世の中へのアンチテーゼ
いつからだろう、、、久遠蒼真はふとそう考えていた。
自分の作品作りにルールを設けた。自分の想像に制限をかけた。描くのは生々しい人間の心理。設定だけのありきたりなファンタジーは書かない。
自分の表現するのは現実世界。求めるのは剥き出しのリアリティ。しかし、自信はある。自分の中に眠る創作の神がゼロから世界を紡いだとすればお伽噺の幻想世界すらリアルに作れる。
読者の見たことのない世界。設定をその世界の常識として自然の法則として描ききれる。
自分自身の膨大な知識と想像力に絶対の自信をもっている。
ありきたりではなくそこにあるような異世界の日常。それを文化の違う外国での本当の出来事のように文字に起こす。
しかし、それはできない。自身で縛りを作った。理由は自分の作った世界に己が飲まれるのを恐れたためだ。没入しその世界に心が幽閉される。
空想の世界ですら彼が求めるのはリアリティ。その異界に住み、暮らし、日常を過ごす。自分の脳内に作ったその世界で生きなければ作品にはできない。
偽りのファンタジーであっても人の感情は変わらない。そこに嘘があれば読者の心は動かない。自身の筆も進まない。だからこそ生きなければならない、幻想の中で。
久遠蒼真は脳内に囚われるのを嫌悪しファンタジーを捨てた。現実に潜む人間の醜さ不器用さだけを作品に書いた。
だが、この海中世界はイメージが魔法となる。空想が動き出す。面白い。自分の想像が形となり武器となる。
円盤が去った海底都市には青く発光するクラゲたちが漂う。ウサギに変えられた住人たちは戻らぬまま人のいない街は静かだ。
蒼真は海底都市の遥か上、海面まで浮上していた。海面は穏やかで波も少ない。彼はイメージを膨らませ海上から空へと浮かぶ。
目をつぶりイメージを強固にする。目に見えない水が空に満ちているように水の抵抗を感じるようになにもない空気中へと浮かび上がる。
ある程度浮かび上がって蒼真は目を開ける。下を見れば先ほど自分がいた水面が見える。上には青空が広がる。視界を左右にふってもそこにはただ青い海がどこまでも続いている。
足の裏にはなんの感触もない。それでも宙の上で直立しているという現実は脳を混乱させる。不思議な体験に興奮する。
本当に陸のない海だけの世界。誰かが概念を変え海だけの世界に変えてしまった。この世界の賢者だけが辿り着けるという魔法の境地。
"概念を変える魔法"
自然の法則も常識も通用しない世界が圧倒的なイメージによりねじ曲げられる。
天才作家は考える。この世界をこんなにも変えた者はいったいなにを思ったのか。陸地をなくし水中だけに人々を閉じ込めた。そしてその息苦しい海中世界で呼吸ができるようにした。
蒼真は遠い目をして口角をあげる。案外、単純なのかもしれない。意図したものではなくイメージの暴走なのかもしれない。類いまれな想像力の怪物が作りだした空想が世界を包んだだけかもしれない。
どこの国、時代においても人の心理は変わらない。世界が変わってもそれは不変だと蒼真は思う。
想像力が豊かということはそれだけ周りからうける影響も大きい。だからこそ作家自身、ルーティンを守り群れるのを嫌う。他人に飲まれるのが窮屈だからだ。
この世界の賢者もそんな窮屈を水中の息苦しさと重ね合わせ世界を変えてしまった。そしてそんな息苦しいだけのこの世界で呼吸ができるようにした。
つまり救いを求めたのではないか。息の詰まるような日常生活と世界をリンクさせそれでも深呼吸をして気持ちを保つ。
この世界は息苦しい世の中へのメタファーではないか、どこまでも続く幻想的な海中世界は賢者がイメージした美しい理想郷。生きづらい世の中へのアンチテーゼ。
久遠蒼真は考える。自分がこの世界に影響を与えるとしたらどんな概念を見いだすか。目をつむり、深く呼吸した。
どこまでも続く青い空には白い雲がゆっくりと流れる。海面の波は静かに揺れる。鼻から息を吸うと潮の匂いが流れてくる。
思わず腕をふる。指揮をするように大きく。海面が男の指揮にあわせて波を起こす。目をつぶった蒼真は荒ぶる海をイメージする。
彼の脳内を映したように海面は踊る。指先が宙で止まる。ひとときの演奏が終わり目を開ける。眼下に映る世界は変わらず静かな海が広がっている。
どこかでなにかが"変わった"気がした。




