第三話 レムル
夜の高架下は湿っぽかった。
昼間の熱がコンクリートに残っているせいか、風まで生ぬるい。
カイはポケットに手を突っ込みながら歩いていた。
足元には黒い犬。
死体処理場から勝手についてきた黒い霧の塊だ。
追い払っても離れない。
蹴っても消えない。
最近はもう諦めていた。
「……お前、本当に何なんだよ」
問いかける。
返事はない。
当然だった。
赤い目だけがこちらを見上げている。
前方にワンとリーが見えた。
ワンが自販機の前で財布を逆さにしている。
「終わった」
「何がだ」
「人生」
リーが即答した。
ワンは真顔だった。
「コーヒー飲みてぇ」
「買え」
「金ねぇ」
カイはポケットを探った。
百円玉が二枚出てくる。
それを見た瞬間、ワンの目が輝いた。
「勝負しようぜ」
「嫌だ」
「二枚とも入ったら焼肉な」
「意味分からん」
「面白いから」
「お前が奢れ」
「俺に金があると思うか?」
「ないな」
「じゃあお前」
「理不尽だろ」
リーが吹き出した。
ワンは本気だった。
カイはため息を吐く。
十メートル先の自販機を見る。
普通なら無理だ。
風もある。
百円玉は軽い。
だが。
妙に入る気がした。
理由はない。
風。
角度。
距離。
頭の中で勝手に軌道が組み上がる。
百円玉が飛ぶ。
回転する。
落ちる。
入る。
そんな映像が先に見えた。
「……」
カイは百円玉を放った。
二枚。
夜空を弧を描く。
カシャン。
カシャン。
沈黙。
三人とも固まった。
「……は?」
最初に声を出したのはワンだった。
走って確認する。
本当に入っている。
「嘘だろ」
「ほんとに入った」
「俺に言うな」
カイも少し驚いていた。
だが。
妙に引っ掛かった。
二枚。
十メートル。
風。
角度。
軌道。
頭の中で勝手に再生される。
もう一度。
また再生される。
偶然か。
違う気がする。
なら何だ。
考える。
考える。
答えは出ない。
「おい」
ワンの声で意識が戻った。
「また始まった」
リーが呆れたように言う。
「焼肉な」
「入っただけでか」
「入ったからだ」
「意味分からん」
リーが笑いながら肩を叩く。
昔からだ。
気になることがあると考え込む。
答えが出るまで頭から離れない。
だから面倒臭がられる。
だが。
それをやめられたことは一度もなかった。
地下への階段を下りる。
古びた看板。
半分消えた文字。
レムルの店だった。
扉を開ける。
油の臭い。
火薬の臭い。
金属の臭い。
全部混ざっている。
レムルは相変わらずだった。
義手で拳銃を分解しながら、こちらを見もしない。
「生きてたか」
「微妙」
「死んだら借金どうする」
「踏み倒す」
「そうか」
興味なさそうだった。
リーとワンは勝手に棚を漁り始める。
レムルも止めない。
どうせ止めても無駄だからだ。
カイは店内を見回した。
武器。
弾薬。
部品。
資料。
雑然と並んでいる。
その時だった。
タマが店の奥を見た。
赤い目。
一瞬だけ。
すぐに視線が戻る。
だが。
それより先に。
レムルの手が止まった。
ほんの一瞬。
煙草を咥える動きが遅れる。
すぐ戻る。
義手が動く。
拳銃が回る。
何事もなかったように。
だが。
カイは見ていた。
「……?」
気になる。
何に反応した。
タマか。
別の何かか。
視線を追う。
店の奥。
古い資料棚。
それだけだった。
数分後。
カイは資料棚の前に立っていた。
結局気になったのだ。
古いファイルを引き抜く。
管理局。
研究施設。
回収対象。
そんな単語が並んでいる。
適当にめくる。
途中で手が止まった。
黒塗りだらけのページ。
その中に一行だけ残っている。
特別回収対象
黒霧寄生体
胸の奥がざわついた。
タマを見る。
赤い目。
動かない。
「……お前か?」
返事はない。
当然だった。
だが。
その単語だけは頭に残った。
黒霧寄生体。
何だそれ。
研究所と関係があるのか。
管理局は何を回収している。
気になる。
嫌になるくらい気になる。
レムルが煙草を咥えながらこちらを見ていた。
「気になるか」
「なる」
即答だった。
「やめとけ」
「嫌だ」
「面倒だぞ」
「知ってる」
レムルは小さく鼻を鳴らした。
「だろうな」
リーとワンは相変わらず騒いでいる。
店の空気もいつも通りだった。
だが。
レムルだけは違った。
タマを見る。
資料を見る。
そして視線を逸らす。
帰り道。
リーとワンが前を歩く。
くだらないことで喧嘩している。
カイは後ろを歩いていた。
頭の中には一つの単語だけが残っている。
黒霧寄生体。
何だ。
研究所か。
管理局か。
タマか。
答えは出ない。
だが。
そのままにしておける気もしなかった。
店の灯りが消える。
深夜。
レムルは一人残っていた。
煙草の火だけが暗闇で赤く光っている。
机の上。
管理局の端末。
古い資料。
そして報奨金一覧。
黒霧寄生体回収。
特別指定。
金額は異常だった。
レムルは長く煙を吐く。
「……悪くねぇ」
端末を手に取る。
番号を入力する。
数秒後。
通信が繋がった。
「俺だ」
煙草を灰皿に押し付ける。
「見つけた」
静かな声だった。
だが。
三人の運命を売るには十分だった。




