第7話 生存戦略
気づくとボクはノクティスの膝から滑り降りていた。冷たい石の床を、本能のままにカリカリと引っ掻く。
ダメだ……わかっている。けど前足が勝手に動く。ついやってしまう行動だけど、意味がないのもわかっている。
殺伐とした魔族の幹部たちの前で。
ボクは今、猛烈に……トイレに行きたい。
「……何をしている。」
あぁ、魔王ノクティス……
気になるよね、ボクはトイレに行きたいんだ。
そんなこと言ったら、星閃ステラはただの猫だったとバレてしまう。
……いや、仮に本物だったとしても、生き物の姿を借りているのなら仕方ないことでは?
思考がぐるぐるする、そんな間も、ボクの前足は石の床をカリカリと引っ掻いていた。
(どうする? もう言うしかない……)
勇気をだして口を開く。
「ボクは今、この姿だから……その……トイレを……砂を……ニャ。」
声がどんどん小さくなる。部屋の空気が、温度が全て無になった。全員の視線が突き刺さる。怖くて顔を上げられない。
恐る恐るノクティスの顔を見ると、彼は顎に手を当てて「なるほど」という顔をしていた。
え、納得するの? そんな簡単に?
「砂なら、カデンツ砂漠で調達できるな。カデンツ砂漠の方角は、ディミヌ神殿。ディミヌの祠を護る担当は……」
全員が同時にノワールの方に視線を向けた。
ノワールは一瞬固まるが、すぐに金切り声を上げる。
「はぁー!? あたしがカデンツ砂漠の砂を!? ふざけないでよ!」
「確かに、あそこの砂は無限に湧きますから。ちょうどいいかもしれませんね。」
クロウが涼しい顔で補足する。
ノワールが騒ぎ立てている中、テネブリスはクプクプと音を立てていた。
「ノワール。頼み事、聞いてくれるかな。」
「……ノクティス様が……そう言うなら……」
ノワールは、悔しそうに下を向く。そして、凄く悔しそうに顔を赤くしていた。
いや、そんな意地張ってないで、早く……砂を……
アルバがそっと歩み寄ってきて、ボクの顔を心配そうに覗き込んだ。
「星閃ステラ、もう限界。ノワール、十秒で取ってきて、砂。」
「十秒で!? カデンツ砂漠まで三日はかかるわよ、無理!」
あ、三日は……我慢できニャい……
顔が青ざめていく。
それを見たアルバが突然、壁を殴る。
ドゴォッ!
「えぇー!?」
壁が砕け散り、飛び散った破片をアルバが片手で掴む。そのまま握りつぶすと、サラサラと細かく均質な砂になった。
そんなに簡単に岩を砂に……
「これでいい。星閃ステラ、ここにして。」
「あ、ありがと……ニャ。」
助かった……本当に……助かった……
――
危機を脱したボクは、部屋を走り回っていた。開放感、達成感、安心感。全てがボクの手元にある。
(あぁ、気持ちいいニャー!)
世界が輝いて見えた。
ノワールは呆れた顔で出ていき、クロウとテネブリスも興味を失ったように部屋から出ていった。
ノクティスは椅子に座ったまま、静かにボクを見ていた。その目元が……少しだけ、優しかった。
アルバは、砂の用意も片付けもしてくれた。すぐ食べようとするけど、根は本当にいい奴なのかもしれない。
「アルバ、ありがとう。壁を潰して砂にする発想はなかった。でも毎回壁を壊したら、城が壊れてしまう。どこか良い岩の調達場所はないか。」
「城、壊れる、みんな困る。アルバ、守る、レクイエム洞窟、いっぱい岩、ある。」
砂の原料の岩も、アルバが追加で調達してくれるようだ。これからも安心だ。
「レクイエム洞窟か。アルバが護る祠がある洞窟だな。ついでに、祠の様子も見てきてくれないか。」
ノクティスの言葉に、空気が一瞬止まった。
その瞬間、先程のクロウの怪しい笑みが脳裏に浮かぶ。そう、ボクは疑われている。
みるみる顔が青ざめる。
ボクは星閃ステラじゃない。ただの猫だ。
星閃ステラが祠を壊して封印を解除することで現れるのであれば、祠はおそらく壊されていない。
祠が壊されてないことがバレたら……
ボクは、魔族たちのご飯になってしまうかもしれない!
