第十八話 闇病院
目を開ける。
天井が白かった。
換気音が低く鳴っている。
知らない天井だった。
瞬きをする。
身体が重い。
起き上がろうとして脇腹が悲鳴を上げた。
「っ……」
息を止める。
背中も痛い。
肩も痛い。
全身が痛かった。
だが。
生きている。
まず右腕を見る。
残っていた。
左腕もある。
少し安心する。
視線を落とす。
胸には包帯が巻かれていた。
右腕には黒い血管が浮いている。
気持ち悪い。
だが目が離せなかった。
指で押す。
少し沈む。
離す。
元へ戻る。
もう一回押す。
戻る。
生き物みたいだった。
「気色悪……」
思わず呟く。
床を見る。
タマが丸まっていた。
黒い霧の身体がゆっくり膨らみ、ゆっくり縮む。
呼吸しているみたいだった。
「お前」
声を掛ける。
「寝てんのか」
耳が少し動いた。
だが起きない。
その時。
病室の扉が開いた。
白衣の男が入ってくる。
片手に缶コーヒーを二本持っていた。
「起きてたか」
一本が飛んでくる。
反射で受け取った。
冷たい。
「ロイだ」
男は椅子へ座った。
缶を開ける。
「三日寝てた」
カイの眉が動く。
「三日?」
「正確には半分死んでた」
ロイは平然と言った。
「熱四十二度」
「心臓二回停止」
「呼吸も止まった」
少し間を置く。
「でも戻った」
カイは缶コーヒーを見た。
苦い。
妙に現実感があった。
「……戻るんだ」
「俺も驚いた」
ロイはカルテをめくる。
途中で同じページを二回開いた。
小さく舌打ちする。
「普通なら終わりだ」
「お前は終わらなかった」
カイは再び右腕を見る。
黒い血管。
研究所。
アンプル。
255。
154。
全部思い出した。
「研究所で何打った」
「あー……」
頭を掻く。
「黒い薬」
ロイは机の上へ透明ケースを置いた。
中には空になったアンプルが入っていた。
《投与用》
番号だけが残っている。
「中央製か」
ロイはケースを指で叩く。
「今は使うな」
煙草へ火を付ける。
煙が流れる。
「強くなる」
少し間を置く。
「代わりに壊れる」
病室のモニターが起動した。
人体図が表示される。
赤い線が一本。
その横にもう一本。
二本の線が心臓へ絡みついていた。
カイは立ち上がりかける。
脇腹が痛む。
それでも近付いた。
画面を見る。
さらに近付く。
十センチ。
五センチ。
赤い線を睨む。
「これ何だ」
ロイが煙を吐く。
「二核」
カイの視線が止まる。
「人間の因子は普通一つだ」
画面を指差す。
「お前は二つある」
沈黙。
カイはもう一度画面を見る。
赤い線。
二本。
「……因子が二つ」
「そうだ」
「珍しいのか」
ロイは少し考えた。
「過去記録を全部探しても十もいない」
煙を吐く。
「確認されてる二核適合体は一桁だ」
病室が静かになる。
換気音だけが聞こえる。
「そんな少ねえのか」
「少ない」
ロイは頷いた。
「ただしゼロじゃない」
「中央国には何体かいる」
カイは黙る。
少し考える。
「そいつらどうなった」
ロイは鼻で笑った。
「半分死んだ」
「残り半分はもっと酷い」
嫌な答えだった。
カイは画面を見る。
二本の線。
それが自分の中にある。
理解はできた。
だが納得はできない。
「何で俺なんだ」
「知らん」
即答だった。
「俺は研究員じゃねえ」
「闇医者だ」
「資料を盗み見た程度だ」
煙草の灰が落ちる。
「ただ」
ロイはタマを見る。
「普通は残らない」
「外へ出たら消える」
「でも残った」
視線がタマへ向く。
「だからそれがいる」
研究所。
資料。
黒体。
二核。
全部繋がりそうで繋がらない。
「……タマって何だ」
「知らん」
また即答だった。
「中央しか持ってねえ」
カイはため息を吐く。
その時だった。
タマが目を開けた。
赤い目。
ゆっくり立ち上がる。
前より少し薄い。
弱っているようにも見えた。
タマが近付いてくる。
胸へ鼻先を押し当てた。
頭の奥が痛む。
鋭い痛みだった。
『足りない』
カイの身体が止まる。
「……は?」
タマを見る。
何もしていない。
だが。
頭の奥に残っている。
『足りない』
また聞こえた。
頭痛が走る。
「今言ったか」
タマは首を傾げるだけだった。
ロイの煙草が止まる。
「今」
視線が向く。
「喋ったか」
病室が静かになる。
換気音。
雨音。
タマ。
赤い目。
誰も何も言わない。
夕方。
退院した。
財布を見る。
終わっていた。
中身がない。
ロイは病院の前で煙草を咥える。
「金は」
「ない」
「知ってる」
即答だった。
腹が鳴る。
「働け」
「怪我人だぞ」
「治っただろ」
雑だった。
病院を出る。
夕焼けが長く伸びている。
タマが後ろを歩く。
「帰れ」
返事はない。
当然だった。
しばらく歩く。
行く場所はない。
金もない。
研究所も遠い。
その時だった。
頭の奥。
また声が響く。
『足りない』
カイは足を止める。
「何が足りねえ」
沈黙。
タマが歩き出す。
数歩進む。
そして振り返った。
赤い目がこっちを見る。
カイはしばらく見つめる。
それから小さく笑った。
「……知ってんだな」
タマは何も答えない。
だが。
待っているように見えた。
カイはポケットへ手を突っ込む。
空だった。
舌打ちする。
「飯代くらい稼がせろよ」
そう言って歩き出した。
タマが先を行く。
夕焼けの向こうへ。
カイはその背中を追った。




