第四十話 溶ける
「その手か?」
カイが扉に張り付いた腕を指差した。
白衣の研究員は頷いた。
「ああ」
まるで天気の話でもするような口調だった。
「放っておくと鋼鉄でも溶かす」
「だから定期的に中へ入って削る」
カイは研究員を見た。
次に扉を見る。
そしてもう一度研究員を見る。
「今なんつった?」
「削る」
研究員は平然としていた。
「細かく排除してくれ」
「増えすぎると困る」
177が吹き出した。
「ははっ」
肩を震わせている。
「面白くなってきた」
全然面白くなかった。
研究員が端末を操作する。
重いロック音。
赤色灯が回る。
分厚い鋼鉄扉がゆっくり開き始めた。
中から異臭が流れてくる。
血。
薬品。
腐敗。
何種類もの臭いが混ざっていた。
扉が完全に開く。
巨大な貨物車両だった。
鉄格子。
拘束具。
点滴。
監視装置。
まるで移動式研究所だった。
その中央。
檻の中に何かがいる。
身長は二メートルほど。
人間だった痕跡は残っている。
だが半分だけだった。
片腕は獣の脚みたいに肥大化している。
肋骨は外へ飛び出していた。
首の後ろから黒い骨が何本も伸びている。
顔も崩れていた。
右半分は人間。
左半分は獣。
それでも生きていた。
呼吸している。
目も動いている。
カイは思わず呟く。
「趣味悪すぎだろ」
実験体がゆっくり顔を上げた。
その瞬間。
骨。
筋肉。
神経。
血流。
因子。
全部が流れ込んでくる。
止まらない。
異常だった。
人間と獣を繋いでいるんじゃない。
混ぜている。
境界そのものが無い。
無理やり一つにされていた。
「……何だこれ」
思わず近付く。
知りたかった。
どうやって作った。
何を混ぜた。
どこを失敗した。
どこが生きている。
観察が止まらない。
その時だった。
横。
タマが一歩前へ出る。
黒い霧が膨らむ。
縮む。
また膨らむ。
実験体が止まった。
唸り声も。
呼吸も。
全部。
止まる。
研究員の顔色が変わる。
「……おい」
端末を見る。
数値が跳ね上がっていた。
「因子反応上昇」
「同期率上昇」
「何だこれ」
実験体の視線。
タマへ固定される。
片方だけ残った人間の目。
見開かれていた。
唇が動く。
「くろ……」
研究員が凍り付く。
「喋った?」
実験体が震える。
全身。
小刻みに。
タマがさらに一歩前へ出る。
赤い目が光る。
黒い霧が揺れる。
その瞬間だった。
実験体が絶叫する。
耳を塞ぎたくなるほどの叫び。
檻が揺れる。
拘束具が弾け飛ぶ。
研究員が悲鳴を上げた。
「まずい!」
「抑制剤!」
「急げ!」
遅かった。
実験体の腕が膨張する。
骨が増える。
筋肉が裂ける。
その隙間から。
何かが飛び出した。
腕だった。
人間の腕。
獣の腕。
黒い骨。
因子で出来た肉塊。
無数。
壁へ叩き付けられる。
床へ落ちる。
天井へ突き刺さる。
バラバラになったはずなのに。
動いていた。
指が這う。
腕が歩く。
肉片が脈打つ。
「おいおい……」
177が笑う。
本気で楽しそうだった。
「最高じゃねえか」
実験体はさらに暴れる。
肉が千切れる。
骨が飛ぶ。
飛び散った破片が床を這う。
増える。
増殖している。
研究員達が後退る。
一人が転ぶ。
破片が腕へ絡み付く。
悲鳴。
肉が盛り上がる。
骨が浮き出る。
「助け――」
途中で声が潰れる。
177が銃を抜いた。
カイは実験体を見ていた。
違う。
実験体じゃない。
タマを見ている。
実験体の目。
破片。
飛び散った肉。
全部。
タマだけを見ていた。
まるで。
何かを思い出したみたいに。
そして。
頭の奥で。
タマの声が響いた。
今までで一番はっきりと。
『仲間』
空気が凍る。
次の瞬間。
実験体が檻を引き裂いた。




