第三十九話 因子怪物
VIPルームを出た瞬間だった。
薄暗い通路の先。
壁にもたれかかる男がいた。
長い腕。
乱雑な髪。
見覚えのある笑い方。
カイは思わず顔をしかめる。
「お前かよ」
177が笑った。
「よう」
以前と変わらない。
今にも喧嘩を売ってきそうな顔だった。
「前は殺し損ねちまったな」
肩を鳴らす。
「だが今回は共闘だ」
カイは眉をひそめる。
「99はどうなった」
「別件だ」
即答だった。
「今回はいねえ」
興味もなさそうだった。
177にとっては本当にどうでもいいのだろう。
カイはため息を吐いた。
「現場どこだよ」
「内容は?」
177は端末を投げる。
カイは片手で受け取った。
表示される依頼内容。
廃路線。
私設貨物列車。
護衛任務。
対象。
因子実験生物。
暴走時は排除。
そこまで読んだところで眉が寄る。
「排除でいいのかよ」
177は笑う。
「儲けより後始末の方が高くつくんだとよ」
「研究屋の考えることは知らねえ」
カイは端末を流し読みする。
距離はそれほど遠くない。
都市外縁部。
放棄された鉄道路線。
管理局の監視も薄い。
闇しか感じなかった。
「嫌な仕事だな」
「だから報酬が高い」
177は振り返る。
「俺は先に向かう」
「準備できたら来い」
そのまま歩き去っていく。
止める理由もなかった。
夕方。
都市外縁部。
放棄された鉄道路線。
空は赤く染まり始めていた。
線路の上には古い貨物列車が停車している。
無理やり装甲板を取り付けたような不格好な列車だった。
カイが近付いた時だった。
隣を歩いていたタマが突然立ち止まる。
黒い霧が膨らむ。
縮む。
また膨らむ。
明らかに反応していた。
「どうした」
返事はない。
当然だった。
だが様子がおかしい。
その時。
近くで煙草を吸っていた177がタマを見る。
そして珍しく表情を変えた。
「その犬」
カイが顔を向ける。
「何だ」
177は少しだけ考えた。
「研究所絡みか」
空気が止まる。
「なんで分かる」
177は煙を吐いた。
「昔見た」
短い返答だった。
「研究所でな」
カイの目が細くなる。
「何を見た」
「忘れた」
即答だった。
「興味なかった」
本気だった。
177は本当に覚えていないらしい。
興味が無いものは記憶に残らない。
そういう男だった。
それ以上聞いても無駄だと分かる。
カイは舌打ちした。
列車の扉が開く。
白衣の男が顔を出した。
痩せている。
目の下には濃い隈。
何日寝ていないのか分からない顔だった。
「護衛役かな」
穏やかな口調だった。
だが目は違う。
何かに取り憑かれている。
そんな目だった。
「よろしく頼むよ」
男は笑う。
「破片が飛ぶと思うから処分を頼む」
カイは眉をひそめた。
「破片?」
研究員は笑顔のままだった。
「すぐ分かる」
嫌な予感しかしなかった。
列車へ乗り込む。
内部は改造されていた。
鉄格子。
監視カメラ。
拘束具。
護送車と研究施設を無理やり混ぜたような造りだった。
奥から音が聞こえる。
ベチャ。
何かが壁に張り付く音。
カイの足が止まる。
ベチャ。
もう一度。
今度は近い。
視線を向ける。
通路の奥。
分厚い鋼鉄製の扉。
その表面に。
何かが張り付いていた。
人間の手だった。
ただし。
本数が異常だった。
一本ではない。
二本でもない。
何本もの指が重なり合いながら扉の隙間から伸びている。
まるで内側で一つに融合しているみたいだった。
ゆっくりと動く。
ベチャ。
また音が鳴る。
カイはしばらく無言だった。
それから小さく呟く。
「……受けなきゃよかったか」
177が横で笑う。
「今更だろ」
扉の向こうで。
何かが動いた。




