第15話 真実は共に埋もれて
上手く息を吸うことができない。足がガクガクと震えている。生きたまま食べられる。そんな恐怖だけが、僕の心を支配していた。
アルバの手が、心臓の辺りに伸びてくる。
その後起きることを想像してしまい、思わず目を瞑る。
……しかし想像していた一撃は来なかった。
胸元あたりに、そっと触れているだけだ。
「毛……ステラ、加護……どうして。」
アルバがそっと距離を取る。
目を開けると、アルバは小さな何かを手に取り、こちらを不思議そうに見ていた。
手元に目をやる。
それは、ステラの毛だった。
僕は掃除をマメにするタイプじゃなかったけど、ステラと暮らすようになってからは頑張っていた。それでも、長毛種の猫の毛は服に着く。
何故、猫の毛に反応した?
……いや、そんなことは今どうでもいい。
――チャンスだ!
道具袋から命の小瓶を取り出して、一気に飲み干す。本当に便利なアイテムだ。HPが少ないおかげで、一瓶で痛みも疲労も全て吹き飛ぶ。
僕は、すぐさまルシエルとマティーナの向かった方へ駆け出した。洞窟内には瓶が転がる音と、僕の足音だけが響いていた。
――
「優陽さん!」
「無事だったのか! 怪我は?」
岩がたくさんある広間に戻ると、二人の声が飛んできた。
「何とか大丈夫だった。ここであいつを待ち伏せる。」
あの時のあれはなんだったんだろう。猫の毛に反応していた。しかも、ステラという名を……
動物が好きなのか。魔王が星閃ステラを手に入れたことと何か関係があるのか? 僕はそれを確かめたい。
……毛。そうだ、それしかない。
「ルシエル、マティーナ。作戦がある。」
――
ジャラジャラ……
歩くたびに、体に巻いた鎖が音を立てる。
勇者の服に付着していたステラの毛。
アレは確実に星閃ステラの……いや、違う。猫のステラの毛だった。しかも服から微かにステラの臭いがした。
ステラはただの猫だ。祠が壊されていなかったことを確認したのは自分だけ。
何故、ただの猫が魔王城に来たのか自分にはわからない。だが、ノクティス様のあんな穏やかな顔を見てしまった以上、このことを誰にも知られてはいけない。
ステラの言葉を思い出す。
「また会いたいと思っている。」
ステラと話した大事な人のことを思い出す。ステラの大事な人はきっと……
岩がたくさんある広間に着く。入口に勇者が一人立っていた。
――自分を倒す気か。ならば、こちらも本気で行かねばならない。
「他の二人、どこ行った。」
勇者は黙っている。
「一人で勝てる、思ってるのか。とても愚か」
足を踏み込むと、バリバリと音を立て地面が割れる。そのまま地面を蹴り込むと、一気に距離を詰める。
その時、背後に熱気を感じた。振り返ると木の棒がいくつも燃えていた。
――火。
再び勇者の方へ視線を戻すと、岩陰に逃げていく姿が見える。
「逃がさない。」
すぐに追うが、背後を岩で塞がれる。……戻れない。
高く飛べば脱出できるが、今は勇者を追いかけるのが先だ。
しかし、走っても走っても追いつかない。
上から探そうとジャンプしようとしたその瞬間、視界が白く曇る。
(これは……煙……?)
煙が視界を覆い、上が見えない。迷路のように組まれた岩を、勘だけで走って探すしかない。
(どこにいる……?)
