第二十八話 99
地下闘技場は静まり返っていた。
リング中央。
177が立っている。
長い腕。
裂けた袖。
肉の中から生えた刃。
血が滴っている。
カイは呼吸を整えた。
肩が痛い。
頬も切れている。
だが立てる。
177は笑っていた。
楽しそうだった。
だが目だけは笑っていない。
「見えてるな」
初めてだった。
177がそんな顔をしたのは。
カイは答えない。
177は頬の血を指で拭った。
赤い。
しばらく見つめる。
それから笑った。
さっきより深く。
「面白い」
観客席は静かだった。
誰も声を出せない。
177は腕の刃を下ろした。
その瞬間だった。
カツ。
足音。
歓声が止まる。
カツ。
足音。
タマの耳が立った。
昨日から見続けていた暗い通路。
そこから。
黒いコートが現れた。
また鳴る。
リング入口。
白い数字。
【99】
男が立っていた。
空気が変わる。
観客がざわつく。
177は99を見る。
笑顔が消えた。
数秒。
沈黙。
長い。
「まだ生きてたか」
177が言う。
99は答えない。
ただ歩く。
一定の速度で。
177は肩を竦めた。
「悪いな」
刃を引っ込める。
「代わってくれないか」
観客席が揺れた。
「は?」
「177が下がる?」
「嘘だろ」
誰も信じていない。
177は笑う。
99だけを見ながら。
「あいつとは因縁があってね」
99は何も言わない。
拳銃を抜く。
大型拳銃。
鈍い金属音が響く。
177はリングロープへ腰掛けた。
「続けろ」
「俺は見物だ」
実況も止まっていた。
誰も状況を理解できない。
177が自分から試合を降りる。
そんなことは今まで一度もなかった。
177はカイを見る。
少しだけ笑う。
「死ぬなよ」
その一言だった。
「次は俺の番だ」
喉が鳴る。
177はそれ以上何も言わない。
リング端へ下がった。
完全に。
戦う気配を消していた。
残ったのは二人。
カイ。
99。
99はゆっくり拳銃を向ける。
銃口。
真っ直ぐ。
カイを見る。
その瞬間だった。
違和感。
頭の奥で引っ掛かる。
見たことがある。
肩。
腰。
首。
歩幅。
全部。
見覚えがあった。
無意識に観察していた。
肩の高さ。
重心。
足の運び。
癖。
全部を見る。
そして。
思い出す。
白い廊下。
警報。
赤灯。
処理場。
防護服。
振り返った背中。
歩き方。
肩の揺れ方。
首の角度。
喉が鳴る。
「……あ?」
99が止まった。
ほんの僅か。
顔がこちらへ向く。
その動きで確信した。
同じだ。
あの時の。
処理場の防護服。
逃げる直前。
カードケースを投げてきた男。
認証カード。
重い扉。
『早く行け』
断片みたいな記憶が繋がる。
「お前……」
99は否定しない。
肯定もしない。
ただ見ていた。
タマが低く唸る。
黒い霧が逆立つ。
99はゆっくり視線を動かした。
初めて。
カイではなく。
タマを見る。
空気が変わる。
177も笑うのをやめた。
観客も静かになる。
何かがおかしい。
誰でも分かった。
『対象確認』
通信機が鳴る。
『776』
『排除を許可する』
99は耳元の通信機を外した。
握る。
バキッ。
通信機が潰れる。
雑音。
沈黙。
観客席がざわついた。
99は壊れた通信機を捨てた。
そして。
初めて口を開く。
「成長したな」
カイの目が見開く。
聞いたことがある。
間違いない。
あの日。
処理場で聞いた声だった。
99は大型拳銃を持ち上げる。
だが。
銃口はカイへ向かない。
タマだった。
「見つけた」
短い。
それだけ。
タマの全身の霧が逆立った。
赤い目が細くなる。
頭の奥で声が響く。
今までで一番はっきりと。
『あれだ』
背筋が凍る。
タマは99だけを見ていた。
99もタマだけを見ていた。
まるで。
互いを知っているみたいに。
リングの空気が変わる。
177は腕を組んだ。
楽しそうだった。
「なるほど」
小さく呟く。
「そういうことか」
誰も意味は分からない。
だが。
177は笑っていた。
面白いものを見つけた顔で。