その時、ボクの脳裏に最悪の光景が浮かんだ。
クロウにネチネチと指摘され、逃れられない自分。
テネブリスのうねうねとした触手に巻き付かれてる自分。
ノワールの鋭い牙で刺されて、血を抜かれる自分。
ドゥンケルの拳で殴られる自分……
怖い、怖すぎる。
ここは一か八か提案するしかない。
「あのー。」
ノクティスとアルバがこちらを見る。
心臓が破裂しそうになりながら、口を開いた。
「岩の調達、ボクも同行させてもらう……ニャ。」
――
どれくらい時間が経っただろう。
正直、後悔している。ボクは、外が嫌いだ。
自分で提案したのだから仕方ないけど、アルバに抱き抱えられたまま、城の外に出ていた。
怖すぎて、アルバの腕に無意識に爪を立ててしまう。無反応なところを見ると、痛くないらしい。
どれだけ頑丈な腕なんだろう。
飼い主、優陽に爪を立てた時の反応をふと思い出してしまう。あの温もりが恋しい。
早く家に帰りたい。
このままだとカーテンの裏の日向ぼっこ温もりも猫ベッドの匂いも忘れそうだ。
「大丈夫? 星閃ステラ。」
アルバがこちらを見る。
「うん……ニャんとか。」
「もうすぐ、ヴィヴァーチェの森、抜ける。森抜けたら、レクイエム洞窟。」
アルバの声は、いつもより柔らかかった。
やっと到着か。ホッと胸を撫で下ろす。
レクイエム洞窟はひんやりとしていた。濃い闇が広がり、時折、水滴の音がどこまでも遠くに聞こえる。
しっとりとした苔と水の匂いが漂う。
「ここが……レクイエム洞窟。」
「岩いっぱいある。好きな岩、持って帰る。」
足元の砂が湿って冷たい。ボクは岩の匂いを嗅ぐ。あんまり苔がついてない乾いた岩がいいなぁ。
砂になった時の感触、匂いを想像しながら探していく。
「星閃ステラ、楽しい?」
「はニャ?」
つい夢中になっていた。危ない、危ない。
トイレの砂になる岩を探すなんて、楽しくないわけないだろう。
「楽しそう、良かった。星閃ステラ来て、魔王城変わった。良くなった。ノクティス様、前より静か。城の空気、少し軽い。」
初めて見せる柔らかい表情。
「変わった……ニャ?」
アルバは、こくりと頷いて微笑んだ。
あれ、アルバってこんな表情するのか。
「ゆっくり探す、いいね。アルバ、奥、探す。」
「うん! ありがとニャ。」
ボクは夢中になっていた。
アルバの足音が、遠く遠ざかっていくのが聞こえた。ボクは岩の匂いを嗅ぎながら、別の方向へ進んだ。
――
洞窟内に、ぽつぽつと水滴の音が響く。重いしっぽを引きずりながら、のしのしと奥へ進んでいく。
後ろを振り返る。ステラは着いてきていない。
大きな扉が目に入る。ここから先は……選ばれた勇者と、祠を護る者しか入れない場所だ。
手を伸ばすと、祠の扉が静かに軋んだ。
細い道を進んでいくと、光が差し込む空間に出た。
祠は……
静かに佇んでいた。微塵も壊されていなかった。封印も解かれていない。
(どうして……)
拳を握る手が震える。視線の先、神聖な光が揺れていた。
(星閃ステラは……)
闇の奥で、封印の光がかすかに揺れていた。




