第096話:迎え酒
鍾乳洞のひんやりとした冷気に満ちた薄暗い道を、一行は迷宮の入り口に向かって戻っていた。
先ほどの宝箱から得られたアイテムは、見事な装飾が施された、実に荘厳な佇まいの長弓であった。一目で高性能なマジックアイテムだと分かる代物であり、パーティの弓手であるハンスの喜びはひとしおだった。彼はまるで宝物を手に入れた子供のように、何度もその弓の感触を確かめている。
「なぁ、ステラ。……あいつら、本当にあのままで放っておいて大丈夫なのかよ?」
不意に、道中を気遣わしげに何度も後ろを振り返っていたボルグが、声を潜めてステラに問いかけてきた。
「あら? 荒々しい見た目に似合わず、意外と優しいのね」
「優しくはないが……流石にちょっと、後味が悪いだろ」
頭を掻きむしりながら、バツが悪そうに視線を泳がせるボルグ。いくらこれまで悪行を重ねてきた自業自得の連中とはいえ、迷宮の真ん中で、すべての戦闘能力と、声まで封じられた状態で置き去りにされることは、冒険者にとって確実に「無残な死」を意味するからだ。
そんなボルグの様子に、ステラは優しく微笑んだ。
「ふふ、大丈夫よ。さっきちゃんと魔法を解除してあげたわ。彼らも、命の危機に直面して十分に肝を冷やしたでしょうからね」
それを聞いた『灰狼の牙』の面々は、一斉にホッと胸を撫で下ろした。
「そうなのね。それなら良かったわ。まぁ、あいつらには良い薬よ」
ナギがホッとしたように耳を揺らす。
そんな会話を背中で聞きながら、ステラは再び、ゆっくりと前を向いた。
(――全部を解除したとは、一言も言っていないけれど。少なくとも、しばらく外で悪さを企む余裕はないでしょうね……)
誰にも気づかれないほど微かに、その口元が妖しく緩む。
その後、帰路の途中で何度か、岩肌から飛び出してきたスティールラプトルや、水辺から襲いかかるウォーターハウンドの襲撃を受けたものの、特に大きな被害もなく鮮やかに切り抜けていく。そうして一行は、何事もなく地上への帰還転移陣へと到達した。
「よし、とりあえずこのまま地上へ戻るぞ。ギルドにあいつらの悪行をしっかり報告しなきゃならねえからな」
「そうだな。ところで……」
転移陣に足を踏み入れる直前、ドワーフのドクが真面目な顔でステラの方を振り返った。
「ステラ。本当に、今回の宝箱の分け前は受け取らなくて良いのか? あんたがいなきゃ、あの弓どころか、俺たちだってどうなったかわからないんだぞ」
メンバーたちの視線が、一斉にステラへと集まる。
「ええ、気にしないで。私は今日、貴方たちと行動したことで、お金には換えられない『十分すぎる成果』を得ることができたから」
「そうか……。あんたがそう言うなら、これ以上は野暮だな。ありがたく、その弓はハンスに使わせてもらうよ」
地上へと戻った一行は、そのまま定期馬車に乗ってエデルナの街へと向かった。
揺れる馬車の中は、他のパーティも含め、最近迷宮内で頻出しているという「宝箱のアイテム」の話題で持ちきりだった。やはり、以前よりも明らかに強力なアーティファクト級の武具が出現する確率が跳ね上がっているようだ。
(『我が僕よ、魂を磨き上げよ』――か)
ステラは、シトリーの石板に刻まれていた文字を静かに思い起こす。
迷宮がどのような意図を持ってこれほど強力な武具を吐き出しているのか、その全貌はいまだ見えない。しかし、この迷宮が『適合者』であるリィンを識別し、リィンを試し、あるいは乗り越えるべき障害すら含めて、迷宮へ挑むもの達含めて全体の戦力を底上げしていることだけは、間違いなさそうだった。
――――
エデルナのギルドに到着し、ボルグたち『灰狼の牙』の面々と別れた頃には、すっかり日が暮れていた。街路に並ぶ魔道灯が、夜の街を白々と照らし始めている。
道行く人々は、一日の仕事を終えて家路に就く者や、これから美味い酒を求めて夜の街へと繰り出す冒険者たちで、昼間以上の混雑を見せていた。
ステラは、リィンとアイラが待っているはずの宿屋を目指して歩く。
(あの二人は、今頃大人しく宿の部屋で休んでいるかしら。リィンはともかく、アイラはあの様子だったし……)
予定よりも少し帰りが遅くなってしまったことに、微かな不安を覚えながら宿に入り、トントンと木製の階段を上っていく。
二人が泊まっている部屋の前に辿り着き、鍵を開けて中へと入るが――室内は、水を打ったように静まり返り、真っ暗だった。
「……あら?」
パチン、と魔道灯に明かりを灯して室内を見渡す。
二人の荷物はそのまま残されており、部屋が荒らされたような形跡は一切ない。誘拐などのトラブルではなさそうだ。つまり、あの二人は揃って自らの足でどこかへ出かけたらしい。
(どこへ行ったのかしら。アイラはあれほど、今日はベッドから出ないと言っていたのに……)
ステラが首を傾げながらテーブルに目をやると、そこには一枚の白い紙切れが置かれていた。
文字の装飾こそ優雅だが、明らかに手が震えている、殴り書きのようなアイラの筆跡だ。
『ステラへ。
リィンが、迎え酒をすれば二日酔いの疲労が治るとの妙案を宿の主人から仕入れてきた。
我が誇りにかけて、あのアリアに遅れをとったままなのは容認できん。
乾ききった喉が、私にエールを求めている。
リィンと共に、昨日のあの美味い店とやらに「リベンジ」に行ってくる。
――アイラ』
「……はぁ」
ステラは手紙を読み終えると、思わず額を押さえて深い、深い溜息を吐き出した。
あの生真面目で、威厳溢れる王女殿下が、まさか宿の主人の口車に乗せられ、リィンを連れて「迎え酒」に繰り出すとは。しかも動機が、昨晩のアリアへの負けず嫌いというのだから頭が痛い。
「全く……。解毒したとはいえ、あれほど眠気と疲労で苦しんでいたというのに、お酒のやらかしを、お酒で上書きしようとするなんてね」
呆れ果てながらも、どこか楽しそうにクスリと笑うステラ。
今頃、リィンと一緒にまた真っ赤な顔をして、大衆酒場の中心で気炎を上げているアイラの姿が容易に想像できた。
ステラは苦笑しながら、愛すべき仲間たちを連れ戻すため、再び夜の帳が下りた街へと出かける準備を始めるのだった。




