第6話 玉座と五つの影
魔王城の最奥。
夜よりも暗い大理石の間。赤いシャンデリアの光が床に血のような赤と、濃い闇の影を照らす。
ボクは魔王ノクティスの玉座にちょこんと座っていた。
空気がひどく重い。鉄と血の匂いが喉の奥にまとわりつく。
あぁ、逃げ出したい。目線を合わせられない。
ボク以外の影は五つ。五つの影のうち、二つは見覚えがある。
「退屈。面白くない。いつ終わる?」
首から鎖を巻いた女性の上半身に、岩のような下半身。アルバだ。口には丸い石をくわえている。椅子の上から垂れたしっぽが、ゆらゆら揺れている。
彼女はつまらなそうに、ポケットに入れていた石を取り出しては食べている。
「アンタ、こういう時くらい食べるのをやめなさいよ?」
彼女はノワール。ヴァンパイア。見た目だけは一番人間っぽい。多分ボクは嫌われている。目線が合うだけで毛が逆立つ。
その横は……
初めて見る顔だ。アルバが教えてくれた。テネブリスという名前らしい。
八本の触手をくねらせて、ぬるぬるとした音を立てている。触手からは水がぽたぽたとこぼれ落ち、床までびしょびしょだ。
部屋で見かける蜘蛛に似てるけど、その数百倍は大きい。言葉を話せないのか、クプクプと音を立てている。
「くく……星閃ステラ様、初めてお目にかかります。私はクロウと申します。星閃ステラ様のその瞳、美しい……心が洗われるようです。」
「んニャ。」
とりあえず返事はしとくけど、ニタニタとした笑みが恐ろしい。言葉遣いは丁寧なのに、表情から心が読めない。
まるで獲物を狙う蛇の空気だ。 常に殺気を放っているのだろうか。その視線に、全身の毛を逆立てられたまま、針で刺されているような感覚になる。
正直一緒にいたくない。
しばらく沈黙が続く。
すると、今まで言葉を発さずに腕を組んでいた大男が机を叩く。
「おいおい、呼び出しといて何もないのかよ。早く話を始めようぜ! 人間を全員ぶっ殺す話だろ!?」
ビクッと全身の毛が逆立つ。叩かれた机に地響きと共にヒビが入る。
それを見て、震える尻尾を足に巻きつける。
寿命が三年縮んだ気がする。猫の寿命って貴重なんだぞ。
「ドゥンケル、もうすぐ会議が始まるわよ。 静かにしてよね。」
注意したのはノワールだ。
「あぁん? 喧嘩売ってんのか、クソヴァンパイア。」
ドゥンケルの目がギラリと光る。
「お前聞いたぞ。吸血を控えているってな。そんな弱った体で、俺に勝てると思ってんのか、あぁ?」
「フン、アンタみたいな脳筋バカが、あたしに勝てるわけがないでしょ!?」
バチバチと火花が飛び散るのがわかる。
やめて。命がいくつあっても足りないよ。
テネブリスは相変わらずクプクプと音を立てているだけだし、クロウもニタニタ笑いながら見ているだけ。
全員、協調性ゼロ。終わってる。
その時、机の上に小石がぱらぱらと転がった。
アルバだ。
「喧嘩しない。人間美味いけど、石も美味い。ドゥンケル、食べる?」
しっぽをブンブン振りながら、石を差し出す。
……善意で火に油を注ぐタイプだ。
「なんだお前、俺に石を食わすのか……?」
ドゥンケルのこめかみがぴくりと動いた。
「そう、食べる。美味しい。」
「いい度胸だな、お前……!!」
やばい。戦いになる……! どうする、止めなきゃ、いやボクにできるか?
