第087話 魔霧を焼く黒炎
煙の大蛇――ヴォルカニックスモッグは、その巨体を不気味にうねらせながら前方の獲物を見定めると、口腔から高圧・高温の凄まじい蒸気ブレスを放った。
「――『聖なる盾』」
すかさずアリアが清らかな神聖魔力による防御壁を展開し、襲い来る灼熱の奔流を真正面から受け止める。
熱と魔力が激しくせめぎ合う音が響く中、後衛の二人が動いた。
「さあ、行くよ」
「ええ、合わせなさい、ルイン!」
ルインの合図に応じ、エルフィラの杖に留まっていた『ブリザードイーグル』が大きく羽ばたく。
その前方に鮮やかな藍色の魔法陣が幾重にも展開され、戦場に猛烈な凍結の竜巻が巻き起こった。
さらに間髪入れず、ルインの超低温の氷結魔法が重ねて放たれる。
二人の魔力が完全に同調し、竜巻はヴォルカニックスモッグを閉じ込める巨大な氷結の檻へと変貌した。
「よし! あれだけ冷やせば、いくら煙の魔獣でもガチガチに凍りつくはずだ!」
ガルクが勝利を確信したように叫ぶ。
しかし――。
猛烈な冷気の渦に呑まれながらも、ヴォルカニックスモッグの身体は凍結するどころか、さらに赤黒い輝きを増していった。
そして、大蛇は氷の竜巻を内側から強引に引き裂き、先ほどを遥かに上回る超高温のブレスを吐き出した。
「なっ……!? なぜ効かない!? まさか、上位種だというの!?」
エルフィラが驚愕に目を見開く。
「そのようだね……」
ルインは額の汗を拭いながら珍しく険しい表情を浮かべた。
「見てよ、あの溶岩みたいに燃え盛る真っ赤な眼光。何より、さっきの個体とは熱量が桁違いだ」
彼は苦笑混じりに肩をすくめる。
「僕の氷風魔法じゃ、あの上位種の熱量を強引に奪って霧散させるには少し出力不足かもしれないな……」
「あのスモッグが『魔力の霧』で形成されているなら……今度は、私に任せてもらえないかしら?」
背後からの穏やかな声に、驚いて振り返るエルフィラに対し、ステラはいつもの微笑みを浮かべたまま、白く細い右腕を天へと掲げる。
そして、前方の大蛇へ向けて鋭く振り下ろした。火山地帯の空間そのものが悲鳴を上げたかのような暴風が吹き荒れ、巨大な竜巻が虚空から顕現する。
ステラはその渦を見つめながら、掌に凝縮した光すら飲み込む極大の黒炎を無造作に放った。
「――混ざりなさい」
その瞬間、透明だった暴風が禍々しい漆黒の炎を纏い、一瞬で黒炎の竜巻へと変貌する。
黒炎はヴォルカニックスモッグを構成する魔力そのものを餌とするかのように侵食を始めた。
熱を放つスモッグにとって、それは触れた瞬間に存在そのものを喰われる天敵だった。
大蛇の悲鳴にも似た不気味な音が響く。巨体は抵抗する間もなく黒炎の渦へ呑み込まれ、急速に崩壊していった。
それを静かに見届けたステラが、優雅に指を鳴らすと、あれほど荒れ狂っていた黒炎の竜巻は、まるで最初から存在しなかったかのように完全に消滅した。
「す、すごいな……」
「はは……やるなぁ」
キリカとルインの感嘆が漏れる。
ステラが周囲への被害を残さずに煙の大蛇を消失させたことに、誰もが言葉を失った。
――――
その後、火山の内郭を進む中、アイラが周囲を見渡しながら隣のガルクに問いかけた。
「それにしても……先ほどから、他の冒険者の姿を全く見かけないな」
「ああ、もともとこの火山層は環境が過酷すぎるからな、不人気なんだよ。大抵の奴らは、もっと実入りのいい第二層か、あるいは一気に第四層まで進んじまうのさ」
