第五十八話 五番
壊れたラック。
乾いた血痕。
壁に残る776の文字。
気になることはいくらでもあった。
だが。
カイは立ち上がった。
「行くぞ」
177が振り返る。
「終わりか?」
「ここにはもう無い」
五番ラックを見る。
空。
何かがあった。
だが今は無い。
怪物も探していた。
それだけは分かる。
ミックが端末を閉じた。
「俺もそう思う」
地下施設全体を見回す。
古い。
だが終わっている。
ここは墓場だった。
答えが残る場所じゃない。
答えが消された場所だ。
タマだけが動かなかった。
壊れた五番ラックの前。
赤い目。
じっと見ている。
「おい」
呼ぶ。
タマはゆっくり振り返った。
それから。
珍しく迷うように視線を揺らした。
そして。
カイの方へ歩いてきた。
何かを諦めたみたいに。
嫌な感覚だけが残った。
四人は地下を後にした。
崩れた通路を上る。
地上。
灰色の空。
風。
瓦礫。
そして。
怪物。
まだいた。
研究施設跡の中央。
六メートルの巨体。
動かない。
立ったまま。
じっとこちらを見ていた。
177が笑う。
「待ってたのか?」
怪物は答えない。
当然だった。
だが。
その瞬間だった。
タマが止まる。
黒い霧。
全身が震えた。
カイの足も止まる。
「……おい」
初めて見た。
タマが震えている。
違う。
震えじゃない。
収縮。
膨張。
収縮。
膨張。
黒い霧が激しく明滅する。
心臓みたいだった。
脈打っている。
怪物も止まった。
引力が消える。
電流も消える。
動かない。
ただ。
タマだけを見ていた。
街が静まり返る。
風だけが吹く。
誰も喋らない。
ミックも。
177も。
カイも。
その光景から目を離せなかった。
タマの身体が縮む。
今まで見たことがないほど。
小さく。
さらに小さく。
そして膨らむ。
黒い霧が周囲へ広がる。
怪物の身体が揺れた。
胸。
首。
腹。
脚。
脈動していた核。
全部。
反応している。
「何だ……?」
ミックが呟く。
返事は無い。
怪物が一歩前へ出る。
その瞬間。
タマの霧が伸びた。
細い。
黒い糸。
怪物の胸へ触れる。
轟音。
怪物が悲鳴を上げた。
初めてだった。
咆哮じゃない。
苦鳴だった。
胸。
光が揺れる。
首。
腹。
右脚。
四つの脈動が一斉に乱れた。
そして。
背中。
五番目。
そこだけが消えていく。
怪物の身体が大きく揺れる。
カイの目が開く。
「吸ってる……」
霧が流れる。
怪物から。
タマへ。
五つの核。
その内の一つ。
何かが抜けていく。
まるで。
元の場所へ戻るみたいに。
怪物が後退した。
地面が割れる。
建物が崩れる。
叫ぶ。
暴れる。
今までとは違った。
痛み。
怒り。
混乱。
全部混ざっている。
タマの収縮が止まる。
赤い目。
怪物を見る。
そして。
頭の奥へ声が響いた。
今までで一番はっきり。
『返せ』
怪物だったのか。
タマだったのか。
分からない。
だが。
次の瞬間。
怪物が暴走した。
引力。
爆発。
周囲の瓦礫が一斉に浮き上がる。
電流が街を走る。
ビルの窓が砕ける。
177が笑った。
「やっと始まったな」
巨大な腕が膨れ上がる。
ミックは拳銃を抜いた。
ドローンを展開する。
カイは怪物を見る。
核。
四つ。
いや。
もう違う。
バランスが崩れている。
何かが変わった。
理解できる。
あと少しで。
その時だった。
怪物が咆哮する。
灰街全体が揺れた。
そして。
戦いが始まった。




