37: 卒業
センター試験、塾長からの勧誘、突然の取材——有名になることの裏側で、スンヒョクは静かに自分の道を守り続ける。国家代表の夢でも、華やかな称賛でもなく、彼が選んだのはドイツへの旅立ちだった。好きだった子の幸せを遠くから見守り、卒業式にも出席せず、たった五文字のメッセージだけを送る。それがスンヒョクらしい別れの形だった。騒がしい青春の終わりに、誰よりも静かに幕を引いた少年の、高校三年間の物語。
# 卒業
2028年9月、センター試験まで二ヶ月を切ったある日。
いつものように授業を終えて鞄を整えていたスンヒョクを、誰かが呼び止めた。
「あの、学生さん! ちょっとよろしいですか」
振り返ると、学習塾の塾長が立っていた。見慣れない表情だった。
「もしかして……国家代表の枠を譲ったチェ・スンヒョク君だよね? ニュースで見たよ。格好よかった」
「はい、こんにちは」スンヒョクは静かに頭を下げた。
「ニュースにも出て、コメントの反応もよかったね。でも……こんなこと言うのも申し訳ないんだけど、うちの塾が最近ちょっと苦しくてね。アリーナオンライン、知ってるよね? 最近の子たちの間ですごく流行ってるじゃないか。それで、アリーナの受験コースを作ってみようと思って。チームワークとかメンタル管理の面で、助教をやってもらえないかな? 君のイメージがとても良いから、宣伝にも大きく役立つと思って」
スンヒョクは塾長の顔をしばらく見た。最初の一言でもうわかった。これは提案じゃない、スカウトだ。『君のイメージ』という言葉がすべてを物語っていた。
「助教ですか」彼は淡々と聞き返した。「条件はどういった感じですか?」
「あ、それがね……最初はちょっと少なくても、経験を積むつもりで——」
「センター試験が終わっても、考えるつもりはないと思います。すみません」
スンヒョクはそれ以上何も言わず、軽く頭を下げてから静かに背を向けた。
ドアが閉まる音だけが、ぽつんと残った。塾長は呆然とその後ろ姿を見つめながらつぶやいた。
「……やっぱり俺の話し方が悪かったかな」
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数日後、人気のない食堂の隅でひとり食事をしていたスンヒョクの前に、記者が現れた。
「もしかして……スンヒョク君、国家代表を譲った理由は何ですか?」
箸を置いたスンヒョクは、ゆっくりと顔を上げた。視線は穏やかだったが、声は毅然としていた。
「同じチームの先輩のためです。今食事中なので、これ以上邪魔しないでください」
少し息を整えてから、言葉を続けた。
「それと警告しておきます。今みたいに突然近づいてきたら、精神的被害として通報します。どうか……自分から引いてください」
記者はそこでようやく慌てた様子で後ずさりした。
スンヒョクは再び箸を手に取った。食事の味はもうとっくに消えていた。窓の外へと視線を向けながら、彼は静かに思った。
*有名になるって、こういうことなのか。*
不快だった。でも不思議なことに、その不快感が見知らぬものとは感じられなかった。
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朝食を済ませて学校に着いたスンヒョクは、廊下の奥の自販機の前でセリンと出くわした。いつも通り晴れやかな表情の彼女に、スンヒョクはそっと胸の内を打ち明けた。
「有名になったのはいいんだけど……最近なんでこんなに非常識な大人が多いんだろ。記者はまあ、通報すれば済む話だけど。二年間通ってた塾の塾長はなんなんだよ。センターも終わってないのに、助教やれって呼び止めてさ。宣伝に使いたいって魂胆が顔に丸出しだったよ」
セリンが目を丸くした。「マジで? ひどすぎる」
「なんかもうイライラする。なんで俺を道具みたいに見るんだよ……」
セリンは彼の肩をぽんと叩いて言った。
「スンヒョク、あなたは道具じゃなくて……私たちの学年で唯一の伝説だよ。でも伝説だって、たまには休まなきゃ。お昼は私のおごり」
スンヒョクはついプッと吹き出した。ちぐはぐだったけど、慰めになった。セリンはいつもそうだった。複雑なことを、単純にしてしまう人だった。
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その日の午後、スンヒョクは塾に辞意を伝えてから自習室へ向かった。
センター試験まで残りわずか二ヶ月。でも彼の眼差しは揺れることなく、静かだった。
*どうせ高校さえ卒業したら……ドイツへ発つことになる。*
教科書を開いた瞬間、ジウンがそっと近づいてきた。
「スンヒョク……キソンオッパ、今日選手村に入ったって」
スンヒョクはうなずくだけで、短く答えた。
「うん、聞いた。よかったよ」
口の端がかすかに上がった。本心だった。そして同時に、自分がその場を離れたという事実が、改めてリアルに感じられた。
*あと半年だけ。そうしたらこの街を離れられる。*
ページをめくりながら、彼はひっそりとドイツの冬の空気を想像した。
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10月。風に混じる冷気が、じんわりと肌を刺した。
スンヒョクはマスクをつけ、手袋をはめて、地面だけ見ながら黙々と歩いていた。学習塾と商店は静まり返り、通りには足音さえかすんで聞こえなかった。
すれ違う塾の送迎車をちらりと見た。
*センターが終わったら、この景色も終わりだ。*
それ以上、考えを広げなかった。鞄のストラップを直して、歩き続けた。
*シュタインズに入団したことは、卒業後に発表しなきゃな。今ばらしたら、イメージで商売したって言葉がついて回るだけだから。*
顔を上げて、無表情な空を見つめた。あとせいぜい半年。その考えが、冷たくなかった。むしろ淡々としていた。