「昨晩話していた、あの『水晶の迷宮』か。なるほどな」
夕食後の野営の雑談の際、四層の話題が上っていたのをアイラは思い出す。一面に美しい水晶が広がる幻想的な迷宮であり、宝箱から出るアイテムの希少価値は極めて高いが、その分、生息する魔獣も火山層より遥かに強力だという話だった。
「しかも、最近は迷宮全体の魔獣が不自然に強力化しているしね……」
キリカが少し表情を曇らせて口を挟む。
「さっきのスモッグは上位種、と言っていたな」
「ああ。俺たちも、あのタイプの変異種に遭遇したのは初めてだ。こうなると、この層の最奥で待つ『守護者』も、相当厄介な性質に変化していると考えた方が良さそうだぜ」
ガルクは険しい表情で、はるか上方にそびえる火山の麓を睨みつけた。
その後も一行は行軍を続けたが、道中では再び溶岩ムカデによる巧妙な待ち伏せを受けた。
しかし、両パーティの連携はさらに洗練されていた。ガルクの堅牢な防御、キリカの俊敏な斬撃、アイラとリィンの前衛火力、そして後衛陣による完璧な支援が噛み合い、襲い来る魔獣たちを危なげなく撃退していく。
火山の麓近くまで辿り着いた頃には、周囲の熱気はさらに濃さを増し、地面の裂け目から吹き上がる蒸気も激しさを増していた。
そしてついに、一行の前に目的の守護者が待つ巨大な石扉が姿を現した。
黒曜石にも似た重厚な扉の圧倒的な威圧感は、ただそこに存在しているだけで、この先に待つ存在の格を物語っていた。
「ようやく辿り着いたな……」
アイラが静かに呟く。
「ああ。このまま勢いで扉を開けるパーティもいるが……アイラ、どうする? 一旦ここで区切りをつけておくか?」
ガルクは石扉の手前に設置された地上帰還用の転移陣を指差しながら尋ねた。
アイラは扉を見上げた後、仲間たちへ視線を向ける。
「そうだな。ここまでの異変を考えれば、守護者戦は万全の状態で臨むべきだろう。一度地上へ戻り、十分な休息を取った方が賢明だ。皆はどう思う?」
その問いに、まずエルフィラが頷いた。
「同感よ。さっきの上位種の件もあるわ。ここまで順調だったからこそ、慎重に進むべきね」
「私も賛成です」
アリアが穏やかに微笑む。
「明日に備えて、しっかり休んだ方が良さそうですね」
ルインも肩を竦めながら続けた。
「僕としても助かるよ。さすがに今日は魔力を使いすぎたからね」
「さんせーい!」
キリカも元気よく手を挙げる。
「守護者戦は全力で暴れたいし!」
その言葉にガルクが苦笑する。
「お前の場合は、いつも暴れてるだろうが」
「むーっ!」
頬を膨らませるキリカを見て、一同の間に自然と笑いが広がった。
そんな仲間たちの様子を見届けたステラも、小さく頷いた。
「ええ。それが良いと思うわ」
こうして全員の意見は一致し、一行は無理をせず、一度地上へ戻ることを決めた。
「よし、では一旦引き揚げるとするか!」
リーダーであるガルクの号令と共に、全員が帰還用の転移陣へと足を踏み入れる。
眩い光が足元から立ち昇り、一行の身体を包み込んだ。
アイラは最後にもう一度だけ巨大な石扉を見上げる。
その向こうから感じるのは、まるで火山そのものが息づいているかのような圧倒的な存在感。
守護者もまた、これまでとは比較にならない強敵であることは間違いないだろう。
「明日だな」
アイラの呟きと共に光が弾ける。
次の瞬間、一行の姿は火山層から消え去っていた。
守護者との決戦を目前に控えながら―




