第二十四話 榊
換気扇が低い音を立てて回っていた。
狭い部屋に煙草の煙が溜まっている。
机の上には写真が置かれていた。
白い研究所。
白衣の研究員たち。
その中央で笑う男。
そして隣には、首から番号札を下げた子供が立っている。
【776】
カイは何度目か分からないほど写真を見ていた。
見れば思い出せる気がした。
だが何も浮かばない。
頭の奥が妙に重かった。
「……榊って誰だ」
メルは煙草を吸った。
しばらく黙っていたが、やがて短く答えた。
「因子研究主任」
「中央第4研究所の責任者」
カイは写真へ視線を落とした。
男は笑っている。
だが記憶はない。
まるで他人だった。
「俺を作った奴か」
「たぶんね」
メルは灰を落とした。
「少なくとも二核因子研究の中心人物だった」
「だった?」
「今はいない」
換気扇の音だけが響く。
「死んだのか」
「分からない」
メルが答えようとした時だった。
扉が叩かれた。
一度。
二度。
三度。
規則正しい音。
メルの表情が変わった。
煙草が止まる。
機械眼が小さく光った。
「……は?」
初めてだった。
メルが明らかに警戒した。
扉が開く。
入ってきたのは初老の男だった。
五十五歳前後。
灰色のスーツ。
白髪混じりの髪。
身長は高くない。
だが空気が違った。
部屋の主みたいな顔で入ってくる。
メルが立ち上がった。
椅子が倒れる。
「エスト……」
その声は少し掠れていた。
カイは眉を寄せる。
「知り合いか」
「黙って」
即答だった。
珍しく本気だった。
エストは軽く笑った。
「怖がるな」
「何も取り立てに来たわけじゃない」
そう言いながら部屋を見回す。
そして。
タマで視線が止まった。
長い。
異様に長い。
タマも赤い目で見返している。
「なるほど」
エストは小さく呟いた。
「面白い」
メルがさらに固くなる。
「何の用」
「礼だ」
エストは答えた。
「礼?」
「闘技場を盛り上げてくれた」
視線がカイへ向く。
「久々に面白い物を見た」
カイは肩をすくめた。
「賞金なら貰ったぞ」
「それとは別だ」
エストは机の写真を見た。
榊。
776。
数秒だけ眺める。
「そいつを探しているのか」
カイは頷いた。
「知ってるのか」
「少しな」
部屋が静まる。
メルすら黙った。
エストは写真を指で叩いた。
「榊は死んでいない」
カイの目が細くなる。
「どこだ」
「中央国」
短い返答だった。
「ただし行方不明だ」
換気扇だけが回っていた。
「行方不明?」
「そうだ」
エストは頷く。
「中央も探している」
「研究所も探している」
「誰も見つけられていない」
カイは写真を見る。
榊。
776。
研究所。
全部が繋がりそうで繋がらない。
「探すのか」
エストが聞いた。
カイは少し考えた。
だが答えはすぐ出た。
「今は行かねえ」
「ほう」
「先に片づけることがある」
154。
管理局。
研究所。
全部残っている。
エストは小さく笑った。
「なら正しい」
そう言って懐から黒いカードを取り出した。
机へ置く。
金属製だった。
見たことのない紋章が刻まれている。
「何だこれ」
「入場許可証だ」
カイはカードを見る。
意味が分からない。
エストは続けた。
「ダークリング深層」
メルの顔色が変わる。
「おい」
「やめろ」
エストは無視した。
「通称、処刑場」
換気扇の音がやけに大きく聞こえた。
「闘技場は余興だ」
「客を集めるための見世物」
「本物は下にある」
カイは黙って聞いていた。
「そこには今、二人いる」
エストの目が少しだけ細くなる。
「NO177」
「NO99」
タマが低く唸った。
一瞬だけ。
エストはそれを見て笑った。
「面白い」
「どうやら知っているらしい」
部屋の空気が重くなる。
「お前はまだ挑戦者じゃない」
エストは立ち上がった。
「入場資格を貰っただけだ」
カードを机へ残したまま扉へ向かう。
「来るかどうかは好きにしろ」
「ただし」
そこで振り返った。
「処刑場は逃げた奴を追わない」
「死んだ奴も数えない」
静かな声だった。
だが妙に耳へ残る。
「生きて出た奴だけ覚える」
扉が閉まる。
部屋が静かになった。
換気扇だけが回っている。
メルは深く息を吐いた。
「最悪だ……」
珍しく本音だった。
カイは机の上の黒いカードを見る。
そして写真を見る。
榊。
中央国。
処刑場。
管理局。
頭の中で全部が繋がり始めていた。
だが今すぐ向かう気はなかった。
まだ終わっていない。
潰すべき相手が残っている。
タマだけが、黒いカードをじっと見つめていた。




