13.記録が示す異常
ゼミ室の前に現れたのは、失踪した親戚の足取りを追う男子学生。
由里と遥が見せられたのは、一枚の記録――
『昭和三十五年度 高次脳機能研究会活動報告書』
夏のラウンジに、静かに染み込んでくる冷たい気配。
過去は今も、静かに呼吸をしている。
一人で来てはいけない場所だった。
*
医学部エントランスホールに隣接するラウンジの一角。
そこに、由里、遥、そして篠原淳平の姿があった。
淳平も、由里の“圧”にはだいぶ慣れてきたらしく、以前のような過剰なおどおどしさは、もうあまり見られなかった。
「やばいやばい、黒崎さん、めっちゃ怖かった~!」
由里が、さっき不気味な笑顔で迫ってきた黒崎の話をぶちまけ始める。
「一人で行ったらあかんって言ったのに。来るからやん」
遥が、やれやれといった様子で由里を見る。
「だって、毎回、遥に悪いし…昼間やから大丈夫かと思ったんやって!
てか、今回エレベーターの怪異ちゃうし。黒崎さんやし」
由里が早口で反論する。
「一緒やん。黒崎さん、生きてる人ちゃうし」
遥はお菓子をつまみながら、あっさり言い放った。
「えっ?!」
なぜか淳平まで、びくっと反応する。
その反応を見て、由里はハッと何かを思い出したように口に手を当てた。
「そういえば……倉庫のバイトの時に聞こえた声……あれ、黒崎さんの声やってん」
「由里〜!そういう大事なことは、もっと早よ言って〜」
遥はいつも通り、あっけらかんとした調子で言う。
「いや、その……言うタイミングなくてさ」
由里がバツの悪そうな顔で答えると――
「忘れとっただけやろ」
遥がすかさずツッコむ。
「……バレたか」
由里は笑ってごまかした。
「で、淳平くんはなんで一緒におったん?」
由里が問いかけると、
「ゼミ室の前で、うろうろしてたで」
遥がさらっと言う。
「あ、えっと……お二人に共有したい情報があって……」
淳平はそう言いながら、おそるおそるノートを開いた。
「祖母に、あらためて例の“失踪した女性”のことを聞いたんです。その人――昭和30年に大学に入学したって言ってました」
「名前は?」
「羽村和江さん、だそうです」
「で、失踪したのはいつ?」
「……すみません、それ、僕の勘違いでした。実際は、どこかで療養中らしいです」
淳平が答えた瞬間、遥が首をかしげながら言った。
「羽村さんって、たしか絞間ゼミやったよな?」
その言葉に、由里がはっとしてカバンをごそごそと探り、コピーの束を取り出す。
『昭和三十五年度 高次脳機能研究会活動報告書』
研究代表:絞間元資(医学部教授)
研究分担者:虚埼慎也(講師)、笠井辰郎(助手)
学部所属学生:
・羽村和江(医学部医学科6年)
・野田聡(医学部医学科5年)
・有科詠人(医学部医学科4年)
「祖母が言うには……羽村和江さんは、大学で廃人にされたって……」
淳平の声は、しだいに小さくなっていった。
言葉が止まる。
重苦しい沈黙が、三人のあいだに落ちた。
――同じゼミから、一人は姿を消し、一人は廃人に。
誰も、それを偶然だとは思えなかった。
夏だというのに、どこからともなく忍び寄るような冷気が、じわりと身体にまとわりつく。
嫌な空気が、肌の内側にまで染みこんでくるようだった。
<第14話へつづく>




