10 聖女様は夢を見る、現実は違う
その時、ハヅキとイリスの二人は、サキからクレイの思い出話を聞いていた。
それはサキからすれば苦い記憶の1頁だと言えるのだが、二人からすれば惚気話と言い換えても一つも間違いはない。
サキとクレイが出会って2年目ぐらいの頃の話だ。サキがギャングに狙われてしまったので、クレイ一人でギャングの組織一つを壊滅させたという話だった。
……クレイ様も、相当な無茶をするのね。サキ様の為なら。
そんな事をハヅキは思った。
……その頃から、メチャクチャ溺愛されてるじゃないですか、サキ様。
イリスはそう思った。
と、そこで部屋の呼び鈴が鳴った。話を聞いていたら、いつの間にかそんなに時間が経ったんだ、と最初イリスは思った。ユリーシャが夕食を届けに来たのだと思い込んでいたからだ。
しかし、時計の針は午後6時を指している。ん? とイリスはそこで一瞬止まった。夕食にしては少し早い気がする。となると、もしかして……!
「サキ様、これ、ひょっとしてクレイ様からのお誘い……!」
しかし、呼びかけた相手はいつの間にか目の前から消えていた。え? と思い、玄関の方に行ってみると、そこにはもうドアを開けてクレイと対面していたサキの姿が。
サキ様、何してるんですか、アンタ! 勝手にドア開けないで下さいよ! ドア開けるの、私の仕事なんですけど! ていうか、何でクレイ様が来てるの!? え、何これ、遂に来たって事!? クレイ様がプロポーズしに!?
おかげでイリスはだいぶテンパる事となったが、それは反射的に飛び出してドアを開けたサキの方がもっとだった。まさか、クレイ本人が来るとは思っていなかったのだ。まずはユリーシャから使いが来て、食事とか出掛ける約束を取り付けてからだと思っていた。
何で!? 何でクレイがいるの!? 直接来たの!? これ、もしかして、私にプロポーズしに!?
当然、クレイも驚いた。まさかサキ本人が出るとは思っていなかったからだ。しかし、クレイはサキよりもだいぶ落ち着いていた。口を開けっ放しで固まっていたサキに対して、彼は言った。
「サキ、少し時間をいいか。大事な話がしたい。出来れば、二人だけで」
サキは物凄い早口で答えた。
「ムリムリムリ! 私、今、スゴく忙しいんだけど!」
咄嗟に謎な事を言い出すサキ。思い出話をしていただけのだから、忙しい訳が無いし、仮に忙しくてもサキは無理矢理時間を開けたはずだ。サキ自身も、何でこんな言葉が出たのかが全くわからない。
「そうなのか? ……それなら、一旦、出直そう。また後で来るから」
そう言って、踵を返すクレイをサキは慌てて掴んだ。絶対、帰っちゃダメ! と本気で思った。
「大丈夫! 時間を作るから! すぐに作るから! ちょっと待ってて!」
そう言いながら、クレイをとりあえず部屋の中に押し込み、ハヅキとイリスを慌てて呼んだ。
「二人とも! 急いでクレイに、何か冷たい部屋とか冷たい飲み物とか出して!」
冷たい飲み物はともかく、冷たい部屋を出すのは難しい。しかし、二人は正確にサキの意図を察知して、急いでクレイを奥の風通しが良い部屋まで連れて行き、氷の塊を持ってきてそこに配置すると、更に氷をかち割って冷やした紅茶を最速で用意した。
氷は貴重品であり、特に夏場は高価な品となるのだが、クレイの屋敷にはそれが大量にある。当然、サキの離れにも氷は潤沢に運ばれており、普段二人はそれを大事に使っているのだが、この時ばかりは惜しげもなくそれを使用した。
そして、サキと一旦寝室で合流した後、「クレイから大事な話があるらしいの!」と聞いた二人は、急いでサキに化粧をもう一度施し、リンゴをすり潰してサキに飲ませ、そしてそれ以外の事は何一つ聞いていないのに慌てて部屋の外に出ていった。出る直前に、二人はサキに言った。
「聖女様。もしも抱きしめられたり、接吻されそうになっても、聖女様は目を瞑っているだけで良いですからね。初めてなので、かなり緊張するかもしれませんが、絶対に拒否したら駄目です。後はクレイ様にお任せして下さい」
「ハンカチとか持ってますよね。泣きそうになったら、それを使って下さいね。でないと、化粧が落ちますからね」
サキは緊張しながら頷いた。そして、二人が出ていったのを見届けると、大きく深呼吸をした。
落ち着いて。慌てない。焦らない。
まるで災害時の心構えのような事を思いながら、サキはゆっくりとクレイのいる奥の部屋へと向かった。もちろん、クレイからの求婚を受ける為に。それ以外の事が起こるとは、この時、彼女は全く思っていなかった。
クレイはどんなプロポーズの言葉を言ってくれるんだろう。クレイの性格からいって、直球で結婚してくれとか、そんな感じなのかな。それとも、毎日私と暮らしたいとか、そういう感じなのかな。もしかしたら、一生俺のパートナーでいてくれとか、そういうのかも。でも、何でも嬉しい。凄くドキドキするけど、でも楽しみで仕方がない。
そんな事をサキは思っていたのだが、サキが想像しているような事をクレイは決して言わないのだった。