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その夜、スンヒョクはスマートフォンを取り出してジウンのSNSをのぞいた。
画面には『キソンオッパとの200日』という文章とともに、二人が明るく笑っている写真が載っていた。
スンヒョクはしばらくその写真を見つめた。
苦いかと言えば、正直少しは苦かった。三年間、胸の片隅にひっそりと抱えてきた感情だった。告白しなかったのは勇気がなかったからじゃない。ただ……まだその時じゃないとわかっていた。いや、もしかすると最初から、自分の居場所はそこにはないとわかっていたのかもしれなかった。
「よかったのは、ジウンは俺が片思いしてたことを知らなかったみたいだってことだな」
彼は小さくつぶやいて、スマートフォンを置いた。
目を閉じて、過ぎた時間を振り返った。三年前はまだ、拒食症と劣等感に押しつぶされていた。一日一日を乗り越えるために抗うつ剤を飲み、成績も散々だった。暗闇の中に閉じ込められていた少年が、ここまで来た。
「そう、ハッピーエンドだ。もう昔の俺じゃないから」
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センター試験が終わった後、スンヒョクは静かに成績表を見つめた。
国語3、英語3、数学4、歴史1。
しばらくその数字を眺めた。三年間の終わりが、この一枚の紙だった。悔しくはなかった。最初からこの成績表にすべてを賭けていなかったから。それでも、指先が一瞬止まった。
「微妙だな……首都圏の大学は厳しいけど、近くの大学なら入れるか。まあ、Bプランがあるから」
独り言のようにつぶやきながら、成績表を折り畳んだ。
そのとき、カカオトークの通知が鳴った。ジウンだった。
**ジウン:** スンヒョク、元気だった?
**スンヒョク:** うん。実は……シュタインズ研究所に抜擢されて、ドイツに行くことになったんだ。
**ジウン:** マジで? わあ……おめでとう、スンヒョク! セリンにも絶対教えなきゃ。
画面を伏せてスンヒョクは、小さく笑った。
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数日後、スンヒョクは小さな封筒を取り出して手に握った。
平凡な能力値のカード二枚と、短い感謝の手紙。三年間をともに過ごした二人に渡す、最後の贈り物だった。
ジウンに封筒を手渡しながら言った。
「これ、俺が三年間支えてもらった人たちへの、お別れの挨拶だよ」
ジウンはカードを受け取りながら頷いた。「ありがとう、スンヒョク。本当に感動した」
でもちょうどその瞬間、ジウンの携帯が鳴った。
「うん、オッパ……マジで? 今回入隊するって? 私たちの200日は……」
ジウンはもうキソンとの通話に夢中になっていた。
スンヒョクはその様子を見ていた。寂しいかと言えば、嘘になった。でも不思議なことに、その光景が自然に見えた。それぞれの人生が、それぞれの方向を見つけていっている。自分も、ジウンも、キソンも。
窓の外を見ながら、彼は独り言のようにつぶやいた。
「セリン、ジウン……どうせあの二人以外、ペクウォン高校の三年間で記憶に残るやつなんて一人もいないだろうな」
口の端がわずかに上がった。寂しかったけど、その寂しさが悪くなかった。
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家に入るなり、母親がそっと口を開いた。
「スンヒョク、来年ドイツに行くんでしょ? お母さん……仕事やめて、一年間あなたについてドイツに行かせてよ。嫌じゃない?」
スンヒョクは笑いながらうなずいた。
「もちろん。合格した大学には、一年休学するって伝えておいて」
「うん、そう伝えるね」
短い会話だった。でもその中に、長い年月の理解が込められていた。スンヒョクは母親の後ろ姿をしばらく見てから、静かに部屋へ入った。
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2029年1月、卒業式の日。
スンヒョクは学校へ行かなかった。病欠を出して、部屋にひとり座っていた。
体育館で卒業式が行われているその時間、彼は窓の外を眺めた。冬の空がやけに澄んでいた。歓声も、拍手の音も聞こえなかった。ただ、静かだった。そしてその静けさが、むしろ心地よかった。
スマートフォンを取り出して、ジウンとセリンにたった一文を送った。
「卒業おめでとう」
五文字。それで十分だった。
もう俺たちの三人は、同じ釜の飯を食べたチームメンバーじゃない。社会人、大学生、他人。それでもよかった。
スンヒョクは窓辺にもたれかかって、空を見上げた。
ペクウォン高校の三年間。感情に不器用だった時期もあったし、毎日が孤独の連続だったけど、振り返ってみれば、それなりの重みがあった。拒食症と抗うつ剤で一日一日をしのいでいた少年が、全国大会ベスト4まで上がった。好きだった子と同じチームで戦った。自分を認めてくれたたった一人を、心の中に大切にしまっておけるようになった。
「俺の高校三年間……これ以上ないくらい、幸せだった」
その言葉が強がりに聞こえるかもしれないとはわかっていた。でも本心だった。
あとは一つだけ残っている。旅立つこと。
スンヒョクは静かに目を閉じた。
「*Hallo Deutschland…… warte nur ein Jahr.*」
——やあ、ドイツ。もうあと少しだよ。
最後まで読んでくださり、ありがとうございます。この話を書き終えて、スンヒョクはやっと自分の場所へ向かえたのだと、少しほっとしました。卒業式を欠席して、窓の外を眺めながら「幸せだった」と呟く場面——それが彼らしい終わり方だと思っています。派手な感動より、静かな納得。次の章では、いよいよドイツでの新生活が始まります。引き続きよろしくお願いします。




