12.一人で来てはいけない場所
由里は、いつものように研究室へ資料を取りに立ち寄った。
ゼミ室の奥には、黒崎の姿があった。
謝罪、心配、会話――どれも普通に見えた。
その部屋は、ただの研究室でありながら、
一人で来てはいけない場所だった。
*
由里は卒論の資料を取りに、一人でゼミの研究室を訪れていた。
午後の研究棟は静かで、人の気配はほとんどない。
研究室の奥の扉を開けると、黒崎がひとり、机に向かっていた。
彼女の姿を認めると、ゆっくりと立ち上がり、深々と頭を下げた。
「……危険なことに巻き込んでしまって、本当に申し訳ない」
「やめてください、黒崎さんのせいじゃないですから」
由里は軽く手を振ると、作り笑いを浮かべてみせる。
「体調は……大丈夫?」
「ちょっと打ち身があるくらいで、ピンピンしてます! めっちゃ健康です!」
黒崎があまりに神妙な顔をしているので、あえて元気に振る舞ってみせた。
「バイトの引継ぎでも、論文の手伝いでも、なんでもする。言ってくれ」
「だから……黒崎さんのせいじゃないですって。でも、バイトは何かあったらお願いしますね」
「わかった」
短い沈黙。
由里はふと思い出し、黒崎の方へ向き直る。
「そういえば、黒崎さんに渡した“D15”の鍵、どうしました?」
黒崎が彼女の方を見て、小さく「ああ……」とつぶやく。
ゆっくりと、机の引き出しに手を伸ばし――そして、止まった。
中を覗き込んだ彼の顔が、徐々にこわばっていく。
「……鍵が、ない」
その声はかすかに震えていた。
黒崎はゆっくりと顔を上げ、由里の方に体を向けた。
「斎藤さん。――D棟に、一緒に来てくれないか?」
「D棟ってなんですか?」由里の声は震えていた。
「知ってるんだろ?」
その言葉に、由里の背筋がぞくりと凍った。
黒崎は微笑んでいた。けれど――
目が、笑っていなかった。
無表情の奥で何かがひび割れている。
その視線に射抜かれた瞬間、由里の心臓が跳ね上がった。
「……いえ、私、もう行かないと」
逃げるようにしてドアに向かった。だが、ノブが回らない。
「……なんで……?」由里がつぶやくと。
「無駄だよ」
黒崎が優しい声で答えた。
いつになく穏やかだった。異常なほどに。
ゆっくりと、笑顔のまま彼が近づいてくる。
「君には、D棟での実験に付き合ってほしいんだ」
「絶対嫌です!」
由里はパニックになりながら、ドアノブを必死に回し続けた。
「開いて、開いて……っ」
――カチャッ。
不意に、ノブが回った。扉が、わずかに開く。
「……馬鹿な……」
黒崎が低くつぶやいた。
その瞬間。
「言いつけ破って、一人で来た悪い子はどこですかー?」
軽く響く、遥の呑気な声が部屋に入り込んできた。
「遥……と、淳平くん?」
由里が振り返る――だが、そこに黒崎の姿はもうなかった。
背後の非常扉が、わずかに揺れていた。
<第15話へつづく>




