第095話:逆鱗
青く輝く鍾乳洞の窪みに、突如として出現した神秘的な宝箱。ステラは、先ほどまで影も形もなかった空間にそれが実体化している様子を、深い興味を湛えた目で見つめていた。
(……まるで、魔獣を討伐したことに対する迷宮からの『ギフト』のようね)
表面に未知の紋章が刻まれた美しい木箱。
ボルグたちが歓喜の声を上げる中、ステラは、背後の通路からこちらへ近づいてくる不穏な足音と、下卑た気配を完全に察知していた。
「――おっと。悪いけれど、それはもう僕たちが手をつけた獲物なんだ」
背後の暗闇から、ねっとりとした嘲笑の混ざった不快な声が響き渡った。その声を鼓膜に捉えた瞬間、ボルグたちの表情が怒りで凍りつき、一斉に声のした方へと振り返った。
「なんだって……? ――ッ、テメェらは、あの時の!」
ボルグが牙を剥いて激昂する。しかし、現れた五人組の男たちは、ボルグの姿を認めるや否や、さらに不敵で小馬鹿にしたような笑みをその下卑た面に浮かべた。
「おやぁ? これは奇遇だねえ。こんなところでまた会うなんてさ」
「おっ、ホントだ! ギャハハ! おいおい、また人のものを横取りしようとするのはダメだぞぉ?」
五人組の男たちは、それぞれ武器を弄びながら、挑発するように囃し立てる。
「この間もたっぷりと身に染みてわかったはずだよねぇ? 迷宮の宝箱のアイテムは『早い者勝ち』だってことがさ」
「ふざけないでっ! それはアンタ達が、私たちが先に見つけた宝箱を、寄ってたかって強引に奪い取ったからでしょ!?」
斥候のナギが長い耳を逆立てて激しく抗議するが、長剣を肩に担いだリーダー格の男は、鼻で笑って一蹴した。
「嫌だなぁ、人聞きが悪い。さっきも言っただろ? 先に『僕たち』が目を付けて、手を置いてたの。ねえ?」
「そうだそうだ! 先に俺たちがその宝箱を見つけてキープしてたんだよなぁ!」
嘘に嘘を重ねる厚顔無恥な仕草に、ボルグが堪りかねて掴みかかろうとするが、その巨躯で一歩前に出た熊獣人のバルクが、グッとボルグの肩を掴んで制した。前回の戦いで、相手の連携の前に無力化された痛い記憶が過ったのだ。
「おおっと、怖いねぇ。暴力はダメだよ、暴力は。僕たち、とっても繊細だからさ……そんな風に威嚇されたら、身を守るために『正当防衛』しちゃうよ?」
「あはは! 『いきなり野蛮な獣人に殴りかけられたので、怖くて仕様がないから全力を尽くして反撃しました』って線で行こうぜぇ!」
「くっ……こいつら……!」
ここで激突すれば、また仲間たちに酷い負傷者が出る。メンバーの安全を最優先に考えたボルグは、奥歯が噛み砕けそうなほど強く硬直した表情で、ひたすら怒りを我慢していた。
男たちは、ボルグたちのその態度を「怯え」と勘違いし、調子に乗ってさらに口を滑らせていく。
「おいおい、今回はみんなダンマリかよ。ダセェなぁ!」
「不当な暴力からの正当防衛って線で、今度は身ぐるみ剥いでやろうと思ったのに、最近のパーティは大人しいねぇ」
「退屈だなぁ。いっそ、話題の『紅蓮の絆』とやらにでも、相手してもらうか?」
「ああ、あの青髪のチビでも、ついでに攫っちまえば、裏のルートでいくらで売れるかねぇ……ひひっ」
――パキッ、と。
空間の何かが、致命的にひび割れる音がした。
突如として、鍾乳洞内の気温が異常な速度で急上昇し始める。ひんやりとしていた地下世界が、一瞬にして灼熱の火山層さながらの、息苦しいほどの熱気に包まれていく。
「……っ!?」
あまりにも異常な魔力の高まりに、最初に気づいた『灰狼の牙』の面々が、恐る恐る背後にいるステラの方を振り返った。後衛にいたフィナは、ステラの全身から立ち上る、禍々しいほどの漆黒の魔力波を至近距離で浴び、恐怖のあまり悲鳴すら上げられずにガタガタと震えながら後ずさる。
ボルグは、ステラの底冷えするほど無表情な顔を見て、深く、静かにため息をついた。
「……ああ。あいつら、終わったな」
五人組の男たちも、ようやく周囲の「異常な熱気」と空気の変貌に気づき、困惑したように首を傾げ始めた。
「おい、なんか急に、暑くねえか……?」
「ああ……。こいつらと不毛な会話をしてたから、熱がこもったんじゃねえの?」
「――それは、どういう意味かしら?」
不意に、鍾乳洞の壁を微振動させるほどの、怒りに満ちた声が響き渡った。
「やらかした」と周囲の者が気づいた時には、すでに何もかもが遅すぎた。ステラの逆鱗は、完全に引き絞られていた。
「なんだよ、お前。何か文句でもあるのか?」
