第四十七話 質問
夜。
闇診療所。
明かりは付いていた。
カイは扉を開ける。
薬品の匂い。
いつも通りだった。
ロイは机に座っている。
缶コーヒー。
半分空。
カルテ。
数枚。
何も変わらない。
まるで第四研究区なんて存在しなかったみたいに。
「帰れ」
顔も上げずに言った。
カイは鞄を机へ叩き付ける。
ドサッ。
重い音。
ロイの手が止まる。
一秒。
二秒。
ようやく顔が上がる。
資料。
写真。
名簿。
全部見えた。
ロイは何も言わない。
表情も変わらない。
それが余計に腹立たしかった。
「主任研究員だったんだな」
静かだった。
ロイは缶コーヒーを持つ。
一口。
飲む。
「そうか」
それだけ。
カイは思わず笑った。
「そうかじゃねえだろ」
返事は無い。
沈黙。
長い。
診療所の時計だけが鳴っている。
カチ。
カチ。
カチ。
「第四研究区」
「被験体99」
「黒体」
「失敗作」
一つずつ並べる。
ロイは黙ったままだった。
「全部知ってたんだな」
沈黙。
「知ってる」
あっさりだった。
カイの拳が机へ落ちる。
鈍い音。
薬瓶が揺れる。
「なら何で黙ってた」
ロイは視線を落とす。
缶コーヒー。
空になっていた。
それを見ている。
「話してどうする」
「何だと」
「知れば楽になるのか」
ロイは言った。
「お前が欲しいのは答えじゃない」
「納得だ」
カイは止まる。
ロイは続けた。
「だが納得なんて無い」
診療所が静かになる。
ロイは初めて疲れた顔を見せた。
いつもより老けて見えた。
「第四研究区で起きたことに」
「正しい答えなんか無い」
カイは睨む。
「逃げてるだけだろ」
「そうだ」
即答だった。
逆に言葉が出なくなる。
ロイは立ち上がる。
棚へ向かう。
古いファイルを取り出す。
机へ置く。
埃が舞う。
「お前は何が知りたい」
カイは答える。
迷わない。
「俺は何だ」
ロイは目を閉じた。
数秒。
開く。
「それは俺じゃ答えられない」
「ふざけんな」
「本当だ」
ロイの声は静かだった。
怒ってもいない。
誤魔化してもいない。
「俺は途中までしか知らない」
カイの眉が動く。
「途中?」
ロイは頷く。
「第四研究区は途中で中央管理局が接収した」
「主任研究員だったのは事実だ」
「だが最後までは見ていない」
カイは資料を見る。
若いロイ。
研究員達。
白い研究所。
全部本物だ。
嘘ではない。
だが。
何かが足りない。
「99は知ってるみたいだったぞ」
ロイは少し考えた。
「だろうな」
「何でだ」
「お前より長くいた」
空気が止まる。
カイの目が細くなる。
「どういう意味だ」
ロイは答えない。
代わりに別の質問をした。
「第四研究区で何を見た」
「99」
「他は」
「実験記録」
「他は」
「失敗作」
「他は」
カイは言葉を止める。
タマ。
黒い霧。
『仲間』
あの言葉。
ロイはタマを見る。
赤い目。
静かだった。
「そうか」
ロイは小さく呟いた。
それから初めて険しい顔になる。
「なら急げ」
「何?」
「お前が知りたい答えは」
ロイは窓の外を見る。
夜。
暗い。
「もうすぐ消される」
止まる。
「誰に」
ロイは即答した。
「中央」
診療所の空気が変わる。
軽くない。
脅しでもない。
事実だった。
「第四研究区の記録は全部消される」
「生き残りも」
「関係者も」
「証拠も」
カイはロイを見る。
ロイも見返す。
初めてだった。
真正面から目が合う。
「だから行くなと言った」
「近付けば追われる」
「俺も」
「99も」
そして。
ロイは一度だけタマを見る。
「お前もな」
静かだった。
誰も喋らない。
時計の音だけが響く。
その時だった。
診療所の電話が鳴る。
リン。
ロイの顔色が変わる。
初めてだった。
本当に。
初めてだった。
ロイは受話器を見る。
出ない。
鳴り続ける。
リン。
リン。
リン。
カイは違和感を覚える。
ロイが電話を怖がっている。
そんな風に見えた。
やがて。
留守電へ切り替わる。
ノイズ。
そして。
知らない男の声。
『ロイ・アーベル』
診療所が静まり返る。
『中央管理局監査部だ』
ロイの表情が消えた。
『話がある』
ノイズ。
そこで録音は切れた。
誰も動かない。
ただ。
タマだけが。
ゆっくりと唸った。




