にとっても。
カイはタマを見る。
赤い目がこちらを見返している。
何も言わない。
ミックがゆっくりタリムを見る。
さっきまでとは違う。
昔の知り合いを見る目じゃない。
NO22を見る目でもない。
もっと別の何かだった。
「お前」
低い声。
「どこまで見た」
タリムは少しだけ目を細めた。
「入口」
それだけだった。
ミックの顔から。
最後に残っていた余裕が消えた。




