第五十一話 解体者
夜だった。
ハンター拠点の倉庫は相変わらず騒がしかった。
酒。
煙草。
笑い声。
誰かがカードを投げる音。
誰かが喧嘩している声。
全部混ざっている。
だがカイは隅の机にいた。
目の前には魚。
昼に市場で買ってきたものだった。
包丁を持つ。
安物。
重い。
魚を見る。
骨。
筋。
皮。
構造接続が勝手に始まる。
線が見える。
ここを切れば開く。
ここを外せば骨が残る。
理解できる。
包丁を落とす。
スッ。
綺麗に切れた。
止まる。
自分でやった感覚が薄い。
もう一度切る。
また切れる。
三度目。
さらに綺麗になる。
「……気持ち悪ぃ」
思わず呟いた。
横。
タマが伏せている。
赤い目だけがこちらを見ていた。
包丁を置く。
魚を見る。
違和感が残る。
切れている。
確かに切れている。
でも違う。
あの老人の切り方ではない。
市場。
魚屋。
細い包丁。
骨ごと開かれたマグロ。
思い出す。
「切れる場所を切ってるだけだ」
あの声。
離れない。
見える。
なのに。
届かない。
構造は分かる。
切る場所も分かる。
それでも。
あの老人と同じにはならない。
その時だった。
冷蔵庫が開く音がした。
振り返る。
おばさんだった。
ジャージ姿。
片手に缶ビール。
眠そうな顔。
机を見る。
魚を見る。
眉が上がった。
「何それ」
「魚」
「見りゃ分かる」
近付いてくる。
切断面を見る。
止まる。
「気持ち悪いな」
「同感だ」
おばさんは缶を開けた。
泡が溢れる。
一口飲む。
「爺さんの真似か」
カイは答えなかった。
図星だった。
おばさんは笑う。
「やめとけ」
「何が」
「追うな」
止まる。
「何者なんだ」
おばさんは少し考えた。
それから肩を竦めた。
「魚屋」
「そういう話じゃねえ」
「じゃあ料理人」
「違う」
「じゃあ知らん」
缶を傾ける。
酒が減る。
沈黙。
扇風機だけが回っていた。
やがて。
おばさんが言った。
「昔は管理局だった」
止まる。
「今は違う」
「どれくらい昔だ」
「ずっと昔」
曖昧だった。
でも。
それ以上聞いても無駄だと分かった。
おばさんは知っている。
だが話したくない。
そういう顔だった。
魚を見る。
骨。
筋。
皮。
見える。
でも。
届かない。
あの老人には。
構造接続でも追えなかった。
初めてだった。
理解できない相手。
模倣できない相手。
胸の奥が少しだけ落ち着かなかった。
研究所。
黒体。
99。
全部気になる。
だが今。
頭の中に残っているのは別だった。
どうやって切った。
何を見ていた。
どこを切った。
それだけだった。
「クソ」
自分で引く。
横。
タマが立ち上がる。
黒い霧が揺れる。
赤い目。
じっと見ている。
その瞬間。
頭の奥で声が響いた。
『近い』
止まる。
呼吸が止まる。
「……何が」
返事は無い。
当然だった。
だが。
初めてだった。
タマが。
あの老人を見て。
そんな言葉を使ったのは。
扇風機が回る。
魚の匂いが残る。
夜はまだ終わらなかった。