考えろ、考えろ……
その時――
キィィ……
重い扉が開く。
部屋の空気が一瞬にして冷える。空気が全部、あの人に跪いたみたいに沈黙した。
あぁ、何度会っても慣れない。
この空気は……ノクティスだ。
全員席に着き、黙った。
あんなにも熱がこもっていたドゥンケルでさえ、椅子に腰をおろした。
支配者というものは、こういう存在なんだろうか。改めてノクティスの恐ろしさを思い知る。
ノクティスはボクに視線を向け、そっと抱き上げる。こんなに重苦しい空気を発しているのに、抱き抱える力が優しくて、喉がゴロゴロ鳴るんだ。
「この音……ノクティス様が、星閃ステラ様を目覚めさせた音だ。心地いい。」
クロウが陶酔したように呟く。
アルバも瞳を細め、ボクを見つめる。
いやいや、これはただ気持ちいいだけなんだってば。猫の生理現象ですから! というかノワール、猫という生物がどんなものなのか知っているでしょ?
……誰も突っ込まないの、なんで?まぁ、突っ込まれない方が好都合なんだけど。
こうして魔王ノクティスの会議が始まった。
「この世界に、再び勇者が現れた。」
ノクティスの声が、部屋に響く。
その一言で部屋の空気が一瞬で凍る。
「何!? 勇者だと!?」
「二百年前の悲劇が……繰り返されるのですね。」
「そうだ……あの時、もう二度と血を流させぬと誓ったはずだった。」
「くそっ! 人間の野郎が。」
部屋がざわめき、動揺が走る。
ノクティスは、ボクの顎を指で撫でる。悲しいような、怒ってるような。そんな触れ方だ。いつもより力がこもっていて、指先が微かに震えていた。
「二百年前、世界のために交わした約束は、一体なんだったのか。我らは争いを捨て、人もまた刃を置くと誓ったはずだ。……ならば何故、勇者を呼ぶ? 再び、血を望む?」
深く振り絞ったような声で続ける。
「だが、今回は違う。星閃ステラは、我らの手にある。」
(ちょ、やめて……そこ、気持ちいいニャ……)
思わず目を細めて、顎を上げる。
「前回は祠を守りきったため、星閃ステラが人間の手に渡らず、戦いは凍結した。だが、今回は違う。星閃ステラはここにある。我々には希望がある」
ノクティスの落ち着いた声に、皆が息を呑む。だが、クロウだけはニタニタと怪しい笑みを浮かべていた。
「おかしな話ですねぇ……確かに星閃ステラは目の前にいますが、祠の封印が勝手に解けたとでもいうのでしょうか。あれは、祠を破壊しないことには封印は解けぬはず。」
その視線がボクを射抜く。ニィ……と牙を見せつけてくる。
ボクが偽物だと疑ってる……?
「誰かが祠を破壊したのか……それとも、別の力が働いたのでしょうか。」
やめてくれ、そんな目でボクを見るな。
「いずれにせよ、星閃ステラを人間に渡すわけにはいかぬ。勇者一行への攻撃を許可する。」
その瞬間、部屋中がざわついた。
ドゥンケルが立ち上がる。
「人間は! 全員!! ぶっ殺す!!!!」
「ドゥンケル! 勇者だけだってば!」
「勇者、美味しい? 石より美味しい?」
(こいつら……まじで物騒ニャ……)
騒がしいなか、意見するものがいた。
「ノクティス様、星閃ステラ様を守ることには賛成です。しかし、祠の様子も確認すべきかと。」
クロウはニタニタ笑いながら、ボクの方を見ている。完全に疑っている目だ。どうにかして切り抜けないと……
と、その瞬間、お腹のあたりに変な感覚が走った。
……ん? やば。あ、これ、やばいやつ。
ちょっと待って。本気で待って。
生理現象ってやつだ。この世界に来てから、なかなか出ないと思っていたのに。
今、このタイミングで?
「……あの、ここに砂ってないですか、ニャ?」
沈黙。
ボクの顎を撫でていた手が、ぴたりと静止する。全員の視線がボクに集中する。
(死んだ……完全に死んだ……)




