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第三十四話 災害

翌朝。


 カイは妙な匂いで目を覚ました。


 魚だった。


 焼いた魚。


 煮た魚。


 生の魚。


 全部混ざったような匂いが漂っている。


 拠点の食堂だった。


 長机には既に何人も集まっている。


 夜勤明け。


 整備班。


 狙撃手。


 情報屋。


 誰も眠そうな顔で飯を食っていた。


 カイも適当に席へ座る。


 目の前には焼き魚定食が置かれた。


 予想外にまともだった。


 一口食べる。


 止まる。


「……うまいな」


 隣のライフルが吹き出した。


「だろ?」


「誰作ったんだ」


 その瞬間。


 周囲が少しだけ静かになった。


 ライフルは箸を止める。


 長コートは味噌汁を飲む。


 誰も答えない。


 嫌な予感がした。


 視線が自然と厨房へ向く。


 昨日の老人だった。


 白髪。


 小柄。


 エプロン姿。


 魚を捌いている。


 それだけ。


 それだけなのに。


 また視線が止まった。


 包丁が動く。


 魚が開く。


 骨が外れる。


 内臓が分かれる。


 一切迷わない。


 一切止まらない。


 無駄がない。


 異常なほど。


 視界が勝手に細部を拾う。


 全部追う。


 それでも分からない。


 むしろ見れば見るほど気持ち悪い。


 完璧だった。


 完璧すぎた。


 177は強かった。


 255は化物だった。


 99は理解不能だった。


 だが目の前の老人は違う。


 何か根本から違う。


 戦闘じゃない。


 生き方そのものが完成しているような違和感だった。


「……誰なんだ」


 思わず呟く。


 ライフルは即座に答えた。


「知らん」


「絶対知ってるだろ」


「知らん」


 本当にそれ以上話さない。


 長コートも同じだった。


「ほっとけ」


「昨日も同じこと言ってたな」


「昨日も同じ質問だったからな」


 終わり。


 全員そんな感じだった。


 昼。


 食堂へ戻る。


 老人はまだいた。


 今度は鶏肉を切っていた。


 魚だけじゃない。


 野菜も。


 肉も。


 全部同じだった。


 無駄がない。


 綺麗だった。


 気付けば十分以上見ていた。


 タマが足元で退屈そうに尻尾を振る。


 その時だった。


 ハンターが数人駆け込んでくる。


 任務帰りだった。


 一人が肩を貸されている。


 右腕が血だらけだった。


「医療班!」


「早くしろ!」


 食堂が慌ただしくなる。


 だが。


 老人だけは動じなかった。


 包丁を置く。


 ゆっくり近付く。


 傷を見る。


 それだけだった。


 次の瞬間。


 服が裂けた。


 誰も見えなかった。


 包丁も。


 手も。


 何も。


 気付けば傷口が露出していた。


 医療班が固まる。


 老人は何も言わない。


 壊死しかけた肉を切る。


 包帯を切る。


 服を切る。


 全部一瞬だった。


 そして終わる。


 医療班が慌てて処置を始める。


 老人は何事もなかったように厨房へ戻った。


 再び魚を捌き始める。


 トン。


 トン。


 トン。


 規則正しい音だけが響く。


「……今見えたか」


 ライフルに聞く。


「見えねえ」


「嘘だろ」


「本当に見えねえ」


 長コートも首を振った。


「俺も見えん」


 冗談ではなかった。


 本当に見えていない。


 カイだけだった。


 辛うじて追えていたのは。


 いや。


 追えたとも言えない。


 何かが動いたことしか分からなかった。


 その時。


 後ろから声がした。


「触るな」


 ワイトだった。


 煙草を咥えている。


 相変わらず疲れた顔だった。


「あの爺さん」


 ワイトは厨房を見る。


「タリムだ」


「強いのか」


「強いとか弱いとかの話じゃない」


「じゃあ何だ」


 ワイトは即答した。


「災害だ」


 短かった。


 それだけだった。


 だが冗談には聞こえなかった。


 厨房では老人が魚を捌いている。


 何事もない顔で。


 まるで世界で一番普通のことをしているみたいに。


 その時だった。


 老人が初めて顔を上げた。


 一瞬だけ。


 視線が合う。


 黒い瞳だった。


 感情がない。


 殺気もない。


 敵意もない。


 ただ。


 全部見透かされているような感覚だけが残った。


 老人は何も言わない。


 再び魚へ視線を戻す。


 包丁が動く。


 トン。


 乾いた音が響いた。


 なぜか背筋に冷たいものが走った。


 その理由だけは分からなかった。


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