第097話:水晶の鏡面世界
「……おはよう」
翌朝、宿の食堂にかなり遅い時間になって這い出てきたリィンとアイラに向かって、ステラは至極爽やかに挨拶を投げかけた。
「うぅ……。またしても、不覚にも飲みすぎてしまった……」
「はい……。頭が重いです、眠いです……」
片手で盛大に目をこすりながら席に着いた二人は、揃って深刻な寝不足を訴える。アイラは自身のスキルでアルコールこそ即座に解毒しているものの、純粋な肉体疲労と寝不足だけは誤魔化しがきかないようで、いつになくぐったりと机に突っ伏していた。
昨夜、書き置きを見たステラが二人を探しに夜の街へと繰り出したところ、案の定、隣のフェンリルが働く大衆酒場で二人を発見した。しかも悪いことに、そこには『白銀の聖環』のメンバーが全員揃っており、あのおっとり神官のアリアも含めて、盛大に飲み明かしている最中だった。
さらに、普段はクールなエルフのエルフィラまで顔を赤くして出来上がっており、ステラの姿を認めるなり「あら、遅かったのね」と、度数の高い上質な蒸留酒を容赦なく勧めてくる始末。
結局、そんな賑やかで愉快な面々に巻き込まれる形で、ステラ自身も楽しくグラスを傾け、気がつけば明け方近くまで盛大に飲み明かすことになってしまったのだった。
「それで、今日がせっかくの休養日の最終日なわけだけれど……貴女たち、本当に大丈夫かしら?」
飲み疲れ、すっかり覇気をなくしてだらけている二人を見ながら、ステラが呆れ混じりに問いかける。
「……問題ない。昨夜は存分に憂さ晴らしができたからな。それにしても、其方はあれだけ煽られておきながら、何故これほど平然としていられるのだ?」
「本当に……ステラさんは、頑強すぎます……」
羨望と、少しの畏怖が混ざった二人の視線を受けながら、ステラは「ふふ、これでも昔からお酒には強い方なのよ」と、大人の余裕を見せて軽く受け流した。
日の光が天高く昇り、二人が少しずつ元気を取り戻した午後。ステラは昨日、ボルグたち『灰狼の牙』と合同で潜った際に入手した「迷宮の宝箱」と強奪犯の件について、情報を共有した。
「わあ、宝箱を本当に見つけたんですね! ハンスさんも凄く喜んでいただろうなぁ」
リィンの弾んだ嬉しそうな声に微笑みながら、ステラは「この迷宮は適合者であるリィンの前には、宝箱をそう簡単に出現させない可能性が高いという仮説については、あえて口にせず、胸の奥にそっと仕舞っておいた。隣で聞いていたアイラも、ステラの視線から迷宮の意図を察したようで、特にそれ以上は深くコメントを挟まなかった。
――――
翌朝。今回は特にアイテムの売買や交換の予定もなかったため、一行はギルドには寄らず、朝一番の定期駅馬車へと乗り込んで迷宮の停留所へと向かった。
事前の待ち合わせ時間よりもかなり余裕を持って到着したつもりだったが、停留所にはすでに『白銀の聖環』のメンバーが、完璧な装備に身を包んで揃っていた。
「待たせてしまったかしら」
ステラが声をかけると、ガルクが豪快に笑って首を振った。
「いや、俺たちが早く着きすぎただけだ、時間通りさ。……ところで、体調の方は大丈夫か?」
ガルクが、心配そうにアイラへと問いかける。アイラは流石に昨夜の泥酔劇を思い出して少しバツが悪そうに頬を染め、おっとりと微笑んでいるアリアの方をチラリと見つめた。
「……おかげさまで。昨夜は、有意義で、良い時間が過ごせたよ」
「それは光栄ですわ、アイラさん。私も、本当に、久しぶりに楽しい休暇となりました」
アリアはいつもの聖母のような笑みを湛え、アイラと親密な視線を交わし合う。昨夜の「飲み比べ」を経て、二人の間には奇妙な友情とライバル関係が芽生えたようだ。
「さ、さぁ! みんな揃ったことだし、さっそくダンジョンへの進入手続きをしちゃおう?」
「そうですよ、早く行きましょう!」
二人の独特な空気を察したキリカとリィンが、苦笑しながら先を促すように声を上げ、一行は受付へと向かった。
『白銀の聖環』の面々と正式に合流したステラたちは、転移陣を起動し、いよいよ本格的な攻略対象である【第四層:水晶の迷宮】へと足を踏み入れた。
地上からの転移陣を抜けた瞬間、一行の視界を埋め尽くしたのは、息を呑むほどに美しい純白と透明の輝きだった。天井から床に至るまで、文字通り無数の巨大な水晶柱が乱立しており、それらが互いの光を反射し合うことで、まるで鏡の迷路のように進むべき道を狂わせている。