問いかけられたリーダー格の剣士が、不機嫌そうにステラを睨みつける。
「んー? お前、初めて見る顔だな。この間、あの獣人どもの中にいたか?」
男たちが一斉にステラを凝視する。
「いや、こんな上等な女がいたら、絶対に忘れるわけねえ。新入りか?」
「……そんなことより、今、『紅蓮の絆』を襲う、攫って売るとか聞こえたけれど」
表情を完全に消したステラが、昏い紫色の瞳で、冷徹に男たちを射抜く。
「あ? ああ、言ったかもな。最近、名前が売れて調子に乗っているようだから、ちょっと痛い目に合わせて分を分からせてやろうかと思ってさ。――それがお前に、何か関係あるのかよ?」
「そう……。さっきから黙って聞いていれば、本当に、勝手なことばかり口にするのね」
ステラが、ただ静かにそう呟いた、その瞬間だった。
「あぁぁぁっ!?」
五人組のうちの一人が、何の前触れもなく突如として地面に激しく転倒した。
「おい、どうした!?」
「わ、わかんねえ! あ、足が……左足が、全く動かねえんだよっ……!」
地面に転がった男は、必死に右足をバタつかせて立ち上がろうとするが、彼の自慢の俊足を支えていた左足は、まるで大理石の彫刻にでもなったかのように完全に硬直したまま、ピクリとも動かない。
「おいおい、何遊んでるんだよ、お前……ッ!?」
呆れた剣士が手を貸そうと一歩踏み出した、その瞬間。男は自分の手に強烈な違和感を覚え、握っていたはずの自慢の長剣をガラガラと床に落とした。
「な……に、右手が……俺の利き腕が、動かねぇ……っ!?」
それを皮切りに、五人の男たちが、次々と自身の身体の異常を察知して絶叫を上げ始めた。
「目、目が……! 何も見えねえ! 真っ暗だ!!」
「指が……俺の指が全部、石みたいに固まって……っ! 」
地面に転がる者、己の部位を抱えてうずくまる者。先ほどまでの傲慢な態度はどこへやら、彼らは恐怖に顔を歪めながら、ステラに向かって必死に非難の声を張り上げた。
「テメェ!! 一体、何をしやがったぁぁっ!!」
「ふざけるな! 汚い魔法を使いやがって、早く元に戻せ! 戻さねえと――」
「うるさいわね。あなた達の汚い声は、とても耳障りで、聞くに堪えないわ」
そう言って、ステラが右手を冷ややかに一閃した、その瞬間。
突如として、鍾乳洞から彼らの「叫び声」が完全に消失した。
男たちは、まるで水から上げられた魚のように、口を激しくパクパクと動かして何かを必死に叫んでいるようだが、その喉からは、空気の漏れる微かな音すら一切響いてこない。
「す、ステラ……。一体、彼らに何をしたんだ……?」
あまりの神速かつ不可解な現象に、ボルグが喉を鳴らし、恐る恐るステラに問いかけた。ステラは、まるで足元のゴミ屑を見るかのような冷徹な視線で、必死にのたうち回る五人を見下ろしながら、淡々と答えた。
「別に、大したことはしていないわ。彼らが誇り、これまで他者を蹂躙するために使ってきた『得意な能力』を発揮する部位を、それぞれ二度と使えないように潰しただけよ。――それと、耳障りだったから、声帯もね」
剣士の利き腕、戦士の利き足、魔導士の魔力回路、斥候の両目、弓師のすべての指先――。
冒険者としての生命線である「最も得意とする能力」を完全に不能化し、その上で助けを求める悲鳴さえ上げる権利を剥奪したのだ。
ボルグたちは、散々彼らに煮湯を飲まされ、「今度会ったら絶対にぶっ潰してやる」と誓い合ってはいたが、このステラによる一切の慈悲を取り除いた『神罰』とも言える容赦のない制裁を前に、怒りを通り越して、少しばかりの同情すら覚えて五人を見つめていた。
声にならない絶望の表情で、涙と鼻水を流しながら「助けてくれ」「置いていかないでくれ」と必死に縋り付くような仕草を見せる。
ボルグたちは宝箱のアイテムを無事に回収すると、そのまま地上へと引き返すことに決めた。
「当然の報いよ。因果応報って言葉、知らなかったのかしらね」
「その身体で、無事に地上まで帰れるといいわね?」
ナギやフイナが、冷ややかな視線で吐き捨てるように言う。五人は必死に床を這いずりながら、行かないでくれと服の裾を掴もうとするが、その前にドワーフのドクが前に立ち塞がった。
「――すべては『自己責任』、じゃな」
ドクの重みのある一言に全員が深く頷き、哀れな敗北者たちを一顧だにすることなく、その場を立ち去った。
知能を持つ迷宮の暗がりの奥で、自業自得の結末を迎えた者たちの影が、静かに消え去っていくのだった。