ズキン。
頭が痛む。
攻撃されたのか……? いや、勇者の気配はない。
視界がぐにゃりと歪む。地面が波打ち、真っ直ぐに立てない。
(なんだこれ……)
そのまま膝をつき、崩れ落ちる。立とうとするがやはり体が言うことをきかない。
ザリッ。
足音が聞こえる。布を口元に当てた勇者が目の前に立っていた。勇者の体は常に緑の光に包まれている。
「ビッグラットの毛と木の棒を燃やして、煙を起こした。温められた煙は上に行くから、姿勢を低くして吸わないようにする。マティーナに絶え間なくヒールをかけてもらって、煙のダメージを回復していたんだ。」
そのために……ここに誘導したのか……
「君には、聞きたいことがある。」
――
祠の間。
ここは、勇者と護る者だけが入れる場所。
勇者から、命の小瓶と呼ばれているものを貰った。人間の飲み物なんて飲んだことがない。毒かもしれない、と拒否をした。
でも、勇者から傷を治すものだ、と丁寧に説明されて恐る恐る飲み干す。
人間の開発するものは実に不思議だ。フラつきは残るが、歩くだけなら十分なほど回復した。
(どうして……? 人間は魔族を敵として殺すはずだろう。なのに、あいつは迷いなく手を差し伸べてきた……)
胸の奥がざわつく。回復した身体より、その優しさの意味の方がよほど重い。
(罠か? 策略か? それとも……)
考えがまとまらないまま、まとまらない思考が頭の中を巡り続ける。そのままフラフラとした足取りで、先を歩いた。
「聞きたいこと、何。」
「星閃ステラについて、だ。」
あぁ、やっぱりか。
「魔王は、既に星閃ステラを手に入れたと言っていた。あれは本当か?」
間違いない。
けれど、自分以外は偽物だとは気づいていない。
「この先、真実ある。」
自分だけが知っている真実。
これは……隠さなければならない。
「ステラは……」
祠がある場所に辿り着く。岩が崩れ、祠は埋もれていた。
「封印、解いた。解放された。」
勇者の目がまん丸に見開かれる。
驚くよね。本来なら彼が祠を壊して、星閃ステラを解放するはずだった。
猫のステラがノクティス様のそばにいる限り、真のステラは目覚めさせてはならない。あの日、祠を壊したのではなく隠しただけだった。
ノクティス様の願いを叶えたい。人間と魔族の共存の世界を。穏やかで平和な世界を。
そして自分は勇者を殺せない。気づいてしまったから。勇者はステラの大切な人だ。
「勇者。」
背を向け、唾を飲み込む。
「殺せ……っ!」
叫ぶと一瞬、洞窟の空気が凍りついた。
自分がここで死ねば、隠された祠が掘り起こされることはない。それがノクティス様、そして大事な友達のステラの為になるなら。
拳を握り、歯を食いしばる。
――しかし、次の一撃は来なかった。
振り返ると勇者は震えていた。
「殺さない、何故。」
何故迷う。
魔物を殺し、祠を破壊し、星閃ステラを開放するために召喚された勇者が。何故。
「やっぱり……ダメだ。」
勇者が剣を落とす。金属の音が洞窟に響いた。
「虫ですら殺せない、僕が……」
震えるな。早くしろ、剣を取れ。
「猫と暮らし、平和を望む僕が……」
目の前にいるのは、二百年前に村ごと食い尽くした化け物だぞ。人類の敵だぞ。
殺せ!
「こんなにも、普通の女の子を殺せない。」
空気が凍った。
……普通の女の子?
「さっき、うちの猫の毛に反応してたよね。君も動物が好きなんだろ? ……そういうの知っちゃうと、やっぱり……無理だよ。」
がくんと膝から崩れ落ちる。
……あぁ、この人間なら。
この人間が勇者なら。
ノクティス様の願いは、きっと叶う。
「アルバ、勇者、殺せない。」
勇者の目が見開かれる。どうしてそんな顔をするんだ。
「それなら、君に提案がある。」
「戦う理由がないなら、お互い生きる道を選ぼう。君の力を貸してほしい。」
洞窟の奥深く、静寂の中。水滴の音がぽつり、ぽつりと響いていた。
――
魔王城は、いつもよりも静かだった。
ボクは窓の外を見て、静かにアルバの帰りを待つ。今日は時間が経つのがひどく遅い。
しばらくして、黒いコウモリが飛んできた。ノワールの使い魔だ。ベッドから降りる。先に使い魔だけが戻ってくるなんて、嫌な予感しかしない。
すると会議室から怒声が聞こえてきた。壁を叩く音。ざわつく魔族たちの声。
ボクは低い姿勢のまま部屋を出た。そこに、魔族の召使いが血相を変えて走ってくる。その様子に、全身の血がサーッと引いた気がした。
そして、ボクは耳を疑う言葉を聞くことになる。
「アルバが死んだ。」