「ここに出現する魔獣は、すべてこの水晶の特性をベースにしているわ。物理・魔法を問わず、各種攻撃を『反射』してくる個体が多いから、油断しないで」
前頭を歩くエルフィラの厳格な注意に、メンバーたちは一斉に頷き、改めて気を引き締め直す。
この第四層は、その視覚を狂わせる地形の特殊性ゆえに、前層の火山層以上に戦術的な難易度が高い。方向感覚を完全に失い、至る所に口を開けている結晶の裂け目や深い縦穴に足を踏み外して、そのまま行方不明になる上位冒険者も後を絶たない、いわゆる上級者向けの魔境なのだ。
迷宮内は、岩肌に生息する発光苔によって明るく照らされているが、鏡面のような水晶によって光が何倍にも増幅され、視界はむしろ眩しいほどだった。
水晶が狭まった細い通路を慎重に進んでいくと、やがて地下水脈が激しく湧き出で、美しい川となって流れる開けたエリアへと出た。
「ふん……水場か。ここいらには、あの厄介な『硬い奴』が潜んでいそうだな」
ガルクが大盾を構え、警戒を強めながら足を進める。その瞬間、エルフィラが美しい手際で虚空に緑色の魔法陣を展開した。瞬く間に召喚されたのは、彼女の頼れる眷属である『ブリザードイーグル』だ。
「ガルクの予想通りよ。前方の水脈に『リフレクト・タートル』が複数潜伏しているわ」
エルフィラが鋭い声で戦闘態勢をとる。その言葉に呼応するように、全員が即座に武器を構えて周囲を鋭く警戒した。
(流石は上位パーティね。これほど不鮮明な鏡面世界でありながら、いち早く敵の気配を察知して迎撃の布陣を敷くなんて)
ステラは、頭上を鋭く旋回して周囲を警戒するブリザードイーグルの動きを見上げながら、彼女たちの高い練度を内心で賞賛していた。
その刹那――地下水脈の美しい水面が激しく波打ったと同時に、水中から目も眩むような複数の「極太の光線」が乱射された。
それらはまっすぐにパーティーをめがけて放たれたものだけでなく、敢えて周囲の天井や壁の水晶に向けて放たれ、複雑な角度で反射しながらステラたちを四方八方から襲う。
「――来たっ!!」
先頭を歩いていたキリカが、野生的な勘で咄嗟に身を交わしながら鋭い警告を発する。
すかさず後衛のアリアが、神聖な魔力を編み上げて強固な魔法壁を前面に展開した。キィィィン! と硬質な音が響き、反射光線が激しく火花を散らす。
「あの光線は、水晶に反射して死角から襲ってきます! 軌道を読み違えないでください!」
アリアの正確な指示を聞き、アイラとリィンは即座に、今まさに攻撃を放ってきた水中の対象へと意識を集中させた。
ザバァッ! と激しい水飛沫を上げて、水脈から『リフレクト・タートル』たちがその姿を現した。
巨大な甲羅を背負ったその亀は、全身が極めて純度の高い透明な水晶で構成されており、周囲の風景を完璧に透過・同化させている。こうして自ら動いて波を立てなければ、熟練の冒険者でも岩との見分けがつかない恐るべき擬態能力だ。
「ハァッ!!」
複雑に反射してくる光線を巧みなステップで回避しながら、アイラがいち早く一匹のタートルの甲羅へと肉薄し、鋭い一閃を叩き込んだ。
ガキィィィン!!
鍾乳洞に、まるで硬質な金属同士が激突したかのような凄まじい音が鳴り響く。アイラの鋭い剣撃を以てしても、タートルの甲羅にはかろうじて白い細傷をつけられた程度で、致命傷には程遠い。
しかし――もう一人の少女の場合は、完全に常軌を逸していた。
「えぃっ!!」
リィンが可愛らしい掛け声と共に振り下ろしたのは聖剣『メルクリウス』。その刃が秘める段違いの破壊力と圧倒的な質量は、硬固を誇るはずの水晶の甲羅を、文字通り「存在ごと」粉砕した。
凄まじい爆音と衝撃波が周囲の水晶群を震わせ、リフレクト・タートルの甲羅は一撃で粉々に砕け散り、肉体ごと光の粒子へと還っていった。
「……流石に、その聖剣はあらゆる物理法則の例外ね」
その圧倒的な質量暴力を目の当たりにしたアイラが、少し引きつった笑みを浮かべながら感心したように呟く。
「二人とも、リフレクト・タートルは首の付け根の隙間が比較的柔らかいわ! そこを狙って!」
上空のブリザードイーグルに氷の矢を連射させ、魔獣の動きを的確に牽制しながら、エルフィラがアイラたちに向かって鋭く指示を飛ばした。
鏡面世界の洗礼を受けながらも反撃が始まる。




